沢村香苗氏:身寄りの社会化だけで広がる独居高齢者問題を解決できるのか
2026/06/17(水) 20:00
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マル激!メールマガジン 2026年6月17日号
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1314回)
身寄りの社会化だけで広がる独居高齢者問題を解決できるのか
ゲスト:沢村香苗氏(日本総合研究所創発戦略センターシニアスペシャリスト)
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身寄りのない高齢者の問題が、もはや一部の人たちだけの特殊な課題ではなくなっている。
内閣府の推計によれば、誰にも看取られることなく亡くなり、死後8日以上経ってから発見された「孤立死」は年間約2万1000人に上る。また、引き取り手がないために自治体が火葬などを行うケースは、2023年度だけで全国推計約4万人に達している。
これまで「孤独死」や「無縁社会」といった言葉で語られてきた問題だが、いま起きているのは単なる社会的孤立の拡大ではない。未婚化や少子化、家族形態の変化を背景に、「頼れる家族がいないまま老後を迎えること」が、ごく普通のことになりつつあるのだ。
『老後ひとり難民』の著者で、「おひとりさま」高齢者や身元保証サービスを長年取材・研究してきた日本総研シニアスペシャリストの沢村香苗氏は、身寄り問題が多くの人にとって切実で身近な課題になっていると指摘する。
こうした状況を受け、政府もようやく制度整備に乗り出した。今国会では社会福祉法等改正案が審議されており、身寄りのない高齢者らに対して、日常生活支援や入院・施設入所時の手続き支援、さらには死後事務までを担う事業を第二種社会福祉事業として位置づけた上で、相談体制の整備を進めようとしている。
一方で、判断能力が低下した人を支援する成年後見制度についても見直しが進んでいる。沢村氏によれば、障害者権利条約との関係で批判を受けてきた成年後見制度の改革論議と、身寄り問題への対応が一体化し、新たな支援制度を創設しようとする流れが生まれているという。
しかし、制度を整えれば問題は解決するのだろうか。
高齢になれば、誰しも心身の衰えに直面する可能性がある。夫婦世帯であっても、一方が認知症になり、もう一方が病に倒れることは珍しくない。公共料金の支払いや各種契約、福祉サービス利用の手続き、入院や施設入所時の身元保証、緊急連絡先の確保等々、これまで家族が当然のように担ってきた役割を、誰が引き受けるのかという問題が浮上する。
現場ではこれまで、ケアマネジャーや民生委員、医療ソーシャルワーカーなどが事実上その穴を埋めてきた。しかし、すでに現場の対応能力は限界に達しているとの指摘が国会でも相次いでいる。
特に懸念されるのは、公的な支援の対象から漏れやすい人たちの存在だ。成年後見制度を利用するほど判断能力が低下しているわけではない。生活保護受給者でもない。沢村氏は、こうした「支援のはざま」に置かれた人々が、高齢者全体の3分の2近くに及ぶ可能性があるとみている。
近年は、身元保証や死後事務を請け負う終身サポート事業も増えている。しかし、その実態は十分に把握されていない。総務省が3年前に調査を行ったものの、事業者の半数は設立から5年未満であり、契約者の死後まで含めたサービスを安定的に提供できているのかは不透明だ。
さらに、こうした事業を誰が担うのかという根本問題も残る。民間事業として採算は取れるのか。公的関与はどこまで必要なのか。利用者から預かった資金をどう保全するのか。実際、10年ほど前には事業者の経営破綻によってサービス停止や預託金消失が発生した事例もあり、同様の事態を防ぐ制度設計が不可欠となっている。
だが、より本質的な問いは別のところにあるのではないか。
家族が担ってきた役割を社会化することで問題は解決するのか。それでは制度やサービスに置き換えられない関係性やケアの問題が残るのではないか。私たちは家族という存在をどのように位置づけ直し、超高齢社会にふさわしい支え合いの仕組みを構想すべきなのか。
今週のマル激は、『老後ひとり難民』著者の沢村香苗氏をゲストに迎え、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が、身寄り問題の現状と課題、そして家族なき時代の新たな支援のあり方について議論した。
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今週の論点
・「孤立死」2万人の衝撃
・高齢者「身寄り問題」の国会議論のポイント
・身元保証ビジネスや家族代行ビジネスの難しさ
・あなたの「身寄り力」はどのくらいですか
