チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、2018年夏から始まることが発表された、東京の常設展「teamLab Borderless」の構想について猪子さんが語りました。今回初めて「ボーダレス」という直接的な表現を使ったチームラボが、この展示にかけた思いとは? そして、二次元と三次元の境界を超える、新しい鑑賞体験とは?(構成:稲葉ほたて)
「teamLab Borderless」開園!
猪子 2018年の夏から、東京のお台場に巨大な常設展を創ることになったので、今日はその構想について話したいな。場の名前は「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: teamLab Borderless」。作品群によって一つの世界を作ろうと思っている。
▲2018年初夏より始まる東京・お台場の常設展「teamLab Borderless」。
▲'Ultra-technologists' to open digital-only museum in Tokyo(CNN, 28th January 2018)
宇野 2016年にブレグジットがあって、トランプの当選があって、世界は明らかにグローバル化と情報化のアレルギー反応の時代に突入して、これらの流れをせき止めるためもう一度「壁」を築く動きがあちらこちらで出てきている。そしてチームラボは2017年1月のロンドン展「teamLab: Transcending Boundaries」あたりからずっと、このアレルギー反応にさらに反発して「境界のない世界」を擁護する立場から作品を発表しているわけだけど、今回はついに展示会のタイトルまで「ボーダレス」になったわけだ。
猪子 実はこれまで、「ボーダレス」という直接的に言葉は使ってこなかったんだけど……。
宇野 いや、直球だけど、それくらいがちょうどいいよ。だっていま、境界のある世界と境界のない世界で対立が起きてることに気づいている日本人なんて、人口の5%よりも少ないんじゃないかと思うからね。「ボーダレス」という単語がなぜ選ばれたかを考えてもらうだけでも意味があるよ。それで、これはどんな展示になる予定なの?
猪子 基本は2フロアあって、10,000㎡くらいの規模感だね。『インタラクティブ4Dビジョン』という作品と同じようにLEDを空間に埋め尽くした立体的なビジョン(以下、『4Dビジョン』)を使った巨大な新作とか、『秩序がなくともピースは成り立つ』というホログラム群の作品、そして2017年の北京の展示会で発表した『花の森、埋もれ失いそして生まれる』(以下、『花の森』)とかを展示できるといいなと思っているよ。
今回は作品が動き出すんだ。作品は定位置に留まらず、自ら移動する。例えば、『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして超越する空間』(以下、『カラス』)のシリーズとなるような作品を創るんだけど、その作品は『カラス』の空間から飛び出していくんだ。飛び出した『カラス』の作品は、たとえば、『秩序がなくともピースは成り立つ』のホログラムの空間に行ったら、ホログラムで表現された『カラス』の新しいシリーズが始まる。あるいは「チームラボジャングル」でやった『Light Vortex』という光の線による彫刻シリーズの作品があるんだけど、その中に入っていくと光の線で表現された『カラス』が始まる。『4Dビジョン』のLEDのドットのなかに、『カラス』が入れば、光のドットでカラスが表現され、空間を立体的に飛ぶ。『カラス』が『花の森』の中を飛べば、『花の森』は『カラス』の影響を受ける。
そんなふうに、本当に作品の物理的な境界がないどころか、作品そのものが移動先の空間やメディアによって違う様相を見せる展示にしたいんだよ。
宇野 ある作品が他の作品に刺入することで作品間の境界が喪失する、というのはロンドン展からはじまったコンセプトだけど、今回はその発展形でひとつの作品が移動するごとに形態を変えていく。しかし、それは当然の進化だね。というかそうじゃないと本当はいけない。境界がなくなって自由になっても、そのことで自分が変わらないと意味がないのと同じだね。
猪子 これまでは、作品は、作家の思いが物質でできたモノに凝縮されていたわけだけど、デジタルアートは物質から分離され解放されたので、作家の思いは、モノではなく「ユーザーの体験そのもの」に直接凝縮させていくという考えで創っていくことができるのではないかと思っていて。そうなったときに、モノを博覧的に並べるのではない、もっと最適な空間や時間のあり方があると思うんだよね。たとえば人間は動くことがより自然であるから、人々の体験に直接凝縮させることが作品であるならば、作品自体も人々と同じように動いていてもいいと思うんだよ。あとは、人の時間は刻々と進んでいくのに、作品の時間は止まっていたり、映像だとカットが入ったりする。その時間が止まっていたり、映像でいうカットが時間の境界を生んでいると思っていて、その時間の境界もなくしていきたいんだよね。
宇野 言い換えると、従来の美術館アートとは、空間のコントロールだったわけだよね。つまり、人間がある位置からモノを見るという物理的な体験を提供する場で、突き詰めると、作品に反射した光を目がどう受け取るのかということでしかない。それに対して、チームラボは時間のコントロールを加えようとしてる。
そのときにポイントになってるのが、20世紀の映像文化、たとえば劇映画のように、作品の時間に人間を無理やり合わせてないことだと思う。チームラボの展示は、人間から能動的に没入しなくても、自由に動き回る僕らに対して作品側が食らいついてくるんだよね。これって、絵画がインタラクティブじゃないという問題に対する回答だと思う。ほら、猪子さんは『モナ・リザ』を引用した名言を残していたじゃない?
