• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 8件
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第三章 文化史における円谷英二 2 飛行機・前衛・メカニズム(2)【毎月配信】

    2017-07-18 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください


    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。エンターテイメント作家としてのイメージが強い円谷英二を、近代映画史の文脈の中に改めて位置づけつつ、円谷の同世代に「メカニズム志向」が共有されていたことを指摘します。
    『バレエ・メカニック』から『狂つた一頁』まで
     円谷が『フォトタイムス』に寄せた文章には「ホリゾント法に據るセッティングの研究」のような技術論が目立つが、そのなかにあって一九三三年十月号の『フォトタイムス』には、円谷の美学的関心のありかを示唆する文章が掲載されている。

     フェルナン・レジェは、彼の「機械的舞踏」に於て、動的物体の発見に向かって、驚くべき一歩を踏み出した。
     シナリオとか自然主義的、または劇的のアクションとかの代わりに実在の、そして造形的な形体。
     彼は、物体の通常の意味などには気も止めずに、物体のただ造形的の価値の上にのみフィルムを建設しようとして理論的、お話的、象徴的な意味から、物体を完全に、離脱し、開放したのである。[26]

     レジェは一九二四年に画家ダドリー・マーフィーとともに製作した『バレエ・メカニック』(機械的舞踏!)で名を馳せた。この二〇分弱のアートフィルムは、歯車やレバー、振り子、泡立て器等の日常の事物の合成映像によって作られた、いわば「抽象画的ドキュメンタリー」と評すべき作品であり[27]、撮影はマン・レイが担当した。この円谷の論評以前に、日本でレジェはすでに「機械の世界」の運動を捉えることによって「新興写真運動」に貢献した重要な芸術家と見なされており[28]、『バレエ・メカニック』の与えた衝撃の大きさがうかがえる。
     円谷が技術者の見地から、この『バレエ・メカニック』の意義を「自然主義」や「劇的なアクション」からの解放として説明したのは、本質を突いた見解である。社会的現実にも演劇的約束事にも従属することなく、あるいは手垢のついた「物語」や「象徴」からも離れて、無機物の「バレエ」によって運動そのものを映像のパフォーマンスとして出現させること――、このレジェの前衛的な企ては、先述した一九二六年の『狂つた一頁』が精神病院での女性の「舞踊」で始まっていたことと綺麗に符合する。
     近年再評価の進む『狂つた一頁』は、一八九六年生まれの衣笠貞之助監督が、川端康成、横光利一、片岡鉄兵、岸田國士の四人を含む「新感覚派映画聯盟」を結成して製作した前衛映画である。精神病院に収監された女性患者が牢獄のなかで踊り狂うという鮮烈な冒頭部に始まり、他の患者たちがそれにエキサイトする「観客」として登場する。自我を失くしたかのような女の運動そのものを示しつつ、その狂気が周囲にも感染していくというディオニュソス的(祝祭的)な運動が、そこでは映像化されていた。
     ただし、『狂つた一頁』はいたずらにおどろおどろしい映画ではなく、アポロン的な造形感覚にも事欠かない。四方田犬彦の詳しい分析を借りれば、そこにはキュビズムやダダイズムの影響を思わせる抽象的な「円環」のイメージが増殖する一方で、それを切断するように、牢獄の鉄格子のような冷たい垂直線のイメージが多用された[29]。そもそも、『狂つた一頁』は凝りに凝った美術セットで名高い『カリガリ博士』(一九二〇年)の影響下にある「ドイツ表現主義的」な作品と見なされがちではあるものの、かつて蓮實重彦が指摘したように、その装置はむしろ普通の作りである[30]。『狂つた一頁』の「前衛性」は美術の仕事以上に、ディオニュソス的な激しさとアポロン的な冷たさを共存させながら、ときに「抽象画的ドキュメンタリー」にも近づくカメラの繊細な運動によって担保されていた。
     そのことはまさに円谷によって的確に指摘されている。円谷は自らが助手として関わった『狂つた一頁』の画期的な新技術として「画面を飛躍的に表現する急速な移動パンや、パンワーギと称するキャメラを横に振って急速な場面転換、立体的な移動ショット等」に加えて「歪曲鏡の使用、フラッシュ・ダブル・エキスポージュアに依るビジョンの効果、波形移動の効果、シルエットの使用効果、小型模型の使用」を挙げながら、衣笠監督について「映画の技術的なコツを実によく知りぬいた演出家だと、技術家の立場から私はいつも敬服している」と評していた。円谷にとって、『狂つた一頁』は「日本映画の技術発達史」に屹立するテクノロジーの記念碑なのだ[31]。
     歌舞伎の女形出身の衣笠監督はかえって演劇的映画から離れて、当時のヨーロッパの前衛とも共振する映画的映画を撮り、『狂つた一頁』の後に『十字路』という傑作も生み出すが、その前提として、円谷は衣笠自身にカメラマンの経験があったことを強調していた。円谷の考えでは、衣笠は何よりもまずカメラの性能を知り尽くした「技術者」なのであり、表現主義云々、主観描写云々はあくまでその高度な技術の後に続くものにすぎない――、むろん、この衣笠評から円谷自身の技術者としての密かな矜持を読み取ることも、十分可能だろう。
     戦後の『ゴジラ』やウルトラシリーズの印象が強いため、私たちはつい円谷英二をエンターテインメント志向の映像作家と見てしまいがちだが、それは大きな誤解である。映画固有の表現を追求した枝正義郎のもとで修行し、映像を人工的に「構成」することに習熟した技術者が、やがて『狂つた一頁』や新興写真のような前衛運動とも接近遭遇する――、この履歴からは戦後の「怪獣もの」のイメージには収まりきらない円谷のもう一つのモダンな顔をうかがい知ることができる。円谷自身、晩年には「私が怪獣映画ばかり作るように思われるのは心外」だとして、特撮の研究を始めたのは本来「映画をより芸術的なものにしたかったから」だと記していた[32]。裏返せば、日本の戦後とは、前衛が怪獣化し、娯楽化していった時代なのだ。次章で詳しく論じるが、この変転にこそ戦後サブカルチャーを読み解く鍵があると私は考えている。

     ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
      ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
      ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第三章 文化史における円谷英二 2 飛行機・前衛・メカニズム(1)【毎月配信】

    2017-07-04 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください


    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は円谷英二の手がけた多様な映像作品が、飛行機の美学をはじめとした大戦に関わる文化的文脈とどのように結びついていたのかを論じます。
    2 飛行機・前衛・メカニズム