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■ 「孤立死」2万人の衝撃
迫田: 今日のテーマは「身寄り問題」です。2000年に介護保険ができた時は「介護の社会化」という言葉が使われていましたが、今は「身寄りの社会化」ということが言われており、国会でも議論されています。身寄りのない一人暮らしの高齢者がどんどん増えている中で、例えば亡くなったらどうするのか、身元保証はどうするのかという議論ですね。
宮台: 昔から問題になっていたことですよね。2005年頃から「孤独死」が問題になりました。日本発で世界中に孤独死問題が知られるようになりましたが、それから10年も経たないうちに、遺骨や遺品の引き取り手が誰もいないという「無縁死」の問題が出てきました。多くの場合は無縁仏として共同墓地に埋葬されます。
コロナ前ぐらいから「終活」という言葉が話題になり、終活ビジネスも広がっています。身寄りがない、あるいは家族や親族を全く頼れない人が自分の死の段取りについて相談してコンサルベースで死後のことを決めてもらい、死んだら速やかに、場合によっては親族に全く知らせずに問題を処理してもらうといったビジネスですね。
ただ、孤独死や無縁死する前にはどういう生活をしていたのかという問題ですが、女は物屋敷になり男はゴミ屋敷になるというようなこともよく知られています。それは、今でいう「身寄り問題」です。
迫田: ただ今は、そういう事例だけではないんです。私も最近たまたま知り合いから相談されたのですが、とても親しくて友達がたくさんいるような人が70代で突然死しました。しかしその遺骨は役所にあると。友人たちは納骨してあげたくても何もできないという状態が起きているということでした。それが今国会でも議論されている「身寄り問題」ということなんです。
本日のゲストは日本総合研究所創発戦略センターシニアスペシャリストの沢村香苗さんです。沢村さんは10年ぐらい前からずっとこの問題を扱ってこられました。この10年間で急速に問題が広がっていると感じることはありますか。
沢村: 10年前は困る人は本当に困っていて、特にお一人暮らしやお二人暮らしの高齢者の方が困り始めておりビジネスもできてきたという段階でした。当時はマスコミの方などにお話ししてもまだピンとこないような感じだったのですが、ここ数年は報道も増えています。おそらく周りに同じようなエピソードが増えてきて、社会的に稀ではなくなってきているのだと思います。
宮台: これまで孤独死というと65歳以上でしたが、今は65歳未満の人が過半数になりました。現役世代でも孤独死するということです。僕の周りでも同世代の人たちが次々と孤独死している。全く意外な人が孤独死するということに直面しています。
迫田: 去年公表されたデータでは、死後8日以上で発見される「孤立死」をした人が推計2万1,000人います。また引き取り手のない遺体が全国で推計4万人となっています。これは日本総研で調査されたものなんですよね。
沢村: はい。厚生労働省の補助金事業で、自治体にどのぐらい孤立死があるのかを調査し、そこから推計した数字です。
村上祐子氏:AIが下した価値判断の責任を人間は引き受けられるのか
2026/06/10(水) 20:00
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1313回)
AIが下した価値判断の責任を人間は引き受けられるのか
ゲスト:村上祐子氏(立教大学人工知能科学研究科教授)
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生成AIが猛スピードで社会に浸透し始めている。
メールや企画書の作成を手伝わせる程度ならまだしも、最近では人生相談や恋愛相談、さらには家族とのトラブルや精神的な悩みまで、ChatGPTなどの生成AIに打ち明ける人が急速に増えている。
マイナビが正社員を対象に行った調査では、回答者の2割以上が生成AIに人生相談をした経験があると答えている。もはやAIは単なる検索エンジンではなく、人々にとって「相談相手」としての地位を獲得しつつあるようにも見える。
しかし、その変化はわれわれが思っている以上に重大な意味を持つのではないか。
生成AIは便利だ。何を聞いても答えてくれる。しかも、その答え方は驚くほど人間的だ。共感し、励まし、時には慰めてくれる。だが、そこで見落とされがちなのは、AIは人間ではないという当たり前の事実だ。
AIは経験を持たない。身体も持たない。苦痛も喜びも感じない。そして何より、自らの助言がもたらした結果に責任を負うこともない。
にもかかわらず、人はAIと対話を重ねるうちに、その助言をあたかも信頼できる人格からのアドバイスであるかのように受け止め始める。
その危うさを示す事例がすでに日本でも現実に起き始めている。