猪子 「モナ・リザの前が混んでて嫌なのは、絵画がインタラクティブじゃないから」ね。
参考:
猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第4回
宇野 そう。これは他の鑑賞者の存在で作品が変化していけばむしろ『モナ・リザ』の前は適度に混んでいればいい、という発想だったと思うのだけど、それは言ってみれば人間と人間との関係に対するアートとテクノロジーの介入なわけだ。対して、これらの作品はひとりひとりの固有の時間にもっと直接的にアプローチしているよね。人間と時間との関係に介入している。北京で展示した『花の森』がまさにそうで、「これもう観たっけ?」と思いながらウロウロする、あのとき僕らは通常の空間感覚を喪失して、さらには時間の間隔も麻痺しているのだけど、この「迷い」こそが作品体験になってるよね。
猪子 そうそう、作品と自分の肉体の時間が自然と同調して、その境界がなくなってほしい。ただ、自分の肉体の時間と境界を感じにくい時間軸の世界を作るわけだから、それってどこかで現実世界そのものになっていくんじゃないかな、とも思うんだけどね。
時間感覚に介入する意味とは
宇野 ここで猪子さんが時間に注目していることは、すごく重要だと思う。
何年か前、猪子さんが「21世紀に物理的な境界があるなんてありえない」と言っていたときから、このプロジェクトは始まっていたんじゃないかと思う。というのも現代って、モノが切断面や分割点になりにくい時代だと思うわけ。たとえば、工業社会においては、車やウォークマンを持っているかどうかで、その人のライフスタイルや世界の見え方はだいぶ違っていたはずなんだよ。
でも、いまはどちらかというと、「Googleをどう使うか」とかのソフトウェアの影響力の方が強くなってきている。そしてそれらがコントロールしているものは、究極的には人間の時間感覚だと思うんだよ。空いた時間をどう使うかとか、買い物に行く時間をAmazonで省略するとか。インターネットが出てきた瞬間に空間の重要性はぐっと下がったから。そんなふうに、いまはモノという空間的なものよりも、時間のほうが世界を分割していると思うわけ。
たとえば、ドッグイヤーとかいうじゃない? 東京やロンドンのような都市部の情報産業に勤めている人間と、ラストベルトの自動車工の人では全然別の時間感覚を生きていると思うんだよ。だからこそ、時間感覚に介入しないと境界線はなくならない。これはかなり本質的な変化だと思う。
猪子 なるほど。
宇野 あと、もう一つ付け加えるとするならば、時間はコピー不可能なんだよね。『モナ・リザ』という作品を何回も観たい人はいると思うけど、極端なことを言うと、もし記憶が永遠に続くなら一回観れば十分なわけじゃない? でも、チームラボの今回の展示って、時間感覚によって作品が変化するから、一回一回の体験が固有なものになる。
すでに理論上、我々は人間の網膜の認識よりも解像度の高い映像を作ることができる。それは複製技術ができた時点から始まっていたと思うんだけど、そうなったらますます美しい写真や映像のような、情報に還元できるものは希少価値を帯びなくなってくる。こんなことを言うと怒られるけど、僕らはもう『モナ・リザ』の現物とほとんど変わらないモノを、簡単に手に入れられるようになる。
そうしたときに、モノの持つアウラみたいなものは、ほとんど意味がなくなるんだろうと思う。だから、チームラボが時間感覚に介入しようとしているのは、すごく重要なことだと思うよ。
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