     円谷は大戦間期には『メトロポリス』や『キング・コング』、あるいは五〇年代にはジョージ・パル製作の『月世界征服』や『宇宙戦争』、ジョン・P・フルトンの特殊撮影が冴えるセシル・デミル監督の『十戒』といった海外のSFXの動向をたえず注視しつつ、特撮技術のスペシャリストとして、戦前には新感覚派の前衛映画、戦中にはプロパガンダ的な戦争映画や航空映画、戦後には太平洋戦争の戦記映画や怪獣映画というように、実に幅広い分野の映像作品を手掛けた。では、この多種多様な仕事は、いかなる文化史的な文脈と関わっていたのだろうか?ここからは、大戦間期における(1)飛行機の美学(2)映像の前衛(3)メカニズム志向という三つのポイントを説明した後に、戦時下の問題に進みたい。
    飛行機とモダニズム
     まず注目すべきは、円谷にとって飛行機が生涯を通じてロマンの対象であったことである。模型飛行機を自作し、地元の須賀川でも評判になるほどの飛行機少年であった円谷は、来日したアメリカの曲芸飛行家アート・スミスに憧れ、自製の飛行機で世界一周することを夢見ていた。その夢はやむことなく、彼は後に東京羽田の日本飛行学校に入学するものの、たった一人の教官が事故死してやむなく退学する。
     この挫折を埋めるように、円谷の特撮はスクリーンのなかで実物とミニチュアの飛行機を飛ばしてみせた。彼はヴィクター・フレミング監督の一九三八年の『テスト・パイロット』を高く評価する一方、『燃ゆる大空』や『南海の花束』といった航空映画を経て『ハワイ・マレー沖海戦』ではその特撮技術を遺憾なく発揮する。内容面から言っても、飛行機乗りに憧れて訓練を重ね、ついに真珠湾に飛び立つ少年兵を主人公とする『ハワイ・マレー沖海戦』は、円谷の長年の夢を図らずもドキュメンタリー的なビルドゥングス・ロマンとして実現してしまったところがある。彼の飛行機へのロマンは、総力戦体制のもとでの国策映画のなかで受肉したのだ。
     そもそも、特撮と飛行機はともに二〇世紀の入り口で生み出された、ほぼ同い年の「技術」である。すなわち、帝国主義の時代を背景としながら、一九〇二年にメリエスの『月世界旅行』が人間の顔をした月面に砲弾型のロケットを暴力的に突き刺した、その翌年にアメリカのライト兄弟が有人動力飛行に成功する――、円谷はまさにこの二つの技術の申し子なのであり、しかもそのことが彼を後に戦時下の突出した映像エンジニアの座へと導くことになった。
     さらに、この「飛行機好きから戦争の時代の発明家へ」という円谷の経歴が、宮崎駿監督の『風立ちぬ』(二〇一三年)で取り上げられた零戦の設計者・堀越二郎を思わせるのは興味深い。一九〇一年生まれの円谷が虚構のスクリーンのなかで戦闘機を飛ばしたとすれば、一九〇三年生まれの堀越は現実の戦場を飛ぶ戦闘機を設計した。宮崎版の堀越は日本の貧しさを技術的工夫によって克服し、美しく機能的な飛行機を作ろうとしたが、これは「トリックというのは貧乏の生んだ知恵なんだ」という円谷の発言を彷彿とさせる[14]。『風立ちぬ』は飛行機を愛する技術者を通じて、円谷の特撮や宮崎本人のアニメも含めた日本サブカルチャーの根底にある「貧者の想像力」を、自己言及的に示した作品なのだ。
     むろん、飛行機の美に魅せられたのは日本人だけではない。例えば、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは一九二三年の主著『建築をめざして』で「飛行機は創意と、知性と、大胆さとを動員したと言明できる。すなわち《想像力》と《冷静な理性》とを。その同じ精神がパルテノンを作ったのだ」と記して[15]、ほとんど古典主義的な完全性の美を飛行機に認めていた。あるいは、二〇世紀の抽象彫刻の開拓者でプロペラ型の《空間の鳥》を残したコンスタンティン・ブランクーシやニューヨーク・ダダの中心人物マルセル・デュシャン、さらにイタリア未来派のマリネッティらも、飛行機の美に魅了された芸術家として知られる。近代の機能美の集約された飛行機は、一九世紀のロマン主義的な美意識(自意識)の圏域から脱出しようとした二〇世紀前半のモダニストにとって、疑いなく特権的な対象であった。
     このような文脈を踏まえれば、円谷の飛行機愛もいわば世界的なモダニズムの日本的な変種だと考えられるだろう。そして、この飛行機の美学は戦後のウルトラシリーズにも及ぶ。美術担当の成田亨は(彫刻家としてはブランクーシ的な抽象表現よりもイタリアのペリクレ・ファツィーニやマリノ・マリーニの具象表現に惹かれていたものの)『セブン』のメカニックデザインにおいて、飛行機のモダニズム的な機能美を子供向けの特撮に組み込もうとした。航空専門家から「ウルトラホークは飛行可能なデザインだ」というお墨付きを得て喜んだ成田には、軍関係者の眼を欺くほどのリアリティを達成した円谷の技術者的精神が再来していた。


     ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
      ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
      ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第三章 文化史における円谷英二(1)【毎月配信】

    2017-06-22 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください


    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は日本の特撮の父とも言える円谷英二の軌跡を通じて、映画の歴史における特撮技術の位置付けを明らかにします。
    第三章 文化史における円谷英二
     一九三九年に入社した東宝技術部特殊技術課で円谷英二に師事するとともに、後の徴兵に際しては、滋賀県八日市飛行場で航空写真工手を務めていた三船敏郎の親友となり、戦後は漫画家として活躍したのに続いて、テレビドラマの製作会社ピー・プロダクションの創始者として『ウルトラマン』と同時期に『マグマ大使』を、さらに一九七〇年代には『スペクトルマン』や『快傑ライオン丸』といった特撮番組を世に送り出したサブカルチャー史の奇才・鷺巣富雄(うしおそうじ)は、円谷の印象的な言葉を紹介している。

    なあ、鷺巣くんよ、特撮とアニメは不即不離、いわば生まれながらの兄弟なんだ。アニメと手をつなぎ共同作業で新技術を開拓しなければ完全とは言えんのだよ。[1]