今年5月、プロ野球・読売ジャイアンツの阿部慎之助監督が、18歳の長女への暴行容疑で現行犯逮捕されるという事件が報じられた。報道によれば、長女は父親からの暴力についてChatGPTに相談し、その助言に従って児童相談所に連絡したとされる。長女はまさか警察に連絡され自分の父親が逮捕されるとは想像もしていなかった。ましてや自分の父親がジャイアンツの監督を退任しなければならなくなるとも。
もちろん、家庭内暴力の被害者が相談先を求めること自体は何ら問題ではないし、被害者が責められる理由もない。しかし、この出来事は別の問いを私たちに突きつけている。
人はAIの助言をどのような重みで受け止めるべきなのか。AIはどこまで人間の行動に影響を与える存在になりつつあるのか。そして、その結果に誰が責任を負うのか。
実際、アメリカではより深刻な問題も起きている。対話型AIとのやり取りが自殺につながったとして、遺族がAI開発企業を提訴するケースが相次いでいるのだ。
原告側は、AIの設計上の欠陥や危険性に関する警告不足が悲劇を招いたと主張する。一方で企業側は、利用者自身の行動まで責任を負うことはできないと反論している。
この論争は単なる製造物責任の問題ではない。
今、私たちは社会の重要な判断を誰に委ねるのかという、より根源的な問題に直面しているとも言える。
立教大学人工知能科学研究科の村上祐子教授は、AIそのものよりも、人々がAIをどう受け入れているかに強い懸念を示す。
そもそも多くの人はAIの仕組みをほとんど理解していない。検索エンジン、顔認識、迷惑メール判定など、AIはすでに社会のあらゆる場面に組み込まれている。しかし、そのことを意識している人は少ない。ましてChatGPTのような生成AIについては、「聞けば答えてくれる便利なサービス」程度の理解で利用している人が大半だろう。
問題は、その状態のままAIへの依存が進むことだ。困ったらAIに聞く。迷ったらAIに相談する。判断に迷ったらAIの提案を採用する。そうした行動が日常化すると、人間はいつの間にか自ら考え、自ら判断する習慣を失っていく可能性がある。
しかもAIは中立ではない。その出力には、学習データや設計思想、開発企業の価値観が反映されている。しかし利用者は、その背後にある価値観を吟味することなく、AIが示した答えを「合理的な判断」として受け入れてしまう。その結果、人間自身の価値判断が徐々にAIに代替されていくことになる。
村上氏が特に懸念するのは、そのプロセスが社会インフラとして固定化されてしまうことだ。一度社会の仕組みに組み込まれた技術は、後から修正することが容易ではない。気づいたときには、人間が判断しているつもりで、実際にはAIが提示する選択肢の範囲内でしか考えられなくなっているかもしれない。
ローマ教皇レオ14世は5月25日に発表した回勅の中で、AIを巡る問題の本質をこう表現している。AIには身体も経験もなく、苦しみも喜びも感じることができない。AIは結果に対する責任を負わないため道徳的良心も持ち得ない、と。
これは単なる技術批判ではない。むしろ、人間にしか果たせない役割とは何かを問い直す呼びかけと受け取るべきだろう。
生成AIの急速な普及によって、私たちはかつてない利便性を手に入れた。しかし同時に、自ら考え、自ら判断し、その結果に責任を負うという人間の根本的な営みを、どこまで機械に委ねてよいのかという新しい問いに直面することとなった。
AIに価値判断を委ねた社会の先に何が待ち受けるのか。そして、人間はその社会においてなお主体であり続けることができるのか。今週のマル激では、立教大学人工知能科学研究科教授でAI倫理が専門の村上祐子氏をゲストに迎え、生成AIが社会にもたらす変化と、人間が失ってはならない判断と責任について、ジャーナリスト神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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今週の論点
・AI黎明期にリテラシー教育が追いついていない
・生成AIがもたらす「デジタル植民地主義」とは
・アメリカで相次ぐ生成AIによる自殺をめぐる訴訟
・AI時代にローマ教皇が問う「人間とは何か」
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■ AI黎明期にリテラシー教育が追いついていない
神保: 今日のテーマはこれまで何度か取り上げてきたAIです。日本でもアメリカでも新しい動きがあったと思うので、ここで一度整理しておくには良いタイミングだと思いテーマに選びました。
