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記事 21件
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第六章 オタク・メディア・家族 2 子供を育てる子供(1)【毎月配信】

    2018-02-13 07:00  
    540pt

    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。『少年マガジン』をオタク的な感性で総合化した大伴昌司が大きな影響を受けていたのは、『暮しの手帖』を編集し、家庭の「暮し」の向上を訴えた花森安治でした。一見対照的なイメージを持つ大伴と花森の間にある共通点を明らかにします。
    2 子供を育てる子供
    花森安治から大伴昌司へ
     以上のように、大伴昌司の情報化と視覚化の企ては、四至本八郎譲りのテクノロジー志向に加えて、アメリカのグラフ誌、戦争報道とともに成長した画報、児童向けの絵物語や絵本、マルチチャンネルのテレビといった諸々のメディアを背景としながら、サブカルチャーのオタク的受容(情報化/二次創作化)の下地を整えた。と同時に、大伴の原点にはオタク的な虚構愛好とは異なるドキュメンタリーやジャーナリズムへの関心があった。彼は一九七〇年には「一日も早く、『タイム』『ライフ』のような巨大なウィクリーが、少年週刊誌のなかから現われるよう努力します」という抱負を記した年賀状を送っている[27]。オタク的な二次創作(編集)の欲望と非オタク的な報道(記録)の欲望が交差したところに、つまりジャーナリスティックなオタクであったところに、彼の仕事のユニークさがあった。
     さらに、ここで強調したいのは、大伴が先行する雑誌編集者を意識していたことである。例えば、大伴にまつわる証言を集めた『証言構成<OH>の肖像』(一九八八年)の執筆者は、彼が「『アサヒグラフ』の伴俊彦を尊敬し、『新青年』的モダニズムの機知を感じさせる伴のエディトリアル・シップに学ぼうとしていた」ことを指摘しつつ、こう続ける。

    大伴が、すぐれたエディターとして尊敬していた人物には、ほかに『暮しの手帖』の花森安治(故人)と『週刊朝日』時代の扇谷正造(評論家)がいる。彼は後に『少年マガジン』で日本人の戦争中の生活を特集したとき、『暮しの手帖』を意識したレイアウトをして、見出しも花森安治ふうの手書きのレタリングにした。特集の発想そのものも、暮しの手帖刊『戦争中の暮しの記録』と同じだった。[28]

     『暮しの手帖』の創刊者である花森安治は一九六九年の『戦争中の暮しの記録』で、戦時下の衣食住の様子を再現しつつ、戦争体験者から寄せられた多くの手記を収録した。それを受けて、大伴は翌七〇年に『少年マガジン』の特集で「人間と戦争の記録 学童疎開」と銘打って、自分もその一員である「少国民世代」(小学生時代に愛国主義教育を受けた世代)の疎開先での体験を、読者からの投稿をまじえて再現した。その後も、大伴は『暮しの手帖』をパロディ化した「料理の手帖」という特集を組んだ。
     むろん、花森と大伴の振る舞いは一見すれば対照的である。花森が長髪でスカート(実際は半ズボンかキュロットであったという説もある)を穿いた異性装者として自己演出しながら、家庭の「暮し」の向上を訴えたメディア・アイコンであったのに対して、大伴は自らを「構成者」や「企画者」のような裏方に留めながら、家庭人とは真逆の男性オタクの源流となった。誌面のデザインについても、花森の『暮しの手帖』が原弘らの新活版術運動にも通じる「タテ組みのうつくしさ」(津野海太郎)を発明したのに対して[29]、大伴の『少年マガジン』の特集は垂直的な軸を見せるよりも、絵と文字を平面的に組み合わせることを選んだ。
     にもかかわらず、この両者は「大人の男性の社会人」ではなく、会社組織に属さないいわゆる「女子供」に呼びかけて、その知識や技術の教育に注力したという一点で重なりあう。ちょうど円谷英二が「貧者の技術」として特撮を利用したように、花森は『暮しの手帖』で乏しい素材で生活をやりくりする技術を読み手に教え、大伴は『ウルトラマン』の二次創作を介して子供たちに怪獣の遊び方、いわば「オタクの暮し」のモデルを提供した。花森と大伴はともにたんに敏腕の編集者であっただけではなく、受け手にも自らの生活世界を「編集」する能力を与えたのだ。
     そもそも、戦前の講談社の『キング』のモデルになったのがアメリカの婦人雑誌『レディース・ホーム・ジャーナル』であったことを思えば[30]、戦後の『暮しの手帖』が講談社の『少年マガジン』の先行者になったのも決して不思議ではない。大衆消費社会の最前線に生きる編集者として、花森と大伴はそれぞれ「女性」と「少年」という宛先を出版メディアの進化の担い手に変えてみせた。してみれば、大伴昌司をオタク化した花森安治と呼んでも、あながち言い過ぎではないだろう。
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第六章 オタク・メディア・家族 1 大伴昌司のテクノロジー(2)【毎月配信】