     現在は特撮とアニメの繋がりはさほど強くないし、そもそも実写のデジタル化が進んだため、円谷英二以来のアナログな特撮はすでに過去のものとなった。庵野秀明と樋口真嗣の手掛けた二〇一二年のショート・ムービー『巨神兵東京に現わる』はあえてCGを使わずミニチュア撮影に徹することによって、過去の特撮の歴史にオマージュを捧げた象徴的な作品である。
     しかし、円谷英二にとって特撮とアニメは「兄弟」であり、ある時期までのサブカルチャー史もこの両輪が形作ってきた。『風の谷のナウシカ』を踏まえた『巨神兵東京に現わる』でいわばアニメを特撮化し、ウルトラシリーズを踏まえた『新世紀エヴァンゲリオン』でいわば特撮をアニメ化した庵野は、実は円谷の理念の隠れた継承者だと言えるだろう(ちなみに、庵野監督の作品の音楽を長年担っている鷺巣詩郎は鷺巣富雄の息子である)。本論もまた微力ながら、この理念を部分的にでも今後のサブカルチャー批評に引き継ぐために書かれている。
     では、アニメの双子としての特撮は、いかにして表現上のリアリティを獲得し、日本の社会や文化とどのような関係を結んできたのだろうか。この問いを深めるにあたって、本章では特撮技術の詳しい専門研究に踏み込む代わりに、むしろ円谷英二の軌跡を中心にしながら、特撮という技術を戦前・戦中の文化史のなかに位置づけることを目指したい。それによって、彼の息子世代の作った戦後のウルトラシリーズにも、前章までとは違った角度から光を当てることができるだろう。
    1 技術者・円谷英二
    映画史における特撮
     映画の草創期において、シネマトグラフの発明者であるリュミエール兄弟に次いで、フランスのジョルジュ・メリエスの果たした役割はきわめて大きい。リュミエール兄弟の最初の映画が一八九五年にパリのグラン・カフェで上演された後、ロベール・ウーダン劇場の奇術師であったメリエスはシネマトグラフに大いに興味を示して自らさまざまなトリック映像に挑戦し、一九〇二年には『月世界旅行』で名声を博した。
     現実にはあり得ない映像を作り出すメリエスの特撮(SFX)には、手品(マジック)に加えて写真や演劇の表現技術が応用されている。彼は写真技法から「二重焼き」「多重露出」「マスク」等を取り入れ、一九世紀後半に流行した「交霊術」をトリック撮影によって再現する一方、夢幻劇の奇想天外で魔術的なイメージをスクリーン上に出現させた[2](その際にメリエスが変身、幽霊、分身といったポストモダニスト好みのイリュージョンを多用したのも興味深い)。さらに、メリエスの親友にアニメーション映画の創始者エミール・コールがいたことも注目に値するだろう。特撮とアニメーションはその出発点においてすでに「兄弟」であった。
     メリエス以降も、ウィリス・オブライエンが特撮を担当した『ロスト・ワールド』(一九二五年)や怪獣映画の金字塔『キング・コング』(一九三三年)を筆頭に、フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(一九二七年)、ジョン・フォード監督の『ハリケーン』(一九三七年)、レイ・ハリーハウゼンの特撮技術が冴える『原子怪獣現わる』(一九五三年)や『アルゴ探検隊の大冒険』(一九六三年)、戦前にはパペトゥーンによるミュージカル・アニメーションを手掛けたジョージ・パル製作の戦後のSF映画『月世界征服』(一九五〇年)等、SFXを用いた記念碑的作品が次々と発表された。円谷英二はこのような欧米の先端的な表現技術を研究して、後の『ゴジラ』やウルトラシリーズの礎を築いた。そのプロセスは、戦前・戦後の日本の漫画やアニメがアメリカのディズニーを学んで自己形成したことと並行している。
     SFXの先進地域は欧米であり、日本の特撮はあくまで「後発」であったということは大前提として、しかしそれとともに、日本映画に固有の文脈も無視できない。日本の特撮史は、実は日本映画の「父」と称される牧野省三にまで遡ることができる。
     一九〇八年に京都の横田商会に映画製作を依頼されて、北野天満宮で撮影していた牧野は、フィルム交換の際に役者がその場を抜けたのに気づかずフィルムをうっかり回しっぱなしにしたせいで、人間が突然画面上から消失するという映像を偶然に得る(メリエスにもこれと似た偶然の発見がある)。この種の人間消失トリックを生み出す「カットアウト」の発明をきっかけにして、一九一〇年代には尾上松之助を主演とする牧野の一連の忍術映画が、逆回転や二重露出といった効果も用いながら、カメラマンの小林弥六の尽力のもとで撮られた。横田商会が北野天満宮に近い法華堂(後に大将軍に移転)に撮影所を構えて「日活」として出発するなか、日活の牧野映画は「目玉の松ちゃん」と称された松之助のキャラクター性を存分に生かして、多様なトリック映像を生み出した[3]。この意味で、特撮は日本映画の「起源」に根ざしている。

    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
     ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
     ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第二章 「寓話の時代」としての戦後――宣弘社から円谷へ(2)【毎月配信】

