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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(後編)【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.738 ☆
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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(後編)【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.738 ☆

2016-11-22 07:00

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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』
    第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(後編)
    【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.22 vol.738

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    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの連載『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回の後編をお届けします。
    あまりに有名な三島由紀夫の最期、市ヶ谷駐屯地での割腹自殺に目論まれたパフォーマンス的な意図とは。遺作『豊穣の海』の虚無的な結末や、晩年の異常ともいえる切腹への執着から、三島の「死とエロティシズム」の思想を明らかにします。


    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
    1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
    本メルマガで連載中の『イメージの世界へ』配信記事一覧はこちらのリンクから。


     ここで一旦、これまでの議論を振り返ることとしよう。
     三島由紀夫はノーベル賞を逃して以降、強烈に(俗流的な解釈ではあるが)バタイユに惹かれていた。その結果として禁止の設定とその違犯を骨格に据えた作品を多く生むことになる(本人がインタビューで明言したものとしては、日本演劇史屈指の名作とされる「サド侯爵夫人」がある)。
     『豊饒の海』四部作もまた、同様に禁止と違犯を確認し続ける物語である。主人公がおり、禁止を犯しては死に至るが転生し、それを本多繁邦なる人物が観察し続けることで成立する奇妙なクロニクルであるのだ。違犯するものは時代ごとによって異なる。明治末を描いた第一部『春の雪』は、宮家(天皇家)への違犯である。昭和初期を描いた第二部『奔馬』は体制への違犯(血盟団事件や二・二六事件を連想させる)である。戦中から戦後まもなくの日本を描かず、なぜかタイに舞台を移すのだが、第三部『暁の寺』は同性愛という当時における禁止(この場合は女性同士)が描かれる。この第三部は明確に歪な作品であり、小説の半分が継続されてきた転生物語なのだが、もう半分は作者・三島にとっての仏教観として読めるものなのだ。
     のちに「小説とは何か」の中で第三部に触れて「私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかつた。それは私にとつての貴重な現実であり人生であつた筈だ。しかしこの第三巻に携はつてゐた一年八ヶ月は、小休止と共に、二種の現実の対立・緊張の関係を失ひ、一方は作品に、一方は紙屑になつた」と述べ、「最終巻が残つてゐる。『この小説がすんだら』といふ言葉は、今の私にとつて最大のタブーだ。この小説が終つたあとの世界を、私は考へることができないからであり、その世界を想像することがイヤでもあり怖ろしい」と三島自ら禁止を自己演出してみせる。この場合実行される違犯は明らかに自殺である。その口吻とは裏腹に三島由紀夫は第三部の完了とともに、自刃に向けて猛スピードで準備を整えていく。
     そして第四部である。描かれるのは作品と同時代の昭和四十五(一九七〇)年である。ここでは禁止は描かれない。ただ、これまで延々と観察されてきた転生物語が、観察者・本多の単なる妄想に過ぎないという荒廃した結末だけが待っている。転生者を名乗る「透」なる青年も本多の資産目当ての狡っ辛い人物として描かれ、物語には救いはない。あたかも、これまで執拗にも反復されてきた禁止と違犯の物語が徒労であったかのように、スカスカな終焉を向かえる。
     かのように、見える。しかし、『天人五衰』という小説の末尾には下記年月日が記されている。
    「豊饒の海」完。
    昭和四十五年十一月二十五日

     この一点において三島は虚構である『豊饒の海』と現実の行動とを切り結ぶ。この日付が記されたその日に、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地に森田必勝ら楯の会を引き連れ、人生最後の日を迎えるのだ。現実を虚構が侵食しだす。違犯が実現するとすれば、現実においてないというわけだ。
     ところで、三島由紀夫は中村光夫との対談で行動について次のようにやり取りをしている。
    三島 しかし文学者は、生きていて自分の作品行動自体を行動化しようというのは無理だね。ぼくはそういうことをずいぶんいろいろ試みてみたけれど、ただ漫画になるばかりで、何をやってもだめですよ。
    中村 そういうことはないでしょう。
    三島 というのは、生きている文学者が自分の作品行動と自分の何かほかの行動とが同じ根から出ているのだということを証明することがとてもむずかしい。(中略)それを証明しようと思って躍起になればなるほど漫画になるのはわかっているけれど、死ねばそれがピタッと合う。自分で証明する必要はない。世間がちゃんと辻褄を合わせてくれる。
    (『人間と文学』所収「行動と作品の『根』」)

     三島自身が語る悪戦苦闘ぶりからもわかるとおり、『天人五衰』の末尾に記された日付とは「行動と作品」を世間が辻褄を合わせる最後の一手なのである。この日付があるだけで、のちに鳥肌実や後藤輝樹によってパロディされてきたパフォーマンスを記憶に残せたのである。


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