ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回の(2)では、堤幸彦のほか、押井守や村上龍、小林よしのり、秋元康など、多くの作家を輩出した1955年生まれを、「60年代の革命と80年代の消費社会の間に宙吊りにされた世代」という側面から捉え、彼らの作品に滲み出る、革命への〈憧れ〉と〈断念〉について考えます。
堤の「人工的でありながら生々しい映像」
堤幸彦は『テレビドラマの仕事人たち』(著:上杉純也/高倉文紀・KKベストセラーズ)に収録されたインタビューの中で、自身の映像について「マルチカメラを使ってトレンディドラマみたいなことはムリ」と語っており、外様の自分が世の中に出て目立つためには、他のドラマがやらないことをやるしかなかったと語っている。
インタビュアーの上杉純也は、堤の演出の特徴を以下のように書いている。
極力スタジオセットを避ける、スタジオで撮る場合でもセットは全部天井ありの4面総囲みにする。それは“人間の視点に一番近い映像でなくては、アニメやCMには勝てない”という思いからだった。(『テレビドラマの仕事人』より)
堤は『金田一』の際に、マルチカメラ(複数のビデオカメラを使ってマルチアングルで撮影する手法)で、スタジオに組んだセットで撮るという、既存のテレビドラマの手法ではなく、オールロケで一台のカメラで撮影していくという手法を選択した。
また、当時のテレビドラマとしてはカット数が多く、下から煽るようなアップや、魚眼レンズの歪んだ映像で顔を撮影するような、奇抜な構図の映像が多かった。これはミュージッククリップの手法からの影響である。
『金田一』第2シーズンではマンネリを避けるために、演出がより過激化した。
例えば“犯人はお前だ!”っていうのも“は・ん・に・ん・は・お・ま・え・だ・!”って10カットくらいになったり、縦にカメラがグルグル回ったり。まぁ、小難しくても、小学生が楽しめる作品にはなったと思いますけど」(同書)
また『サイコメトラーEIJI』では、照明を使わずにノーライトで撮影しているが、これは当時としては画期的な一つの事件だった。
当時のテレビドラマが、映画と比べて映像面で劣ると言われた理由は、照明に時間を割くことができず全体にライトを当てるため、陰影のないぺらぺらの映像となっていたからだ。照明を使わずに撮影すると、ザラザラとした映像となりブロックノイズなども出てしまうが、それが逆にドキュメンタリー映像のような生々しさを生んでいた。
2. オールロケ
3. 照明を使わない手持ちカメラの映像
堤演出の特徴をまとめるなら以上の三点だろう。
(さらに、『金田一』の時点ではまだ控えめだが、『池袋ウエストゲートパーク』以降になると、大人計画の宮藤官九郎のような、小ネタを多用したアドリブ混じりの軽妙な会話劇が劇中に持ち込まれるようになっていく)