    2017-06-07 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください


    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は、60〜70年代にかけて制作された昭和ウルトラシリーズと、平成以降の『エヴァ』や『君の名は。』といったヒット作に共通する構造を読み解きます。
    第二章 「寓話の時代」としての戦後――宣弘社から円谷へ
    2 セカイ系の源流
    『スタートレック』の神話構造
     ウルトラシリーズの視聴者は誰もが、その奇妙なご都合主義に一度はひっかかるだろう。そこでは全宇宙の関心が地球に集中しているかのようであり、多くの宇宙人が地球を美しい星として礼賛する。ウルトラマンもハヤタ隊員をうっかり殺してしまったという理由だけで、なぜか命懸けで地球を助けようとする。ウルトラマンを安保体制下の日本の保護者=超越者アメリカになぞらえる見解はよく見かけるが[15]、それもこのご都合主義から導き出されたものだ。しかも、この超人は「怪獣退治」の仕事が終わるとさっさと立ち去ってくれる……。民俗学者の折口信夫によれば、日本の神は人間界に常住せずに、定期的に「まれびと」(客人)として外からやってくるという特性をもつが、ウルトラマンにはまさにこの神の日本的行動様式が再現されていた。
     この観点からすると、高校時代の金城哲夫が国語研究者で脚本家の上原輝男の民俗学講座に出席し、沖縄のニライカナイ信仰についての講義や、一九五二年に提唱されたばかりの柳田國男の「海上の道」の仮説に深い感銘を受けたというエピソードは興味深い[16]。ウルトラシリーズは前期のSF的・未来的な世界観から後期の怪談的・民俗学的な世界観へと推移していくが、その萌芽はすでに若き金城の体験にあったと言えるだろう。先述したノンマルトの物語にも、柳田の「山人論」(大和王朝に敗北した原日本人が山中の漂泊者になったという説)との類似性が強く感じられる。
     宇宙人のヒーローが「まれびと」として向こうからやってくるというこの構図の特殊性は、アメリカのSFドラマと比べるといっそう際立つ。ここでは『ウルトラQ』の原点となった『トワイライトゾーン』や『アウターリミッツ』、あるいは『ウルトラセブン』の初期構想段階で参照された『宇宙家族ロビンソン』よりも、むしろ一九六六年以降に放映された『スタートレック』との違いに注目したい。パイロットからテレビ業界に転じたジーン・ロッデンベリーを中心に制作された『スタートレック』は、アメリカの神話構造を宇宙空間という「最後のフロンティア」で再現した物語であった。
     アメリカの原型的な神話とは何か。宗教社会学者のロバート・ベラーによれば、かつてヨーロッパから新大陸アメリカに渡った初期の入植者たちは、聖書に記された「楽園」や「荒野」のイメージやシンボルを使って、自らの状況を解釈した。ちょうどキリストがバプテスマのヨハネから洗礼を受けた後の四〇日間を荒野で過ごした、それと同じように自分たちもアメリカという未知の荒野に送り込まれた使者であり、後に来るクリスチャンの「楽園」を準備する使命をもつというわけだ。この見立てがもっと過激になると、海洋文学の傑作であるメルヴィル『白鯨』における「landlessness(土地をもたないこと)の状態が神の広大無辺の真理を開く」という壮大な形而上学的ヴィジョンに行き着くことになる[17]。
     人間を突き放す荒野こそが神=真理との出会いの場になる――、このアメリカの聖書的シナリオは『スタートレック』シリーズにも認められる。さまざまな出自をもつ艦長以下のクルーたちは、文字通り「土地のない」未知の宇宙に――いわば究極の「荒野」にして「大洋」に――乗り出し、科学や宗教の常識を超える存在と出会い、知性についての新たな啓示を受ける。なかでも、九〇年代後半に放映開始された『スタートレック・ヴォイジャー』の宇宙艦が白人の女性艦長とネイティヴ・アメリカンの子孫の副艦長のもと、地球から遥か遠くの宇宙の辺境に飛ばされたことは、新大陸アメリカへの「入植」の歴史の反復でもあっただろう。よくできた哲学的エンターテインメントであるこのSFドラマは、アメリカの神話構造を宇宙に投影したのだ。
    「海岸国家」の神話
     面白いことに、ウルトラシリーズではこの「アメリカ神話」がことごとく逆転している。科特隊やウルトラ警備隊は、多種多様な種族の集う『スタートレック』的な宇宙艦ではなく、同じ制服に身を包んだサラリーマン組織に近い。二〇世紀のSFにとってきわめて重要なテーマであったはずの異質の知性との出会いも、そこではほとんど起こらず、宇宙人もおおむね「侵略者」のカテゴリに収まる(『ウルトラマン』のメフィラス星人や『セブン』のギエロン星獣はその例外だが)。ウルトラマンもアメリカ的な荒野の神ではなく、あくまで日本的な「まれびと」であった。
     この日米の神話構造の違いは、宇宙との関わり方にも及んでいる。象徴的なことに、『スタートレック』では人間やモノを瞬時にワープさせる「転送装置」が不可欠の装置となったのに対して、ウルトラマンは惑星間の「テレポーテーション」のために、その寿命を縮めるほどの莫大な労力を支払わねばならない(二代目バルタン星人の登場する第一六話)。ウルトラシリーズにおいて、宇宙人はこちらから討伐するべき存在ではなく、あくまで向こうから勝手に地球にやってくる存在なのだ。
     ウルトラシリーズは概して地球という既知の海岸にこだわる一方、宇宙という未知の海洋への転送には及び腰であり、それが後期の「民話化」にも繋がっていく。冒険心豊かな海洋文学の伝統を思わせる『スタートレック』とは反対に、宇宙に対していわば戦後憲法的な「専守防衛」の構えをとること――、この受動性は二〇世紀の日本の自己認識とも符合するものだと考えてよい。
     例えば、一九三四年生まれの批評家・山崎正和は『セブン』と同時期の一九六七年初出のエッセイで、日本を能動的な「海洋国家」ならぬ受動的な「海岸国家」だと鋭く論じている[18]。確かに「名も知らぬ遠き島より/流れ寄る椰子の実一つ」で始まる島崎藤村の有名な詩「椰子の実」(一九〇一年刊『落梅集』所収)にせよ、あるいは日本を外来文明の漂着と保存の場である「アジア文明の博物館」と評した岡倉天心の『東洋の理想』(一九〇三年)にせよ、日本のアイデンティティはしばしばその「海岸」に似た地理的性格に求められてきた。この海岸モデルは総じて、世界体験の日本的受動性を肯定するものである。
     裏返せば、四方を海に囲まれているにもかかわらず、日本には『白鯨』に相当するような目立った海洋文学がない。大日本帝国はその慎みを破って「海洋」と「大陸」に進出し、大東亜共栄圏の理念を掲げたが、戦後の日本は再び自らを「海岸国家」に限定した。このアジアからの撤退が『浮雲』のゆき子の身体を蝕み、富岡の心を空っぽにしたことは、すでに述べたとおりである。

    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
     ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
     ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第二章 「寓話の時代」としての戦後――宣弘社から円谷へ(1)【毎月配信】