    2018-01-23 07:00  
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    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。60年代末に大伴昌司が試みた、対象をヴィジュアル化・カタログ化する手法から、〈情報〉による世界把握の欲望の発生、そして後に全面化するオタク的想像力の萌芽について論じます。
    情報論的世界把握の原型
     このように、内田と大伴は「テレビの擬態」によって、六〇年代後半の『少年マガジン』を領域横断的な「総合雑誌」に変えた。後述するように、七〇年代以降の日本のヴィジュアル化した雑誌はファッション、音楽、アイドル、ポルノグラフィ等に機能分化していくが、『少年マガジン』はその分化の起こる一歩手前で、社会の「全体性」をカタログ化し、若い読者たちを教育しようとした。子供という宛先が強い文化的統合力を獲得したこと――、そこにこそ特撮も含めた戦後サブカルチャーの最大の特性があると言っても過言ではない。 ところで、大伴の強調した「情報」という概念は、世界把握の仕方そのものを変容させるものでもある。すなわち、情報論的な観点から言えば、世界はデータとして細かく分割できるし、また一度データ化してしまえば、そこに相互の関係性(メタデータ)を発見することもできる。有機的なまとまりを分解して断片(データ)の集積に変えた後、その断片どうしの関係から新たな意味を生じさせる――、情報社会ではこのような了解のステップが一般化するだろう(なおエドワード・スノーデンが告発したように、この了解の形式はそのまま大規模な「監視」の技術として展開されている)。 あらゆる対象を詳しくデータ化(解剖!)し、それらを大胆に統合する大伴の手法は、まさに情報論的世界把握の原型を示している。大伴が「オタク」の源流と言われる原因も、この情報の断片へのフェティシズムにある。なぜなら、後のオタクたちも作品の物語やメッセージ以上に、キャラクターの設定やデザインに強いこだわりがあったからだ。 例えば、東浩紀は一九六〇年前後生まれのオタク第一世代に見られる心理として、社会的には無意味なものにあえて耽溺するという「スノビズム」を挙げる一方、オタク系文化の主流が一九九五年頃を境にして、従来のスノビズムから、キャラクターの設定やデザインを集めた「データベース」の消費へと移行したと論じている。東の考えでは、九〇年代のアニメを代表する『エヴァンゲリオン』は「視聴者のだれもが勝手に感情移入し、それぞれ都合のよい物語を読み込むことのできる、物語なしの情報の集合体」として受容されていた[15]。 もっとも、このような現象は九〇年代に突然始まったわけではない。大伴の仕事はすでに六〇年代後半の時点で、スノビズムとデータベース消費の両方にまたがっていた。架空の怪獣の解剖図を真剣にでっちあげた大伴は、無意味なものに価値を与える「オタク的スノッブ」の典型だが、その「設定」へのフェティシズムにおいては、世界のデータベース的(情報論的)な把握を示す。現に、彼の『怪獣図鑑』はウルトラシリーズを「情報の集合体」に読み替えてしまった。現実も虚構も関係なく、あらゆる対象をひとしなみにヴィジュアルな情報として配列した『少年マガジン』の誌面もまた、情報データベースの原型だと言えるだろう。
    「記録の時代」の編集者
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第六章 オタク・メディア・家族 1 大伴昌司のテクノロジー(1)【毎月配信】

    2018-01-16 07:00  
    540pt

    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。60年代末の少年マガジンで、図解による怪獣文化の「情報化」を試みた編集者・大伴昌司。その多彩な活動を追いながら、小松左京や眉村卓らSF作家たちと特撮の関わりについて論じます。
    第六章 オタク・メディア・家族
     日本の特撮史においては、円谷英二および円谷プロが決定的に重要な位置を占めている。「特撮の神様」と評された円谷に匹敵する名声を得た日本人の特撮作家はいない。このことは、戦時下の政岡憲三や瀬尾光世以来、手塚治虫を経て、高畑勲、宮崎駿、富野由悠季、押井守、庵野秀明といった優れた作り手たちが、戦争を主題化しながら、あたかもお互いを批評しあうようにしてジャンルを成長させてきたアニメとは、ちょうど対照的である。
     ただし、それは円谷の「遺産」が貧困であったことを意味しない。六〇年代の円谷プロは特撮テレビ番組という当時の映像のフロンティアにふさわしく、雑多な才能の集合した「梁山泊」であった。したがって、その関係者の活動範囲も特撮だけに留まらず、しばしば多くの分野にまたがっていた。そのなかでも、ともに一九三六年生まれの編集者・大伴昌司と脚本家・佐々木守は六〇年代後半以降、メディアを横断する幅広い仕事を手掛け、後の「オタク」ないし「新人類」の先駆者となった興味深い存在である。円谷プロの特撮が出版メディアにも刺激を与えながら図らずもオタク文化の下地を作ったことは、ここで改めて強調しておきたい。ウルトラシリーズはたんに日本のテレビ史に残る特撮ドラマであっただけではなく、サブカルチャーのオタク的受容を組織した作品でもあるのだ。
     そして、先駆者とはえてして、フォロワーにおいては失われていくような「過剰さ」を抱え込んだ存在である。私はここまで、生粋のホモ・ファーベルである円谷英二が、戦中と戦後を通じて「非転向」の技術者として活躍したのに対して、その息子世代に当たる上原正三らが特撮という「技術」のなかに、屈折した政治性を導入したと述べてきた。上原とほぼ同年齢の大伴昌司も、少年誌の特集を企画するなかで「情報化」に早くから注目した一方、単純な技術的合理性には収まりきらないものも抱え込んでいたように思える。では、この「息子」の世代から「父」の円谷英二とも「孫」のオタク第一世代とも異なる、いわばオルタナティヴなオタク像を引き出すことは可能だろうか?本章では大伴と佐々木を出版メディア史のなかに位置づけながら、この問いを掘り下げてみよう。
    1 大伴昌司のテクノロジー
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第五章 サブカルチャーにとって戦争とは何か 2 敵を生成するサブカルチャー(2)【毎月配信】

