今回のPLANETSアーカイブスは「京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録」をお届けします。ここからの講義録は「戦後アニメーションと終末思想」がテーマ。今回は70年代半ばに第一次アニメブームを起こした『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』におけるSF作品の内実の変化と、『幻魔大戦』に代表される「オカルト」というモチーフの浮上を扱います。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです/2016年11月25日に配信した記事の再配信です。)
冷戦下のリアリティと『宇宙戦艦ヤマト』が描いたもの
今回からは、マンガ・アニメを代表とするオタク系サブカルチャーの想像力とその変質について、戦後消費社会の展開を追いながら話していきたいと思います。
みなさんは「世界の終わり」という言葉を聞いてどんなことを想像するでしょうか?
……そうですね、痛い感じのビジネス中二病のバンド(SEKAI NO OWARI)のことしか思い浮かばないですよね。
でも僕が子どもの頃は、「世界の終わり」ってマンガ・アニメの定番モチーフだったんです。「人類最後の大戦争が起こって人間は滅びるんじゃないか」「大戦争によって本当に世界の終わりがやってくるんじゃないか」というイメージがすごく強かった。
これはなぜかというと、当時は米ソ冷戦の真っ最中だったからですね。どちらも核兵器を大陸間弾道ミサイル(ICBM)に載せていつでも発射できるようにしていて、もしアメリカとソ連が全面戦争になったら報復攻撃の連鎖で世界中が核ミサイルで破壊されてしまうのではないか。そういうイメージに非常にリアリティがあったんです。
それに加えて、特に1970年代から90年代にかけて「ノストラダムスの大予言」というものが大流行しました。「1999年7の月、空から恐怖の大王が下りてくる」というやつですね。それが日本のオカルト好きの間で広く共有されていて、「恐怖の大王って核兵器のことじゃないのか」と言われていたんです。なんとなく、「20世紀の末に世界は核の炎に包まれて人類は滅亡する」という「世界の終わり」のイメージが若者たちのあいだで共有されていたわけです。今回はそういった終末思想が、サブカルチャーの想像力によってどう描かれてきたのかを扱っていこうと思います。
また逆に、「なぜ現代ではそういうモチーフが消滅してしまったのか?」という問題も考えてみたいと思います。いまや「世界の終わり」といえば単にビジネス中二病バンドの名前でしかなくなっているわけですが、このモチーフがなぜそこまで陳腐化してしまったかということですね。
まずはこの作品からみていきましょう。
(『宇宙戦艦ヤマト』映像再生開始)
みなさんはこの作品を知っていますか? あ、さすがにほとんどの人が知っているようですね。でも存在を知っているだけで、中身までは知らないでしょう?
この『宇宙戦艦ヤマト』は、一番最初のアニメブームの起爆剤となった作品です。1974年にテレビシリーズの放映が開始され、そのときはそこまでヒットしなかったんですが、再放送でじわじわと人気に火が付いていきました。
ここまでの講義でもお話ししてきたとおり、1970年代までアニメって多くが子ども向け番組だったわけですが、『宇宙戦艦ヤマト』はティーンエイジャーから20代の学生、若い社会人に支持を受け、社会現象とも言える大ヒットになった作品でした。そしてこれをきっかけに、70年代半ばから後半にかけて続々とティーンエイジャーから大人をターゲットにしたアニメが制作されるようになっていきます。
▲宇宙戦艦ヤマト 劇場版 [Blu-ray] 納谷悟朗 (出演), 富山敬 (出演), 舛田利雄 (監督)
『宇宙戦艦ヤマト』は――のちに『機動戦士ガンダム』でも繰り返されることですが――全国にファンクラブができて広がっていき映画化もされたんです。