    2017-05-12 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください


    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は、『月光仮面』『モスラ』『浮雲』といった50年代〜60年代初頭の作品群が、いかにして「帝国」の地理的想像力に裏付けられていたのかを読み解きます。
    第二章 「寓話の時代」としての戦後――宣弘社から円谷へ
    1 大東亜の亡霊たち――ウルトラマンの前史
     改めて言えば、私は昭和のウルトラシリーズには大きな断層が二つあり、そのそれぞれが時代相を映し出すものだと考えている。第一の断層は『ウルトラQ』における夢のシニカルな否定が、ウルトラマンという高度成長期の生んだ突飛なヒーローによって上書きされたことである(近代化)。第二の断層は『帰マン』から『A』にかけて、社会よりも心が、科学の夢よりも反科学的な怪奇性やオカルティズムが上昇したことである(ポストモダン化)。要は、公的な正しさや社会的なコンセンサスの代わりに、私的な妄想やスポ根的な身体性が際立ってくるのだ。
     しかし、実はもう一つの大きな断層がある。それはウルトラシリーズ全体がそれ以前の、五〇年代から六〇年代初頭にかけての日本の地理的想像力を切断して出てきたということである。第一の断層(シニシズムから科学の夢へ)も第二の断層(社会から心へ)も、シリーズ以前のこの世界認識の変化の後に生じたものなのだ。そこで本章では歴史をもう一段階遡り、私の本業である文芸批評の分析手法も交えながら、ウルトラマンの「前史」のサブカルチャーを輪郭づけてみたい。結論から言えば、それは戦時下の「大東亜」の記憶と深く関わっている。
    宣弘社の男性ヒーロー
     戦後のテレビヒーローの歴史を考えるとき、ウルトラシリーズ以前に宣弘社プロダクション制作のテレビ映画があったことは重要な意味をもつ。『月光仮面』(一九五八〜五九年)、『豹〔ジャガー〕の眼』(一九五九〜六〇年)、『快傑ハリマオ』(一九六〇〜六一年)といった宣弘社のヒーローものは、戦後の草創期のテレビのなかに、戦前・戦中の日本の地理的想像力を呼び込んだユニークな作品群であった。
     もともと、宣弘社は社長の小林利雄の指揮のもと、敗戦直後にネオン、駅広告、シネサイン、街頭テレビ、ビルボード等を精力的に手がけた広告会社であり、戦後日本の都市風景の形成にも大きな貢献をした。例えば、宣弘社が銀座で展開したクリスマスのデコレーションはその後日本の冬の風物詩となり、一九五一年に小林の依頼で作られた猪熊弦一郎《自由》は(良い絵かどうかはともかく)今日のパブリック・アートの先駆的作品として、現在でも上野駅中央改札を飾っている[1]。さらに、宣弘社は『ウルトラマン』にも広告会社として関わっており、TBS、円谷プロ、スポンサーのあいだの関係を取り持つことになった。
     だが、ここで面白いのは、小林がたんなる広告業者で終わらず、ハリウッドの視察をきっかけに「宣弘社プロダクション」を創設し、草創期のテレビ映画の制作にも乗り出したことである。広告からコンテンツへのこの「越境」の結果として、川内康範が原作と脚本を担当し、プロデューサーの西村俊一がキャラクターの奇抜なデザイン(バイク、ターバン、サングラス……)を構想した『月光仮面』が日本初の本格的な「国産テレビ映画」として一九五八年に放映され、誰もが知る大ヒットとなる。「憎むな!殺すな!赦しましょう!」という『月光仮面』の有名な寛容のテーマは、苦い敗戦を経た戦後日本の理想を示したものでもあっただろう。
     川内康範もまた、宣弘社とは別の意味で「越境」を繰り返した人物である。彼は駆け出しの頃に東宝の演劇部の秦豊吉(丸木砂土)のもとで修行し、人気絶頂の喜劇役者古川ロッパや榎本健一(エノケン)らとも知り合うとともに、後にはそのマリオネット劇の知識を円谷英二に買われて、東宝の戦時下の人形劇映画『ラーマーヤナ』の脚本を担当するという具合に、師匠の秦にも似た脱領域的な才人であった(後には歴代首相との交友でも広く知られる)。その川内が「脇仏」の月光菩薩をモチーフにした月光仮面について、「正義」そのものではなくあくまで「正義の味方」だということを――アメリカのスーパーマンのような「超人」ではなく「神でも仏でもない、あくまで人間」だということを――後年のインタビューで強調していたのは、文化史的に見てきわめて興味深い[2]。
     現に、この控えめな男性ヒーロー像は「生涯助っ人」を信条とした川内自身に留まらず、『七人の侍』(一九五四年)や『隠し砦の三悪人』(一九五八年)、『用心棒』(一九六一年)等で「助っ人」としての三船敏郎を撮り続けた黒澤明の映画、さらには戦後のアニメの代表作でも反復された。例えば、宮崎アニメの少年は自分が超人になるのではなく、常に少女を助ける「正義の味方」(高畑勲の評を借りれば「エスコートヒーロー」)であろうとするのであり、その限りで月光仮面の系譜に属していた。男の主役が正義の脇役(用心棒)に甘んじることで、かえってヒーローになり得るというこの『月光仮面』的な逆説には、戦後日本の男性性の構造、特にその屈折したナルシシズムが表出されていたのだ。

    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
     ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
     ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第一章 ウルトラシリーズを概観する――科学・家族・子供(2)【毎月配信】

    2017-05-02 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

    【メルマガ配信休止のお知らせ】 5月3日(水)〜5月5日(金) のメールマガジン配信はお休みです。5月8日(月)より配信を再開いたします。

    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は、『A』『タロウ』『レオ』を経てウルトラシリーズが勢いを失っていく過程を追うことで、「子供」と「青年」の狭間で揺れ動く戦後文化の輪郭を描き出します。
    第一章 ウルトラシリーズを概観する――科学・家族・子供