    2017-12-19 07:00  
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    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。無邪気なアナクロニズムの結晶『宇宙戦艦ヤマト』や「敵」の姿を克明に描いた『機動戦士ガンダム』など、戦争映画と特撮の後継者としての日本の戦後アニメーションに宿った身体性について語ります。
    アニメにおける敗戦の否認
     その一方で、サブカルチャーの歴史を広く見ると、ちょうど『ウルトラマンレオ』放映中の一九七四年を大きな転換点として、特撮からアニメへと「戦争の物語」の中心が移ったことが分かる。この年には一九三四年生まれの西崎義展がプロデューサーを、金城哲夫や石ノ森章太郎と同じ一九三八年生まれの松本零士が監督を務めた『宇宙戦艦ヤマト』がテレビ放映され、その後の日本アニメの礎を築く画期的なブームを巻き起こした。
     この軍事的なアニメ作品では、日本人の集団心理的な屈辱が栄光に変えられる。放射能汚染された地球を救うために、若い主人公の軍人たちは宇宙戦艦として蘇った戦艦ヤマトに乗り込んで「敵」であるガミラス人と宇宙海戦を繰り広げながら、慈母のような女性の住むイスカンダル星へと放射能除去装置(コスモクリーナー)を受け取りに赴く――、ここには敗戦国日本のトラウマを女性(母)からの承認によって解消しようとする動機がうかがえるだろう。日本の惨めな敗戦を象徴する二つの悲劇(原爆投下による放射能汚染と大艦巨砲主義の挫折)は、このSF的なファンタジーのなかで反転し、むしろ日本人に国際的な栄冠を授けるきっかけとなる。黒光りする巨大な男根のような宇宙戦艦は、まさに敗戦を「否認」しようとする露骨な欲望の結晶体であった。
     私は第二章でウルトラマンと怪獣の闘いは「子供から見た戦争」だと記したが、それは西崎や松本らの生み出した『ヤマト』にも当てはまる。そもそも、太平洋戦争で沈んだ巨艦によって宇宙を旅行するとは、あまりにも荒唐無稽で子供じみたアイディアである。それに「大人」の戦争の世界では、大袈裟な巨砲を備えた戦艦そのものがすでに過去のものであった。例えば、成田亨は円谷プロ製作の特撮テレビドラマ『マイティジャック』(一九六八年)の主役たちが乗り込むM・J号を重巡洋艦「愛宕」を参考にしてデザインしたが、その設計思想について後にこう語っていた。
    万能戦艦M・J号のデザインは、当時の世界の海軍の動きに合わせて描きました。まず、レーダーが発達して今までの高い櫓の司令塔が不要になり、ミサイルの発達によって巨砲が不要になり、つまり、戦艦不要の時代に入っていました。空母主体の機動部隊に巡洋艦が旗艦でついているという時代でした。この巡洋艦の形態に空母的性格も加え、自ら飛ぶというので、こんな形をデザインしました。[25]
     成田は巡洋艦の形態をアレンジしながら、世界の軍事的先端に合わせたデザインを目指した。にもかかわらず、日本のサブカルチャー史の画期となったのが『マイティジャック』ではなく、成田の言う「戦艦不要の時代」に完全に逆行した『宇宙戦艦ヤマト』であったのは、きわめて皮肉なことである。このアナクロニズムの勝利はまさに大人に対する子供の勝利であり、特撮に対するアニメの勝利でもあった。
     もっとも、後続のアニメ作家は『ヤマト』のデザインには必ずしも満足しなかった。例えば、一九七九年に『機動戦士ガンダム』を世に送り出すことになる一九四一年生まれの富野由悠季は『宇宙戦艦ヤマト』第四話のコンテを担当した際に、強い違和感を覚えたことを述懐している。「西崎さんの世代の持っているメカニック感みたいなものが陳腐過ぎて、僕にはとてもじゃないけれど許容出来なかったんですが、それでコンテをストーリーごと全部描き直しちゃったんです」[26]。富野にとって、西崎ら先行世代のもつメカニックの感覚は耐え難いものであり、実際『ガンダム』の兵器のデザインは『ヤマト』に比べて格段に充実している。だとしても、『ヤマト』の無防備なアナクロニズムと子供じみた欲望が、戦後のアニメのなかに架空の「戦争」を強力なテーマとして招き入れたことは間違いない。
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第五章 サブカルチャーにとって戦争とは何か 2 敵を生成するサブカルチャー(1)【毎月配信】

