デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回はトランスフォーマー編の最終回として、特に初期映画版トランスフォーマーのおもちゃがデザインされたプロセスに着目しながら、ハリウッドが見落としてしまったトランスフォーマーのもうひとつの可能性を指摘します。
「変形フィギュアをぐにゃっと曲げて変形させることはできない」
ここまで、映画版トランスフォーマーが、暴力というアメリカン・マスキュリニティの重力から逃れらず、新たな男性性の可能性を獲得することに失敗してきた10年の歴史を整理してきた。
それではトランスフォーマーという表象が、再び新しい成熟のイメージの担い手となることはできないのだろうか。「kakkoii」の器となることができた1984年のトランスフォーマーと、保守的な男性性の重力から自由になれなかった2007年以降のトランスフォーマーは何が違うのだろうか。
そのヒントは、むろん、おもちゃのデザインにある。
この連載がおもちゃのデザインを主題としていながら、映画版トランスフォーマーについてはほとんど映画の物語内容についてしか論じていないことを、不思議に思う読者もいるかもしれない。しかし逆説的に、映画の物語内容について論じるしかなくなっているという事態にこそ、問題を解決するヒントを見いだすことができる。
1984年のトランスフォーマーが、日本でつくられたおもちゃをアメリカ向けに再パッケージしたブランドだったことは前回述べた。しかし映画版のトランスフォーマーは、全く異なるプロセスでデザインされている。
先に結論を述べよう。映画版トランスフォーマーの決定的な分岐点は、アメリカ軍にフェティッシュな憧れを抱くマイケル・ベイに監督を任せたことでも、マーク・ウォールバーグというアメリカン・ヒーロー映画の常連を主役に据えたことでもない。3DCGの可能性を過大評価し、そしてそれによって結果的におもちゃを過小評価してしまったことだ。
ハリウッドのブロックバスター映画ともなればその機密性は徹底しており、映画版トランスフォーマーのおもちゃのデザインがどのようなプロセスで行われたのかを正確に把握することは難しい。しかしそれが非常に複雑なものであり、かつ映画サイドとおもちゃサイドの緊張関係を伴っていたことは、幾つかの情報から窺い知ることができる。