    2 後期ウルトラシリーズ――家族物語とメディアミックスの時代
     前期ウルトラシリーズは科学と未来の夢によって『Q』のシニシズムからいったんは逃れるものの、『帰マン』はその夢を後退させ、宇宙からも引きこもって、東京の風景と人間へと接近していく。そう考えると、一九六九年のアポロ一一号の月面着陸や一九七〇年の大阪万博という科学の「祭り」のときに、ウルトラシリーズが放映されていなかったのは象徴的である。祭りの前の「期待」(『セブン』)と祭りの後の「現実」(『帰マン』)の落差が、このシリーズには残酷なまでにはっきり刻み込まれていた。ウルトラシリーズはたんに世相を反映するというよりは、日本社会の抱えた夢や象徴の変容こそをあからさまに示しているのだ。
     戦後のサブカルチャー史を考えるときに、未来との距離感はきわめて大きな意味をもつ。例えば、建築研究者の森川嘉一郎は、一九八〇年代に名づけられた「オタク」について「未来の凋落」を「趣味」で埋め合わせようとする存在だと定義した[14]。オタクはマニア的に情報を集めては、自分でもイラストを描いたりフィギュアを制作したりするプロシューマー(生産者+消費者)だが、未来のイメージを非公共的な趣味として楽しむしかなくなったその姿は、万博以降の日本社会そのものの戯画である。オタクは科学・宇宙・未来にまつわる象徴的魔術が後退した後の、どこか奇妙な適応形態なのだ。
     ウルトラシリーズの場合、この後退の穴を埋めたのは「家族」であった。現に『帰マン』に続く後期ウルトラシリーズは、急速にファミリー・ロマンス(家族物語)へと傾き「ウルトラ兄弟」という概念も定着する。と同時に、その家族的な親密さを脅かす妄執のテーマも上昇し、心理化・怪奇化が進んだ。このテーマの推移は、ポストモダン的な「リアリティの多元化」を象徴する出来事でもあった。その過程を具体的に見ていこう。
    ウルトラマンA――家族と心のあいだ
     繰り返せば、『帰マン』は主人公郷秀樹が東京の市井の家族とともにある物語であった。本多猪四郎監督・上原正三脚本の最終話も、ゼットンに対する郷の自己犠牲的な「特攻」の後、弟のような坂田次郎との交流によって締めくくられる。郷が「次郎、大きくなったらMATに入れ」というメッセージを残してウルトラマンとして戦地に旅立ったのに対して、次郎は「一つ、腹ペコのまま学校に行かぬこと」「一つ、天気の良い日にふとんを干すこと」「一つ、道を歩くときには車に気をつけること」「一つ、他人の力を頼りにしないこと」「一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと」という「ウルトラ五つの誓い」によって答える。このどこか珍妙で、それでいて不思議と胸を打つシーンは、戦中の特攻青年と平和な戦後民主主義社会の少年が心を通わせる場面のようにも読めるだろう。
     それに対して、一九七二年から翌年にかけて放映された『ウルトラマンA』はもっと単純に「ウルトラ兄弟」という家族イメージを確立し、作中にも歴代のヒーローがたびたび登場する。しかし、前半のメインライターを務めた市川森一自身は、ナイーヴな家族愛や人類愛からはむしろ明確に距離を置こうとしていた[15]。そのこともあってか、それまでの科特隊、ウルトラ警備隊、MATがどれも男どうしのホモソーシャルな絆によって結ばれていたのに対して、『A』の防衛チームTACはしばしば人間関係においてギスギスした空気をまとい、ときには相互不信と疑心暗鬼に取り憑かれる。『A』には子供向けのファミリー・ロマンスの裏側に、絆を断ち切る負の「心理」が深く根を張っていた。
     特に、波打つ不定形の怪人である『A』の主要敵ヤプール人は、人間の妄想と疑心暗鬼をますます増幅させ、それがしばしば超獣の源泉となる。例えば、市川脚本の第四話では、売れっ子の漫画家がストーカー的にTACの女性隊員への欲望を募らせ、テレパシーによって超獣ガランを出現させる。あるいは上原正三脚本の第一七話では、母を亡くした娘の心にヤプールがつけこみ、不気味な鬼女と超獣ホタルンガを生み出す。超獣は心の歪みやオカルト的な呪いの産物なのだ。『帰マン』は未来や科学という「大きな物語」が失墜した後を、東京の現実の風景によって埋めたが、『A』ではそのような公共の風景よりも、『怪奇大作戦』ふうの不透明な怨念や呪詛のほうが大きくなる。そこには、リアリティの多元化・不透明化によって特徴づけられるポストモダンの世界像が、綺麗に表出されていた。
     したがって『A』には一定の現代性があるのだが、作品の完成度については疑問符がつく。そもそも、市川は第一話で広島の原爆ドームを超獣ベロクロンに襲わせるという野心的なプランを立てていたが、それは実現せず、広島県福山市に舞台が変更される。そして、その後は結局おおむね東京の物語に戻り、『帰マン』後半以来の「怪談」の枠組みに沿ったエピソードも増える。さらに、北斗星司と南夕子が「合体」によってウルトラマンAに変身するという根本的な設定も、物語中盤でなし崩し的に変更されてしまった。『A』では作品のコンセプトが漂流し、中途半端になった印象は否めない。

    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
     ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
     ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第一章 ウルトラシリーズを概観する――科学・家族・子供(1)【毎月配信】

    2017-04-14 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください


    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は、高度成長期の目まぐるしく移り変わる世相と絡み合いながら作られた『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』の系譜を辿ります。
    第一章 ウルトラシリーズを概観する――科学・家族・子供
