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井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第23回 駆け引き(学習説の他説との整合性④)【毎月第2木曜配信】
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井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第23回 駆け引き(学習説の他説との整合性④)【毎月第2木曜配信】

2018-04-11 07:00
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    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は「ゲーム性」において欠かせない要素である「駆け引き」と学習プロセスの関係についてまとめます。

    3.6 駆け引き(学習説の他説との整合性④)(学習説の他説との整合性④)

    3.6.1 「駆け引き」とは何だろうか

    「第三ラウンドが始まった。ディーラーが再びディスカードし、四枚目のコミュニティカードを場に並べてオープンした。ターンと呼ばれる共有カードだ。印はでJ。

    思わず、どきりとした。

    これで、J、10、8、7が揃い、9が来ればストレートである。

    次に来るカードを、ウフコックは何かの手段で読んでいるのだろうか。もしそうではなく、ただ強引にコールし続けているのなら、いかにも素人くさい。それともそれを演じようとしているのだろうか。バロットには何もわからなかった。

    ブラインドベッターのカウボーイが三十ドルのベットをし、ドクターがコール。『レイズ、六十ドル』

    と手のひらに文字が浮かび、バロットは思わず何度も確認してしまった。

    《──三十ドルのコールに、レイズ六十ドルです》

    信じがたい思いで最高賭金の額を置いた。これで二百十ドルが手元から消えた。この調子だとスロットで稼いだ分が、あっという間に消えてなくなるのがわかって怖くなった。」

    これは、冲方丁『マルドゥック・スクランブル』で描かれたポーカーの一節だ。[1] ゲームを扱う物語描写において、その見せ場はしばしば、駆け引きを行う心理戦の描写であることが多い。

    筆者は昔、「ゲーム」の骨格をなす中心的な概念として論じられやすい「ゲーム性」という概念が、どのような文脈で、どのような言葉とともに用いられることが多いのか。これを雑誌『ゲーム批評』のバックナンバーをもとに調べたことがある。とくに言い換え表現として頻繁に使われていた表現は「駆け引き」という要素だった[2] 。当時は、結局この概念がなぜ頻繁に使われるのか、という点についてあまり細かな議論をすることができなかった。ただ、多くの人が中心的な要素だと位置づけるこの要素は、重要な論点のひとつであることは明らかだった。ときには『ゲーム』と題した本の中身がまるまる駆け引きについての議論であるというケースすらある。[3]

    今回は、この「駆け引き」という概念と学習プロセスの関係について述べたいと思う。まずは、駆け引きと、学習プロセスの関係を考えるうえで、押さえておくべく基本的な概念を整理するところからはじめよう。


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