    2017-12-05 07:00  
    540pt

    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。日本の戦争映画が描いてこなかった「敵」は、特撮という技術を経て「怪獣」という姿で「発見」されることになりました。その後の怪獣の描かれ方を通じて、ウルトラシリーズにおけるイデオロギーの混乱と屈折、そしてその継承者としての庵野秀明に光を当てます。
    2 敵を生成するサブカルチャー
    戦争映画から怪獣映画へ
     アメリカのプロパガンダ映画と比較すれば、日本映画は明らかに敵の映像的理解という仕事を軽視していた。それどころか、日本の戦争表象はときに人間としての敵とのコミュニケーションの代わりに、人間不在の環境を際立たせるという奇妙な傾向すら示してきた。この「敵の非人間化」という欲望が戦時下の亀井文夫、円谷英二、藤田嗣治から戦後の押井守まで広範に見られることは、ここまで述べた通りである。
     振り返ってみれば、敗戦後に多くの傑作を生み出した日本映画のなかで、戦争映画の存在感は大きいものではなかった。名だたる巨匠たちも実写の戦争映画からは距離を置いた。戦中に兵役を逃れた黒澤明が、戦後は一連の時代劇映画によって「世界のクロサワ」となった一方で、二〇世紀の戦争を主要なテーマとしなかったのは、その最も象徴的な事例である(彼は一九六〇年代末に、真珠湾攻撃を題材とした日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』に日本側の監督として参加したが、結局降板した)。あるいは、中国戦線に兵士として従軍した小津安二郎にしても、戦後はミニマルな家族映画のなかに戦争の記憶を暗示的なサインとして忍び込ませるに留めた[19]。
     逆に、D・W・グリフィス監督以来のアメリカ映画の巨匠たちは戦争映画と切り離せない。フォードやキャプラのプロパガンダを見れば、映画そのものが軍事力であったことは一目瞭然である。「戦争は政治の延長」というクラウゼヴィッツの有名なテーゼをもじって言えば「映画は戦争の延長」なのだ。戦後においても、キューブリック『フルメタル・ジャケット』、コッポラ『地獄の黙示録』、スピルバーグ『プライベート・ライアン』、イーストウッド『父親たちの星条旗』及び『硫黄島からの手紙』等から、ごく最近ではクリストファー・ノーラン『ダンケルク』――ノルマンディーへの凄惨な「上陸」作戦から始まる『プライベート・ライアン』の構図を反転させ、ダンケルクからのイギリス軍の撤退という「離岸」をテーマとする――に到るまで、アメリカの巨匠は二〇世紀の戦争を再現し続けてきた。それは戦後日本の戦記映画の作家性が総じて希薄であることと好対照をなしている。
     とはいえ、言うまでもなく、日本の映像文化全体が戦争に無関心であったわけではない。結論から言えば、戦後日本においては、アメリカであれば実写の戦争映画として描かれるようなテーマが、むしろ特撮やアニメのようなサブカルチャーにおいて開花したように思える。敗戦国である日本は作品世界の虚構化という手続きを経て、ようやく戦争というテーマを自由に展開することができた。例えば、文芸批評家の加藤典洋は『ゴジラ』を戦争映画の変種として捉えている。
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第五章 サブカルチャーにとって戦争とは何か 1 敵のいない戦争映画(2)【毎月配信】