     一九六〇年代におけるテレビの普及と高度経済成長を追い風にして始まったウルトラシリーズは、金城哲夫や円谷一らを中心に作られた大きな設定のなかで、脚本家や演出家、美術家たちがそれぞれアイディアを盛り込んでいく一種の競技場のような様相を呈していた。したがって、シリーズの「作家性」は最初から複数的であったことを、まず大前提として述べておきたい。
     とはいえ、シリーズを一作ずつ見ていくと、それぞれの作品にある程度統一されたテーマ性があったことにも気づかされる。以下、放映順にその内容を概観していこう。なお、一般的には『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を「第一期」と呼称し、『帰ってきたウルトラマン』以降は「第二期」と呼ばれるが、ここでは少し区分をずらして『帰マン』までを「前期」とし、続く『ウルトラマンA』以降を「後期」と呼ぶ。それは序章で述べたポストモダン化の傾向が『A』ではっきりするからである。
    1 前期ウルトラシリーズ――シニシズムから右翼性まで
    ウルトラQ――プリミティヴィズムとシニシズム
     一九六六年一月にTBSで放映開始された『ウルトラQ』は、東海弾丸道路の北山トンネル工事現場にゴメスとリトラという二匹の古代怪獣が出現する話で始まる(ゴメスは『モスラ対ゴジラ』のゴジラの改造、リトラは操演用ラドンの改造であり、東宝特撮映画の財産が早速継承されている)。産業社会を拡張しようとする土木作業の現場が、太古の怪物を呼び覚ましてしまう――、この導入部には、未来に向かって「工事中」の日本に根ざしながら、怪獣をそのごつごつとした風景の隙間に出現させるというウルトラシリーズの大きな方向性が、すでに予告されていた。特撮テレビ作りのノウハウが未完成であったときにウルトラシリーズが作られたように、日本の風景が未完成であったときにそれを脅かす怪獣たちが呼び出されたわけだ。
     とはいえ、『Q』の語り口は前近代的な民話とは異なる。ちょうど『ゴジラ』が志村喬演じる古生物学者・山根博士の科学の「語り」を介して考古学的な時間に遡ったように、『Q』でもあくまで近代的な科学とジャーナリズムの視線によって、異なる時空への扉が開かれた。SF作家でパイロットの万城目淳とその後輩の一平、そして新聞記者の江戸川由利子という三人を主役に据えた『Q』は、現実離れした出来事を科学的かつジャーナリスティックに追求するというポーズをとった。この「虚構の現実化」の構えのなかで、ゴメスとリトラ以降も、『Q』には六千年前にアランカ帝国を滅ぼした貝獣ゴーガ、深海に棲む海底原人ラゴン、南島で信仰の対象となっていた巨大ダコのスダールといった原始的な怪獣が何度も現れる。
     一般化して言えば、このことは古典的なものより原始的なものを好みがちな戦後日本の文化的傾向に連なっている。例えば、美術家の岡本太郎が縄文土器に傾倒し、一九七〇年の大阪万博で《太陽の塔》を出現させたこと、さらにそれ以前に一九五〇年代の建築業界で丹下健三と白井晟一を中心に「縄文的なもの」と「弥生的なもの」をめぐる論争があったことをはじめ、文明の歴史を省略して一息に原始社会にまで遡ろうとする「脱歴史化」の欲望は、戦後の文化を特徴づけるものだ。特撮もその例外ではない。むろん、記紀神話に取材した稲垣浩監督・円谷英二特撮監督の東宝の大作映画『日本誕生』(一九五九年)もあるし、生前の円谷は『竹取物語』の映画化を熱望していたが、総じて特撮の素材としては、由緒正しい古典文学よりも荒々しい太古の怪獣のほうが魅力的であった[1]。
     このプリミティヴィズム(原始主義)とともに『Q』を特徴づけるのは、科学の夢に対するシニシズムである。例えば、当時の宇宙開発競争への批評を含んだ火星からの悪夢的な「贈り物」怪獣ナメゴン、東京上空で文明のエネルギーを吸ってひたすら膨張する風船怪獣バルンガ、科学によって驚異的な長寿と運動能力を獲得しながらも老いに苦しむケムール人、人間を縮小して人口増大に対応しようとする風刺的な「1/8計画」等は、科学に対する辛辣なメッセージを発していた。『Q』の怪獣は日本社会の抱いた夢や象徴を反転させることによって生まれたものなのだ。
     こうして、『Q』は科学とジャーナリズムの語り口のなかで、科学は必ずしも人間を幸福にしないというメッセージを発し続ける。このシニシズム(=対象を信じつつ信じないという二重の心理)は、夢の悪夢化あるいは夢の否定をもたらした。夢のなかで幽体離脱した少女の分身が本体を殺そうとする第二五話のホラー「悪魔ッ子」を経て、『Q』の最終話「あけてくれ!」(再放送時に初放映)では、冴えないサラリーマンの男が空飛ぶ列車に乗り込むものの、その出口なしの密室のなかで深い恐怖心に囚われる。干からびた現実から夢の世界に逃れても、そこもやはり息苦しい閉鎖空間にすぎない――、この夢のシニカルな否定が『Q』の出した一つの結論であった。
     もっとも、プリミティヴィズムやシニシズムと言っても、『Q』はじめじめとした土俗的情念とは無縁であり、おおむね都会的な外見を保っている。それには音楽の貢献も欠かせなかった。本多猪四郎監督の『ガス人間第一号』(一九六〇年)に続いて『Q』でもジャズの感性を活かした宮内國郎の劇伴音楽は、下手をすればいたずらに重苦しくなりそうな作品世界に軽快なリズムを与えた。『ウルトラセブン』以降はクラシックを学んだ冬木透が多様な楽器で雄弁な劇伴音楽を作り出し、『セブン』の有名な最終話では大胆にもディヌ・リパッティの弾くシューマンのピアノ協奏曲が使われもしたのだが、その前に『Q』および『ウルトラマン』で宮内の比較的シンプルな音楽が有効に機能したことも無視できない。
     ともあれ、『Q』には「科学的合理性を嘲笑うプリミティヴィズム」と「明るい未来を相対化するシニシズム」が同居している。これは文化史的にも重要な里程標だと考えてよい。例えば、一九七〇年代以降、日本のサブカルチャーは諸星大二郎の漫画や宮崎駿のアニメを典型として、『もののけ姫』的な「古代への人類学的回帰」と『風の谷のナウシカ』的な「未来のSF的破局」という二つの対照的なパターンをしばしば交差させてきたが、現在から古代と未来にさまよい出ようとする、この戦後サブカルチャーの時間錯誤の傾向は、『Q』ですでに表出されていた。