アメリカはこれまでAIについてはハンズオフアプローチだったのですが、トランプ大統領がついに大統領令に署名し、新規の生成AIが市場に出る30日前までに政府に全て公開し、安全性などをチェックしなければ出してはいけないということになりました。これは一応ボランタリーということになっていますが、トランプ政権が初めてAIに対して何らかの制限をかける大統領令に署名しました。
良くも悪くもAIはこれまで完全にハンズオフアプローチをしてきて、その間にものすごく発展しました。それに伴い実際に市民生活の中にもいろいろな影響が出ています。AIがものすごい勢いで一般の市民生活に入り込んできていますが、そのスピードがあまりにも速いため、いったい何者なのかが分からないまま、便利だと言って使っている状態です。
しかし、例えばそこに個人情報を含む色々なことを明かしてしまっている人もいるでしょう。それが大丈夫なのかという問題もあります。誰がそれを見ることができるのかということも含め、もう少ししっかり押さえておいた方が良いですね。AIは調べものなどをする際には本当に便利なのですが、もう少し理解する必要があると思います。
ゲストは立教大学人工知能科学研究科教授の村上祐子さんです。お話ししたように、アメリカではAIをめぐり色々な動きがあります。来週にはAIとドッキングしたスペースXが上場し、そこにとんでもないお金が入る。またAIに関連する自殺が相次いで訴訟になっています。
5金スペシャル映画特集:世界を救う前に「誰のためにどう生きるか」を考えてみる
2026/06/03(水) 20:00
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マル激!メールマガジン 2026年6月3日号
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1312回)
5金スペシャル映画特集
世界を救う前に「誰のためにどう生きるか」を考えてみる
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月の5回目の金曜日に特別番組を無料でお送りする5金スペシャル。今回は映画特集をお送りする。
今回取り上げたのは次の3作品。いずれも、人は何に価値を見出して生きるべきなのかを問う秀作だ。
・『プロジェクト・へイル・メアリー』(2026)
・『サンキュー、チャック』(2026)
・『誰だって無価値な自分と闘っている』(2026)
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、太陽光の減衰によって滅亡の危機にある地球を救うために駆り出された天才的な分子生物学者グレースが主人公。学界から追放され中学教師をしていたグレースは、人類を救うため、片道分の燃料だけを積んで宇宙に送り出される。旅の途中で、同じく母星を救おうとする異星人ロッキーと出会い、協力関係を築いていく。
当初は人類を救うために行動していたグレースだが、ロッキーとの出会いによって、彼にとって大切なものが変わっていく。作品は、人類のためという大きな理念より、目の前にいるかけがえのない誰かの存在にこそ、人が命を懸ける価値があるのではないかと問いかける。
『サンキュー、チャック』は、あらゆる災害に見舞われ滅亡の危機にある地球で、「ありがとう、チャック」という謎の広告があちこちに現れるところから始まる。そのチャックとは一見どこにでもいる普通の会計士だ。しかし映画は、そんな平凡な1人の人間の人生がいかに価値あるものかを描き出していく。限られた人生の中で、人や社会にどう評価されるかではなく、「どう生きるか」を選び取ろうとするチャックが、生の喜びを解き放つように踊り出すシーンは圧巻だ。その生は終わりへ向かうからこそ、いっそう鮮やかに輝きを放つ。
韓国ドラマ『誰だって無価値な自分と闘っている』では、映画監督を目指して20年間デビューできないファン・ドンマンが自身の無価値さと必死に闘う。ドンマンを疎ましく思う周囲の映画監督仲間たちもまた、それぞれ複雑な感情や劣等感を抱えている。中には、ドンマンが監督デビューを果たせば自分が最下層に転落してしまうのではないかと恐れ、現状に安心している者さえいる。他人との比較や序列の中で価値を証明しようともがいていた人々が、最終的には自分自身の価値と向き合うことになる。
ファン・ドンマンやプロデューサーのピョン・ウナは、感情が表示される「感情ウォッチ」という特殊な機械を身に着けている。「不安」「羞恥」「嫉妬」などネガティブな感情は人間関係の軋轢や社会的な立場への不安から生まれる。一方で「安心」などのポジティブな感情は、社会的な成功とは関係なく、誰かに受け入れられ、愛されていると感じたときに現れる。どんなに社会的な成功を収めてもそれだけで人は満たされるわけではないことも作品は示している。