    2017-11-21 07:00  
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    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。日本の戦後サブカルチャーと「戦争」について論じた前回に続いて、今回は「敵」が消滅した日本の戦記映画の特徴を、アメリカのそれと比較しながら語ります。
    敵を抹消する技術
     戦後になっても、国策映画におけるホモソーシャルな友情は、政治的に無害な美学として受け入れられた。山本や円谷とともに出席した一九六八年の座談会で、森岩雄が『加藤隼戦闘隊』について「よくできていますね。米英がどうなんて言葉は一つもないし、加藤隼戦闘隊長と隊員との間の人間的つながり、戦争に対する人間的なつながりというものを描いていますね」と評したのは、製作者自身の牧歌的な意識をよく示すものである[9]。この見方そのものは正しいとはいえ、それは「戦争映画」としてはひどく奇妙なものだと言わねばならない。『加藤隼戦闘隊』は確かに円谷の特撮を介して男たちの「人間的つながり」を強調していたが、それは敵の抹消と表裏一体なのだ。コミュニケーションの範囲は「友」に限定され、「敵」には及ばない。
     このような傾向は、円谷が特技監督を務めた戦後の東宝の「戦記映画」でも変わらなかった。一九五〇年代から六〇年代にかけて製作された『太平洋の鷲』、『さらばラバウル』、『太平洋の嵐』、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』等では、いずれも男どうしの絆が強調されている。なかでも松林宗恵監督の『太平洋の嵐』(一九六〇年)は円谷の特撮によって真珠湾攻撃を再現しつつ、ミッドウェー海戦で戦死した日本の軍人たちに、海底に沈む生霊のような姿を与えた。それは一種の「鎮魂」の映画ではあるが、日本が何のために戦争をしたのかは語られず、アメリカという敵の論理にも関心が払われない。
     考えてみれば、これらの「太平洋」を冠した一群の戦記映画のタイトルは、一九四五年十二月に「大東亜戦争」の使用を禁止し「太平洋戦争」という新しい呼称に置き換えたGHQの占領政策にきわめて忠実である(江藤淳によれば、この名称の変更は「戦争に託されていた一切の意味と価値観」の変造を伴っていた[10])。ゴジラやモスラから『ウルトラマン』のゴモラに到る特撮の怪獣たちも「大陸」ではなく「太平洋」に出自をもつが、これも占領下の概念操作と無関係ではない。しかも、『太平洋の鷲』や『さらばラバウル』の空戦場面は、米極東空軍司令部から戦時の映像を借りて作られていた。戦後の日本映画は、勝者のアメリカから与えられた戦争名と地域と映像によって、自分たちの戦争を総括せざるを得なかった。
     大島渚は「敗者は映像を持たない」という七〇年代前半の刺激的なエッセイのなかで「私たちの映像の歴史は、どんな映像が存在したかということより、どんな映像が存在しなかったかということの歴史なのである」と鋭く指摘している[11]。このような「映像の不在」への注目は、日本の特撮映画について考えるときにも必須だろう。『ハワイ・マレー沖海戦』以来のスペクタクル的な特撮の背後には、敵の現実を映像化することへの徹底した無関心が潜んでいた。円谷の技術は軍艦や戦闘機を魅力たっぷりに再現することによって、かえって人間としての敵を抹消してしまったように見える。
     さらに、戦後の戦記映画になると、実写(現実)と特撮(虚構)のバランスが崩れていくことも見逃せない。円谷自身が不満を漏らしているように、『ハワイ・マレー沖海戦』では飛行機や航空母艦の実写撮影を使用できたのに対して、戦後の東宝の『太平洋の鷲』や『太平洋の嵐』になると、本物の兵器ではなくセットが主になり、かつ予算やスケジュールにも制約があったため、演出上の「チグハグな面」が露呈してしまった[12]。押井守が戦争の虚構性を訴えるまでもなく、そもそも特撮戦記映画というジャンルそのものに、トリック映像の不自然さを隠し損ねた面があったわけだ。逆に、乾いたスピーディな演出を得意とした岡本喜八監督が、東宝の『激動の昭和史 沖縄決戦』(一九七一年)のような戦記映画で独自の作家性を確立し得たのは、チグハグになりかねない戦闘場面をリズムやテンポの力で巧みに処理したからではないか。
    戦争画と戦争映画
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第五章 サブカルチャーにとって戦争とは何か 1 敵のいない戦争映画(1)【毎月配信】