    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
     ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
     ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 【新連載】福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』序章――「巨匠」の時代の後に【毎月配信】

    2017-03-07 07:00  
    540pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください


    今月から、批評家・福嶋亮大さんの新連載『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』が始まります。ウルトラシリーズは、戦後日本社会のなかでいったいどういう位置を占めるのか。初回は、60年代当時の「映画からテレビへ」というメディア環境の変化と、特撮番組との関係を考察します。
    序章――「巨匠」の時代の後に
    特撮と歴史を繋ぐ
     一九六六年から八一年にかけて断続的に放映された昭和のウルトラシリーズは、日本では誰もが知る特撮テレビ番組である。宇宙人の巨大ヒーローを中心に、多様な怪獣たちを出現させ、一大ブームを巻き起こしたこのシリーズは、日本のサブカルチャー史のなかでも特異な位置を占めている。本論はこのウルトラシリーズについての、さらには特撮文化そのものについての評論である。
     このシリーズの内容や成立過程に関しては、すでにさまざまな検証がなされている。とりわけ九〇年代以降、監修の円谷英二はもちろんのこと、金城哲夫、上原正三、佐々木守、市川森一、石堂淑朗(以上脚本家)、円谷一、飯島敏宏、実相寺昭雄(以上監督)、佐原健二、桜井浩子、黒部進、古谷敏、ひし美ゆり子(当時の芸名は菱見百合子)、森次晃嗣、岸田森(以上俳優)、成田亨、高山良策、池谷仙克(以上美術家)、さらに異色の編集者・大伴昌司ら当時の円谷プロダクション界隈のキーパーソンに関わる書籍や特集が、次々と刊行されるようになった。過去作品のソフト化も進み、二〇一一年には白黒の『ウルトラQ』が「総天然色」版のDVDとして生まれ変わった。今でも、硬派な研究書からマニア向けのムック本まで多くの関連書籍が刊行されており、シリーズ放映五十周年を迎えてからもその量は増すばかりだ。
     インターネット上の膨大なファンサイトも含めたこの情報の山には、今さら何も付け加えるべきことはないように思える。とはいえ、大きな課題が実はまだ一つ残されているのではないか。一言で言えば、それは「ウルトラシリーズが戦後サブカルチャー史のなかで、ひいては戦後日本社会の作り出してきた精神や美学のなかで、いったいどういう位置を占めるのか」という文化史的な問いである。
     振り返ってみれば、九〇年代以降、日本のサブカルチャーは宮崎駿監督のアニメ映画を筆頭にして、学問的研究や文化批評の対象として頻繁に扱われるようになってきた。今や社会学者や心理学者、文芸批評家がサブカルチャー論を書くのは当たり前の光景となり、良し悪しは別にして、サブカルチャー全般のアカデミックな制度化も進行している。ただ、そこで取り上げられるのはもっぱら漫画、アニメ、ゲーム、J-POP、ネット文化等であり、特撮はどちらかと言えばマイナーな存在に留められてきた。
     この傾向は特撮の受容層の世代的な偏りと関係している。現在の出版界において、特撮論の書き手はウルトラシリーズをリアルタイムで視聴できた一九六〇年前後生まれ(オタク第一世代)の男性が圧倒的に多く、一九七〇年代生まれ(オタク第二世代)や一九八〇年代生まれ(オタク第三世代)以降の書き手においては、総じて特撮そのものがあまり重視されていない[1]。これは漫画論やアニメ論の研究者が各世代に散らばっているのと対照的である。さらに、この偏りは作り手の側にもはっきり見て取れる。例えば、二〇一六年にはオタク第一世代を代表する庵野秀明総監督・樋口真嗣特技監督の『シン・ゴジラ』が大反響を巻き起こしたが、今後オタク第二世代以降の映像作家が庵野や樋口と同じ濃度の特撮映画を撮るのは難しいだろう。
     ヒーローものや怪獣ものの特撮は、戦後日本社会で広く共有された映像表現である一方で、特定の世代の文化体験と深く結びついてもいる。むろん、それが悪いわけではないが、特撮についての「語り」を多面的かつ持続的なものにしようとするならば、ときに世代のコンテクストから離れ、より大きな歴史的視点を定めることも必要だろう。そもそも、戦後日本のサブカルチャー史は特撮を抜きにしては十分に理解できないし、逆に特撮の意義を考えるには、戦中・戦後の文化史への目配りが欠かせない。だとすれば、今のサブカルチャー論に必要なのは、何よりもまず特撮と歴史の繋がりを回復することではないか――、文芸批評家の私が本論を書く背景にはそのような問題意識がある。
    六〇年代――映画からテレビへ
     本題に入る前に、まず下準備として六〇年代後半という時代性に注目しておきたい。今から振り返ると、この時期に始まったウルトラシリーズがさまざまな文化領域の転換期と重なっていたことがよく分かる。そもそも、このシリーズは映画、テレビ、演劇、美術、雑誌編集等にまたがる諸分野の人間どうしの「合作」としての性格が強く、しかもその諸分野が当時それぞれに岐路を迎えていた。
     例えば、日本映画の娯楽産業としての全盛期はすでに過ぎ去り(観客動員数は一九五八年をピークに減少を続けていた)、ウルトラシリーズの監督や俳優たちは好むと好まざるとにかかわらず、テレビに新たな活路を見出さざるを得なくなっていた。あるいは、金城哲夫や上原正三のような沖縄出身の脚本家たちが自らの情念をウルトラシリーズの怪獣に託す一方、そのようなメッセージ性・物語性にはお構いなしにマニアックな「設定作り」に熱中する大伴昌司の編集者的才能が、作り手たちの意図を超えた怪獣ブームの呼び水になった。さらに、ウルトラマンと怪獣のデザインおよび着ぐるみの制作を担当した成田亨や高山良策のような美術家は、結果的に「純粋芸術」(ファインアート)と「大衆文化」(サブカルチャー)の境界をぼやけさせ、九〇年代初頭の美術界で台頭したオタク第一世代の中原浩大、村上隆、ヤノベケンジら「ネオ・ポップ」の作家たちの先駆けになった。
     特に、東京オリンピックを契機にしてテレビが一般家庭に広く普及する一方、映画産業が衰退期を迎えていたことは、ウルトラシリーズという「テレビ映画」(フィルムで光学的に撮影されたテレビドラマ)の出現の決定的要因となった。一九六六年放映の『ウルトラQ』に始まる初期のシリーズでは、すでに東宝の特撮映画で名声を博していた円谷英二を監修として、当時TBSのディレクターであった息子の円谷一がたびたび監督を務めていたが、この体制そのものが映画からテレビへという娯楽の中心の移行を雄弁に物語っている。象徴的なことに、『ウルトラマン』第一話の脚本も、すでに『モスラ』や『キングコング対ゴジラ』等の特撮映画で実績のあった関沢新一と、映画業界とはほとんどゆかりのない金城哲夫の「共作」として世に出ることになった。
     むろん、この新旧メディアの交差はさまざまな摩擦も生み出した。例えば、ウルトラシリーズに監督として参加する以前、黒澤明の『蜘蛛巣城』や『隠し砦の三悪人』の助監督を務めた映画畑の野長瀬三摩地は、TBS出身の実相寺昭雄のふざけた演出――ハヤタ隊員がベータカプセルと間違ってスプーンを取り出してしまうというもの――に不満げであったと伝えられる。あるいは、シリーズで光線の合成を担当した飯塚定雄は、『ウルトラマン』のラッシュを確認中にセットのバレモノが見つかったとき、テレビでは切れますからと言った撮影助手に対して、円谷英二が激怒したという逸話を伝えている[2]。メディア史的には、だいたい一九六四年頃を境にして「映画会社とテレビ局のパワーバランスが崩れ始めた」と言われるが[3]、それはまた、映像の見せ方の技術や常識が大きく変わっていくということでもあった。
     シリーズの俳優に関しても、東宝の特撮映画の常連であった佐原健二が『ウルトラQ』の主役に起用された一方、そのような華やかな光の当たらなかった映画人もいた。例えば、古谷敏はもともと宝田明を目標に東宝の「ニューフェース」として入社したが、映画では大きな成功を収められないまま、成田亨にそのスタイルの良さを買われてウルトラマンのスーツアクターに抜擢される。しかし、役者でありながら顔の出ないぬいぐるみに入るという現実は、古谷のプライドと身体に過酷な負担をかけるものであった[4]。
     このように、初期のウルトラシリーズは高い視聴率を得た一方で、映画畑のひとびとの心理的抵抗も伏在させていたが、それでもシリーズの作り手たちは映画の財産を相続しつつ、それをテレビ向けにアレンジして自らの文法を確立していった。この先行するジャンルの「翻訳」がウルトラシリーズに限らず日本のサブカルチャーの核心にあるということは、後々問題にするので記憶に留めておいてもらいたい。 
    大島渚とウルトラマン
     さらに、六〇年代後半以降は映画の内部でも大きな地殻変動が起こっていた。大手の製作配給会社の映画に代わって、アングラ的なピンク映画、土本典昭や小川紳介のドキュメンタリー映画、松竹ヌーヴェルヴァーグの大島渚、吉田喜重らが台頭し、それまでの黒澤明や小津安二郎ら「巨匠」たちのスター・システムの映画から大きくはみ出したカルト的な映像世界を作り出した[5]。東宝の森岩雄の肝煎りで作られた映画会社アート・シアター・ギルド(ATG)が、その象徴的な拠点となったことは広く知られている。
     このうち、ウルトラシリーズと間接的に関わりがあったのが、その鋭利な映像批評も含めてこの新潮流のトップランナーであった一九三二年生まれの大島渚である。大島は自らの監督作『絞死刑』や『新宿泥棒日記』等の脚本に参加した佐々木守を実相寺昭雄にひきあわせた(なお、実相寺の一九六九年の初監督作品『宵闇せまれば』の脚本はもともと大島が自分のテレビドラマ用に準備したものであった)。監督・実相寺、脚本・佐々木のコンビはその後『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』等で異色の実験作を次々と生み出していく。さらに、この一九三六年生まれの佐々木とともにウルトラシリーズの代表的脚本家となった三七年生まれの上原正三も、学生時代に大島に心酔し、『愛と希望の街』『日本の夜と霧』『青春残酷物語』を見て粋がっていたと後に語っている[6]。

    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
     ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。
     ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。