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三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ渾沌
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三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ渾沌

2017-05-10 07:00
    【配信日変更のお知らせ】
    毎月第1水曜日更新の猪子寿之さんの〈人類を前に進めたい〉は、諸般の事情により今月は配信日程を変更してお送りいたします。楽しみにしていた読者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、次回の更新まで今しばらくお待ち下さい。

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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。今日の人工知能を生み出すに至った、機械論的な知能の構築を試みる西洋の思想。混沌から知性を「削り出す」東洋の発想との相互補完によって開かれる、人工知能の次の可能性について提案します。

    1. 東洋的な人工知性の在り方

     荘子の言葉に、
    斉人之井飲者相守也。(列御冠篇 二)
    (斉人の井に飲む者の相いまもるがごときなり。)

    ちょうど凡人が井戸の水を飲むのに、自分の水だからお互い飲ませないと言って、お互い守りあっているようなものだ
    という言葉がある。「井戸の水は井戸を掘ったものが自分で作ったものと思い込んでしまうが、自然から湧いているものだということを忘れている、ということである。同じように、人工知能を作ることは、作ったものが設計に基づいて実現したと思っている。しかし、東洋的な考えではそうではない。最初からそこにあったものを掘り出している、と考えるのである。オーギュスト・ロダン(1840-1971)が、石の中に眠っているものを掘り出す、と言ったごとく、電子の海から人工知能を掘り出すのである。
     しかし、東洋から人工知能は生まれなかった。急速な西洋の人工知能の発展がそれを許さなかった。そういったことが起こる前に、西洋的な人工知能が世界を席巻したのである。歴史に「もし」はないにせよ、もし東洋から人工知能が生まれる可能性があったとすれば、西洋的な構築の人工知能ではなく、プログラムと電子回路とノイズの混沌とした空間から、知能の形をしたものを抜き出す、という方法に寄ったであろう。或いは、混沌をそのままに、そこからエレガントな思考を引き出す仕組み、として人工知能を作っただろう。歴史がそうならなかったのは、そのような混沌を作り出すまでの計算パワーと手法がそれまでに生まれなかったことによる。遅きにしろ、これからそういった創造と研究が推進されることで、西洋のカウンターとしての「人工知性」が生まれるだろう。日本や中国のコンテンツには、ネットの海から人工知能が自動的に生成するというストーリーがよく見受けられる。東洋にとっては人工知能ですら、自然発生的なものでなければならない、という強い思想がある。

    2. 構築と混沌(I)思考とノイズ

     脳も身体も同じニューロン(神経細胞)からなる。身体のニューロンには殆どノイズがない。だからこそ身体は正確に動かすことができる。一方、脳のニューロンはノイズだらけである。アクティブに活動していないニューロンも、さまざまなノイズの中で活動している。脳の活動の90%は「無駄な」活動をしていると言われている。おそらくノイズによって、至るところで微弱なニューロンが発火しているのだろう。
     脳は決して、一つの問題に対してたった一つのエレガントな解答を実現する器官ではない。さまざまな可能性の思考を同時に走らせたり、或いは次に来るべき思考を準備してバックグラウンドで走らせている。複数の思考の顕在化にも、潜在化にも走っていて、主導を取ろうとしている。正確には、環境の多様な変化に最もマッチした思考が勝者となり主導権を握るのである。その柔軟性の高さの代償として、ほとんどの思考は戦いに敗れて無駄な思考として終えることになる。或いは果たせなかった役割を夢の中で実現しようとする。
     一つの勝ち残った思考が意識に上っている。それ以外の思考は無駄に見える、しかし、雷が雲から生まれるように、混沌という母体がなければ、一筋の思考は生まれない。我々は困難な場面や問題に直面し、考え続け、己を混沌そのものにし、己の中の混沌を活性化させ、そこからエレガントな思考を生み出す。それは思考のドラマである。
     しかし、現在の人工知能に与えられているのは、そういった思考ではなく、筋道のついた出来上がった後の思考をうまく再現する思考である。現代の人工知能では、問題がなければ思考はない。そして、現在の人工知能には問題を自ら作り出す力も必要もない。人間が、考えるべき要素とそれに対する操作を教えて、設定したゴールへ向かって計算させるのが、現代の人工知能の姿である。「考えるべき要素、それに対する操作、設定されたゴール」のセットはフレームと呼ばれ、これに関して人工知能は3つの制限を受ける。
    1. 人工知能は自らフレームを作り出すことはできない。
    2. 人工知能はフレームの外に出ることはできない。
    3. 人工知能は与えられたフレームだけしか解くことはできない。
     人工知能が得意なのは「閉じられた問題」である。それは未知の要素がない、という意味である。「閉じられた問題」として人工知能にフレームが与えられる時、人工知能はその問題を解くことが出来、また人間よりも圧倒的に優秀である。将棋、囲碁、自動翻訳、リコメンドシステム、データの世界の閉じた問題は遅かれ早かれ、人間より圧倒的に優秀になる。しかし、フレームを一歩出るや否や、人工知能はまるで無力になる。コンビニの店員のロボットを作ったとして、その人工知能を搭載しても、想定外の出来事に対しては何もできない。犬がコンビニに入って来た時の対処法がもしプログラムされていなければ、動きようがなく、完璧なお料理ロボットも鍋の取手がいきなり壊れたらストップするしかない。お掃除ロボットが動く前に部屋を片付けておく必要があるように、人工知能ができることは想定したフレームの中である。ディープラーニングのような学習も学習の仕方は自由度があるが、囲碁AIが囲碁以外の何かを出来るようになることはない。
     人工知能はフレームの中で動作する。そして、その問題をできるだけエレガントな思考で、できるだけコンパクトな計算とメモリで実現することが人工知能でもある。そこには無駄があってはならない。それは通常のプログラムの宿命である。プログラムというのは無駄をそぎ落とそうする力が働く。それは先に指摘したようにオートメーションの延長としての流れの中に人工知能があるからでもある。
     そうやって西洋の人工知能は、徐々に狭く閉じられた問題の中に閉じ込められていくことになる。狭いショートサーキットの中で、無駄のない、隙のない、高速なプログラムとしてやせ細って行くことになる。それを解放できるのは東洋的な人工知性の考え方である。この章では、西洋的な人工知能と東洋的な人工知性がいかなる対立をなし、お互いを解放できる力を見て行くことにする。


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