    2017-11-08 07:00  
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    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。ウルトラシリーズからはじまり、特撮と映画について語ってきた本連載。今回からはアニメーションに議論を広げながら、戦後サブカルチャーにとっての「戦争」を論じます。
    第五章 サブカルチャーにとって戦争とは何か
     私はここまで、ウルトラシリーズを近代とポストモダンの端境期に位置づける一方(第一章)、地理的想像力(第二章)、技術志向(第三章)、虚構的ドキュメンタリー(第四章)という三つの切り口から、日本の特撮の文化史的座標を測定してきた。そのなかで戦前・戦中の映画にも何度も言及してきたが、それは昭和の特撮文化が戦争と切り離せないためである。  円谷英二とその息子たちは、戦争の記憶とイメージを子供向けの「商品」に変換して、戦後日本社会に継承したと言えるだろう――ちょうど円谷が川上景司とともに冒頭の空襲パートを担当した松竹の大庭秀雄監督のメロドラマ『君の名は』(一九五三年)において、戦時下の男女の約束が「忘れ得ぬもの」として戦後に持ち越されたように。しかも、この種の商品化された仮想の戦争は、ウルトラシリーズから『宇宙戦艦ヤマト』、富野由悠季、宮崎駿、押井守、庵野秀明らのアニメに到るまで、戦後サブカルチャーの映像表現の中核にある。「戦争をどう描き、どう商品化するか」という課題は、特撮やアニメという娯楽産業にとって大きな試金石となった。日本のオタク文化の母胎もこの軍事テクノロジーの娯楽化にあったのは明らかである。  惨めな敗戦国であるにもかかわらず、あるいは敗戦国のコンプレックスゆえにこそ、戦後のサブカルチャーは膨大なエネルギーをつぎ込んで、軍事的なイメージを増殖させてきた。戦時下のプロパガンダ映画から戦後の怪獣映画やウルトラシリーズまでが一直線に繋がっていく円谷の特撮は、まさにその原型である。そして、この軍事的な想像力によって、もともと子供向けの商品であるはずの特撮やアニメにはしばしば政治性やイデオロギー性が吹き込まれてきた(その影響は海外にも及ぶ――私が直接見た範囲だけで言っても、近年香港で民主化運動に参加している若者の一部は『機動戦士ガンダム』や『進撃の巨人』をモデルにして自らの行動を了解していた)。日本人はもはや違和感を覚えることもないだろうが、これは本来かなり異常な光景である。  ウルトラシリーズを含めて日本のサブカルチャーは、戦後の平和のなかで好戦的かつ暴力的な想像力を解き放ってきた。この「異常さ」について考えるには、サブカルチャーにとって戦争とは何かという厄介な問いに向き合わねばならない。その場合、特撮とアニメという「兄弟」を分離せず、同じ土俵で扱うことも必要になってくるだろう。本章では特撮とアニメ、映画とテレビドラマを横断しながら(1)円谷らの手掛けた戦時下の国策映画の戦争表象について論じた後(2)戦後サブカルチャーがその戦争表象に何を付け加え、いかなる政治性をまとったのかを考えていく。それはたんに虚構作品の分析に留まらず、二〇世紀の日本人にとって戦争とは何であったかを考える一助になるはずだ。
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第四章 風景と怪獣 2 ウルトラマンの風景(2)【毎月配信】

    2017-10-17 07:00  
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    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は時代の転換点となった大阪万博的な風景と結びつけながら、鬼才として知られる実相寺昭雄監督の目線に迫ります。
    子供のメタフィクション
     思えば『ウルトラQ』の第一話では、高速道路というインフラの工事が太古の恐竜を呼び覚ました。「怪獣殿下」のエピソードはこの「工事中の日本」というモチーフを、万博前夜の日本の団地のなかに呼び出しつつ、中流の子供と共犯関係を結んだ。『ウルトラマン』は産業社会の環境を養分とする怪獣たちを浮上させる一方、郊外の未完成のインフラにも目配りしていたという意味で、六〇年代後半の過渡的な「風景」をよく示している。  この共犯関係は、ジェロニモンやレッドキングをはじめ多くの怪獣が登場する『ウルトラマン』の第三七話「小さな英雄」にも認められる。この物語はピグモンが銀座の松屋のおもちゃ売り場に出現し、人間に警告を発する場面で始まるが、面白いことにそこにはウルトラ怪獣のおもちゃが陳列されていた。これは現代ふうに言えば、アニメの主人公が自分の二次創作の売られているコミケを散策するような、ひどく奇妙な演出である。そこでは、作品世界(虚構)と作品を消費する世界(現実)が地続きになっていた。そもそも、この「小さな英雄」というエピソードそのものが、人気怪獣たちを復活させ、いわば巨大な「おもちゃ」のように闘わせるサービス心旺盛な物語であった。  作り手側が『ウルトラマン』の消費される現実世界を作中に取り込んでしまうこと――、これは一見するとメタフィクション的な実験に見えるが、脚本を担当した金城も含めて、作り手は恐らくそこまで凝った考え方はしていなかっただろう。『ウルトラマン』が複製可能な「商品」(ウルトラマンのお面や怪獣の人形)であるということは、彼らにとってごく自然な認識であったのではないか。通常のメタフィクションが現実と虚構の境界線を意識しつつ、虚構の虚構性を暴き立てるものだとすれば、『ウルトラマン』は現実と虚構を気軽に繋げてしまう「子供のメタフィクション」だと言えるかもしれない。
     逆に、続く『セブン』では子供の出番そのものが少なくなり、「怪獣殿下」や「小さな英雄」に見られた無防備なメタフィクション的性格も希薄になる。『セブン』は総じて現実(作品外)と虚構(作品内)をきっちりと分けて、物語を自律させようとした。だが、その後のウルトラシリーズは再び、自らが子供のおもちゃとして消費されているという状況に回帰する。なかでも、市川森一脚本の『A』の最終話は、ウルトラマンごっこをして遊ぶ子供の信頼を獲得するために、主人公の北斗星司が兄貴分として自らの正体を明かすという象徴的なエピソードであった。繰り返せば、このメタ的な演出は表現上の実験というよりは、むしろ作品の向こう側にある子供の消費者共同体との絆の再確認と考えるべきだろう。
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第四章 風景と怪獣 2 ウルトラマンの風景(1)

