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文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。技術が「ジャンル」として確立されるには、そこに精神が宿らなければならない。最終回となる今回は、特撮を文化史として見つめ直してきた本連載の意義を改めて振り返ります。

終章 「エフェクトの美学」の時代に

技術に宿る精神

 特撮(特殊撮影)であれ、アニメーションであれ、もとは技術の名前である。この技術が「ジャンル」として確立されるには、そこに精神が宿らなければならない。そして、ジャンルの精神は一つの魂の独白からではなく、複数の魂の対話から生み出される。とりわけ特撮の「精神」は、円谷英二からその息子世代への伝達を抜きにして語ることはできない。

 ふつう世代論はもっぱらその世代に固有の体験を問題にする。それが書き手の私的体験と接続されると、しばしば他の世代にとっては退屈極まりない平板なノスタルジーに陥る(例えば、小谷野敦の『ウルトラマンがいた時代』はその典型である)。それに対して、私はむしろ世代と世代のあいだ、すなわち先行世代から後続世代への文化的な相続=コミュニケーションこそが重要だという立場から論を進めてきた。第三章で述べたように、もともと玩具作家であった円谷英二は、『ハワイ・マレー沖海戦』という「模型で作った戦争映画」において、ミニチュアの戦艦を戦時下の宣伝技術として利用した(その意味で、おもちゃの政治性は馬鹿にできない)。そして、ウルトラシリーズの作り手たちはこの「父」の遺産を改変しながら「子供を育てる子供」として巨大ヒーローと怪獣のドラマを作り出したのだ。

 もとより、二〇世紀の総力戦体制とはエンターテインメントを含むあらゆる領域を戦争に関わらせ、戦争の外部を抹消するシステムであり、円谷英二の特撮も結果的にその一翼を担った。ただ、ここで重要なのは、映像のモダニズム的実験としての特撮に挑戦した円谷の仕事が、大人のプロパガンダだけではなく子供のエンターテインメント(おもちゃや模型)とも接していたことである。アメリカのレイ・ハリーハウゼンやジョージ・パルの仕事が示すように、本来ならば特撮が子供向けのエンターテインメントに傾斜する必然性はない。にもかかわらず、日本の特撮の「精神」は子供を触媒として成長し、やがてウルトラマンという不思議な巨人を生み出した。この子供への傾斜にこそ戦後サブカルチャーの特性がある。

 私はここまで、戦前と戦後のあいだのメッセージ的不連続性とメディア的連続性に注目してきたが、それはウルトラシリーズという「子供の文化」に照準したことと切り離せない。大人の世界においては、戦後の日本は戦前の日本を反省し、それとは別の人格に生まれ変わらなければならなかった。しかし、円谷以来の子供向けのサブカルチャーは、戦前と戦後の溝を飛び越えて、軍事技術を映像のパフォーマンスとして娯楽化し、戦争の快楽を享受し続けた。特にウルトラシリーズの作り手たちはメッセージの次元では「戦後」の民主主義を左翼的に擁護しつつも、メディアの次元では「戦時下」のプロパガンダを右翼的に再現した。この種のイデオロギー的混乱は、特撮だけではなくアニメにも及ぶだろう(第四章参照)。子供という宛先は、大人向けの文化とは別のアイデンティティの回路を作り出した。しかも、その原点はやはり戦時下にまで遡ることができる。


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