この社会では「みんなのために頑張れ」「評価されて上に行け」と言われ続ける。しかし、3作品が描くのは、そのゲームの空しさだ。本当に価値があるのは世間の評価でも社会的地位でもなく、たった1人の他者との関係で、「この人のためなら命を懸けられる」と思える存在がいるかどうかなのではないかを、この3作品は問うている。
3つの作品を題材に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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今週の論点
・『プロジェクト・へイル・メアリー』が突きつける、実は誰も人類の未来に関心がない現実
・『サンキュー、チャック』が問う、人生で最も価値あるものとは
・韓国ドラマ『誰だって無価値な自分と闘っている』に見る倫理の本質とは
・社会にとって有用な存在になること=幸せとは限らない
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■ 『プロジェクト・へイル・メアリー』が突きつける、実は誰も人類の未来に関心がない現実
神保: 今日は久しぶりの5金映画特集です。最近は映画といっても半分くらいはドラマを取り上げることが多くなっていますね。今回は『プロジェクト・ヘイル・メアリー』、『サンキュー、チャック』という映画2本と、『誰だって無価値な自分と闘っている』というドラマを取り上げます。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は公開されてから少し時間が経っているので上映館が少し減っているかもしれませんが、『サンキュー、チャック』は5月1日に公開されたばかりです。原題は「The Life of Chuck」です。もう1つは韓国ドラマです。
「ヘイル・メアリー」という言葉について、メアリーは聖母マリアのことで、辞書では「神頼み」のような意味で説明されています。もちろん最後の望みを託すという意味なのですが、アメリカで最も一般的に使われているのはアメリカンフットボールの文脈です。最後のプレーでタッチダウンになれば逆転、そうでなければ負けという場面で、ワイドレシーバーを全員エンドゾーンに入れ、とにかくその辺りにボールを投げ込みます。そうすればもしかしたら取るかもしれないという最後の一手という意味で、ヘイル・メアリー・プレーと呼ばれています。
映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、地球の生存をかけた最後の望みのプロジェクトの話です。トレーラーではロッキーの姿を簡単に出してしまうことに驚きました。
宮台: 岩石星人ですね。
神保: これは現代版あるいは未来版の『走れメロス』のような気がします。宮台さんはなぜこの映画を選んだのですか。
宮台: この作品は社会に関わる実存をかなり的確に批評していると思います。批評というのはクリティシズムであり、クリティサイズとはクライシス、つまり危機に落とすということです。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はアヴェ・マリアのような話です。これは神頼みというよりも「ああ女神様」、「ああマリア様」という祈りのようなものです。
今日取り上げる3本の作品には共通する部分があります。難しい言葉で言うと、「皆のために死ねる」という「共同幻想」はまやかしで、「あなたのために死ねる」という「対幻想」だけが真実であるということです。これは吉本隆明が1968年の『共同幻想論』で述べたことを非常に忠実に物語化していると言えます。
ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、毎週の主要なニュースの論点を渦中のゲストや専門家らと共に、徹底的に掘り下げるインターネットニュースの決定版『マル激トーク・オン・ディマンド』。番組開始から10年を迎えるマル激が、メールマガジンでもお楽しみいただけるようになりました。
神保哲生/宮台真司
神保 哲生(じんぼう・てつお) ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表。1961年東京生まれ。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者を経て 93年に独立。99年11月、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。 宮台 真司(みやだい・しんじ) 首都大学東京教授/社会学者。1959年仙台生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。
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