    2017-10-03 07:00  
    540pt

    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。映画の時代の作品であった『ゴジラ』シリーズから、テレビの時代へと移り変わった先に登場した『ウルトラマン』における怪獣の変化について論じます。
    2 ウルトラマンの風景
     私はここまで、戦後の特撮文化における「怪獣」の源流として、ドキュメンタリー志向と崇高の美学を挙げてきた。ドイツでも日本でもソ連でも、戦時下のプロパガンダ映画はドキュメンタリー的方法論やモンタージュを活用しながら、技術の最先端を走っていた。その尖兵であった円谷英二は、日本的な約束事の美から離れて、人間を圧倒する崇高な火山や嵐をスペクタクルとして作り出す。その後、戦後の円谷と本多猪四郎の共同作業において、虚構的ドキュメンタリーの対象は自然災害のような怪獣へと横滑りしていった。そして、これから論じるように、テレビの時代に入ると、さらなる新しいタイプの怪獣が風景とともに「記録」されることになる……。  ところで、日本でドキュメンタリー的手法が活発化したのは、戦時下における劇映画のニュース映画化という局面だけではない。戦後にも何度かドキュメンタリーに注目が集まった時期がある。特撮との関わりで、ここでは二つの時期を挙げておこう。
    ドキュメンタリーとジェンダー
     第一に重要なのは、一九五〇年代頃における「記録」への関心の高まりである。この時期に岩波映画製作所は、中谷宇吉郎の関わった科学映画『凸レンズ』(一九四九年)をはじめとして多くの記録映画を生産し、映画評論もその流れに呼応した。なかでも、一九五八年から六四年まで刊行された記録映画作家協会の機関誌『記録映画』は、花田清輝、安部公房、吉本隆明、針生一郎、寺山修司、東松照明、武満徹、大島渚といった錚々たる言論人を登場させるとともに、クラカウアーやヨリス・イヴェンスの論考も翻訳・紹介するという具合に、海外の映画の動向も含めて「記録」を問い直そうとする意欲的な雑誌であった。この雑誌に学生アルバイト編集者として参加していた佐々木守は、日仏のヌーヴェルヴァーグの映画も念頭に置きながら「昭和三十年代はいわばドキュメンタリーの時代であった」と総括している[23]。  東宝特撮映画も「ドキュメンタリーの時代」と無縁ではなかった。例えば、『ゴジラ』の公開された一九五四年は、ダムの建設過程をつぶさに記録した岩波映画最大のプロジェクト『佐久間ダム』第一部の公開年でもあった。土木現場における岩山と掘削機械の強烈なぶつかりあい、人間を圧倒する物質的崇高の感覚、そして建設映画の劇伴を得意とした伊福部昭の音楽の効果もあって、この記録映画は『ゴジラ』の分身という印象を与える[24]。本多のドキュメンタリー志向は、戦時下の記録映画を変形的に継承したものであるだけではなく、同時代の「記録への意志」にも裏打ちされていた。  さらに、ジェンダー論から見て興味深いのは、六〇年代初頭の東宝特撮映画において、カメラを手にした記録する女性たちが重要な役割を果たしたことである。例えば、『モスラ』における新聞社の女性カメラマン花村ミチ、あるいは『ガス人間第一号』における新聞記者の甲野京子はそのアクティブな行動力によって、異常現象をジャーナリスティックに解明する原動力となった。後の『ウルトラQ』第一話で「写真ですわデスク、写真に撮れば一目瞭然!」と言って飛び出していく新聞社のカメラマン江戸川由利子は、まさにこの東宝特撮映画における女性ジャーナリストの系譜に属している。ウルトラシリーズはその出発点において「ドキュメンタリーの時代」の想像力を引き受けながら、カメラを女性の主体化のための道具として用いていた。
     折しも同じ東宝映画では、林芙美子を主人公とした成瀬巳喜男監督の『放浪記』(一九六二年)が、女性による「書くこと」を否定的に取り上げていた。この映画は、同棲していた作家志望の男性(演者は『ゴジラ』に主演した宝田明)に散々苦労させられた女性作家の林(高峰秀子)が、売れっ子になった後も深刻な疲労感に襲われるシーンで閉じられる。実在の林は三〇年代後半以降、中国大陸や東南アジアのルポルタージュによって、まさに「ドキュメンタリー作家」として自己を主体化していったのだが、成瀬はそのような活躍には触れず、むしろ書けば書くほど自分を見失って、正体不明の倦怠に包まれていく不幸な女性作家として林を描き出した。「書くこと」や「記録すること」を介した女性の主体化という林芙美子のプログラムは、成瀬映画において意地の悪いやり方で損耗させられたのだ。  したがって、本多と円谷の特撮映画が「記録する主体」としての女性を活躍させたことは、成瀬映画と好対照をなすものであり(『ゴジラ』でもオキシジェン・デストロイヤーの威力を「目撃」したのは、芹沢以外には河内桃子演じる山根恵美子だけであった――この怪獣映画は観客を感情移入させるのに女性の眼と声を効果的な媒介として用いている)、『ウルトラQ』もその延長線上にある。もっとも、その後の昭和のウルトラシリーズでは、女性隊員はサラリーマン組織の「紅一点」としておおむね通信担当に押し込められ、その保守性はフェミニズム的な視点から揶揄されもしたのだが[25]、少なくとも「ドキュメンタリーの時代」の東宝特撮映画の女性像には、むしろ同時代の成瀬映画よりも楽天的かつ進歩的な一面があったと言えるだろう。
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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第四章 風景と怪獣 1 虚構的ドキュメンタリーの系譜(2)【毎月配信】

