本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。グローバル/情報化によって曖昧になった人間と人間の境界線を、もう一度引き直したいという揺り戻しに対して、チームラボ代表・猪子寿之さんは他人がいることで変化するアートを提案しました。他者をファジーな存在として再定義することを試みる猪子さんの取り組みについて宇野常寛が考察します。(初出:『小説トリッパー』 秋号 2017年 9/30 号)
10 人間と人間との境界線を無化する
人間と人間の境界線、それはグローバル/情報化でもっとも曖昧になったものであり、それだけにいまトランプ(という固有名詞が象徴する「境界のない世界」へのアレルギー反応)がもっとも強力に引き直そうとしているものだ。
このアレルギー反応という現実に対して、猪子はどうビジョンを示したのか。猪子はアートの力でもう一度「境界のない」世界に人々を誘惑する。そしてそこで語られる理想は、たとえば二〇世紀の人々が掲げた「他者」をめぐる理想とは明らかに異なっている。理解できない、不愉快な存在としての「他者」を、高い意識と深い寛容さをもって「歓待」せよ、といったメッセージを猪子は採用しない。それは既に、トランプに敗北した理想だからだ。かといってこうしているいまも(いや、いまこそ)日本社会を覆う、「無責任の体系」に基づいた共同体への自己同一化も採用しない。それは既に歴史によって失敗が証明されたものだからだ。
では、いかにして猪子は人間と人間の間の境界線を取り払うのか。それは端的に述べれば情報技術の介在によって、本来不快な他者という存在を快い存在に変化させてしまう、というプロジェクトなのだ。
〈「モナ・リザ」を観るのに隣の人は邪魔で、できれば一人で見たほうがいいんだよ。「ゆっくり鑑賞させてくれ」としか思わないじゃない。それって、「モナ・リザ」では同じ空間にいる人が邪魔になるということなんだよ。
でもさ、それは他人の振る舞いで目の前の「モナ・リザ」が変化しないからだと思うの。ルーブル美術館の「モナ・リザ」の前でいくらぎゅうぎゅう詰めでも、「俺たちはここにいすぎないか」なんて相談はじめたりしないじゃん(笑)。〉(16)
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