    2017-09-19 07:00  
    540pt

    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。円谷が「モダニズム的な飛行機」を愛しながら「反モダニズム的な怪獣」を共存させた流れを追いながら、その後継者としての宮崎駿についての議論を通じて、戦後日本の美学を「怪獣の時代」として総括します。
    円谷英二と「崇高」な国策映画
     ところで、本多が「記録」にこだわったのは必ずしも彼個人の趣味に留まるものではない。なぜなら、『太平洋の鷲』や『ゴジラ』を支えたドキュメンタリー志向は、すでに戦時下の日本映画において高揚していたからだ。特撮には大正期の枝正義郎らによる映画的技術の探求から戦時下のプロパガンダに到る発展のプロセスがあったが、ドキュメンタリー(記録映画)も戦争をきっかけにして大きく飛躍した。特撮とドキュメンタリーはともに、戦争を苗床として成長した「技術」なのだ。  そもそも、大切な家族を戦地に送り出した戦時下の観客にとって、身内が映っているかもしれないドキュメンタリーやニュース映画は戦場とのかけがえのない「絆」となった[14]。このきわめて真剣で注意深い観客の登場、さらに戦争のもたらす知覚的なインパクトのために、ドキュメンタリーは劇映画の想像力を凌駕するようになった。例えば、今村太平は一九三九年に、亀井文夫監督の『上海』や『南京』、内田吐夢監督の『土』、田坂具隆監督の『五人の斥候兵』といった同時期の記録映画――当時は「文化映画」(ドイツ語のKulturfilmの訳語)と呼ばれた――に言及しながら、こう述べている。
    最近の日本映画の大きな問題はやはり記録と劇の問題である。記録映画的方法は主として事変ニュースを土台としてにわかに発展した。多くの劇映画は、戦争ニュースにとりまかれることによって急にみすぼらしくなった。[15]
     三〇年代後半以降、ドキュメンタリー的手法は劇映画に着々と「浸潤」していった。本多の師匠の山本嘉次郎監督も、生まれたての仔馬の立ち上がる経過を高峰秀子演じる少女の家族がじっと見守る『馬』の印象的な一場面から、戦争ニュースと劇映画を融合させた『ハワイ・マレー沖海戦』の爆撃シーンに到るまで、戦時下の東宝で撮った映画では事実の記録というポーズを手放さなかった。『ゴジラ』の源流の一つは、これらの動物や戦争を題材とした「記録映画」にあるだろう。  この時期のドキュメンタリーの活性化は、日本に限らず世界的な傾向である。特に、ナチスの対外宣伝に貢献したレニ・リーフェンシュタールの映画は、事実の記録を華麗な映像詩に仕立てた。ヒトラーに感銘を与えたリーフェンシュタールの監督・主演作品『青の光』(一九三二年)には、水晶や山岳をモチーフとするドイツ・ロマン派的な美学に加えて、戦時下の円谷英二が「青空にそびえ立つポプラの葉裏がきらきら光る並木道を静かに駅馬車の通う感傷的な場面」と評したさり気なくも美しいシーンがある[16]。風景の「自生的」な立ち現れを鋭く捉える、彼女のこのリュミエール的な技術は、やがてナチズムの美学として組織化され、ナチスの党大会を記録した『意志の勝利』(一九三五年)やベルリン・オリンピックの記録映画である『民族の祭典』(一九三八年)を――すなわちドイツの力と美をアピールする「全体主義芸術」の最大の成功例を――生み出すことになる。  さらに、円谷自身の特撮も『ゴジラ』以前に「崇高」な風景に関わっていた。リーフェンシュタールの師であり、ナチスの支持者であったアーノルド・ファンク監督の日独合作映画『新しき土』に参加した円谷は、バックグラウンド・プロジェクションのかつてない多用によって、早川雪洲、小杉勇、原節子ら主要キャストを現地に連れて行くことなく、ある程度までスタジオで撮影を間に合わせることができた[17]。四方田犬彦が言うように、「大自然の脅威と火山の噴火」と「恋人たちの激情」の重なり合う『新しき土』の浅間山噴火口の場面は、ファンクによる「ナチスドイツ的な映像の修辞学」の具現化であったが[18]、このナチス的な美学を首尾よく完成させるのに、円谷の技術は大きな助けになったわけだ。
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