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記事 5件
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第5回 堤幸彦(3)『ケイゾク』ーー過去は未来に復讐する

    2018-08-07 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『金田一少年の事件簿』で一躍ヒットメーカーに躍り出た堤幸彦が、1999年に手がけた、テレビドラマ史に残る問題作『ケイゾク』。それは、サンプリングとリミックスを旨とし、最終的に自己破壊でしかリアルを表現できないという、90年代の時代精神を体現した作品でもありました。
    堤の映像は土9のみならず、佐藤東弥、大谷太郎といった日本テレビのディレクター達に大きな影響を与え、その後の土9のドラマはもちろんのこと、日本テレビのドラマの映像センス自体を書き換えてしまったと言っていいだろう。
    彼らにしたらある種、ショックだったと思うんですよ。ただ、僕自身はずっと土曜9時でやっても、何の広がりもなかったワケです。自分の位置がテレビ的にどうなのかっていうのもわかるし、いくら暴れん坊みたいにやっていても、結局はドラマを作るっていう、ベーシックな仕事の基本はなんら変わらないっていう、そういう意味で寂しくなってきたなと思っていた、ちょうどそういう時期に、渡りに船で『ケイゾク』の話をいただいたんです。なら、もう一回チャンスがあるだろうなぁって、それでやってみたんですね。 (「テレビドラマの仕事人たち」著:上杉純也/高倉文紀(KKベストセラーズ)堤幸彦インタビューより)
    堤が土9の仕事に限界を感じはじめていた頃、蒔田光治の仲介で、TBSの植田博樹と出会う。編成時代の植田はTBSのドラマが持つ保守性にフラストレーションを抱えていて、なんとか新しいドラマを作れないかと考えていた。そんな時に堤が手がけた『金田一少年の事件簿』を見て、これはTBSでは作れないドラマだと驚いたという。その後、植田はプロデューサーに復帰。1999年の1月からはじまるドラマを急遽、立ち上げなければならなくなる。その時にTBSでは作れない新しいドラマを作るため、堤幸彦とコンタクトを取る。 
    TBSのブランドイメージって僕的には非常に高かったんですよね。第2NHK的というか、絶対、自由に作れる世界じゃないなっていう気がなんとなくしていたワケです。ところが、そこにいた植田という男が、これが、僕が今まで見た中で一番の暴れん坊でね、スレスレの人だったんです。(同書)
    視聴率ではフジテレビや日本テレビに遅れをとっていたが、当時のTBSにはNHKに次ぐ老舗のイメージがあった。中でもテレビドラマ、特に金曜ドラマに関しては「ドラマのTBS」という圧倒的なブランドがあり、外部ディレクターの堤にとっては、プレッシャーの大きな仕事だったのだろう。 そんなTBSの社員ということもあって、自分とは違う世界を生きるエリートだと、植田に対してはどこまでドラマ作りに対して本気なのかと様子を窺っていた堤だったが、企画を進めていくうちに植田の情熱は本物だと感じ、やがて意気投合するようになっていく。 そして、ドラマ史に残る問題作『ケイゾク』(TBS系)が生まれることになる。
    ▲『ケイゾク』
    『ケイゾク』ーーミステリーに対する醒めた視点
    『ケイゾク』は、東京大学法学部を首席で卒業した警部補・柴田純(中谷美紀)が迷宮入り(ケイゾク)となった事件を専門に捜査する部署・捜査一課弐係に配属されるところから始まる。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 第4回 堤幸彦(2) 悪ふざけと革命願望(後編)

    2018-07-11 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回の(2)では、堤幸彦のほか、押井守や村上龍、小林よしのり、秋元康など、多くの作家を輩出した1955年生まれを、「60年代の革命と80年代の消費社会の間に宙吊りにされた世代」という側面から捉え、彼らの作品に滲み出る、革命への〈憧れ〉と〈断念〉について考えます。
    堤の「人工的でありながら生々しい映像」
     堤幸彦は『テレビドラマの仕事人たち』(著:上杉純也/高倉文紀・KKベストセラーズ)に収録されたインタビューの中で、自身の映像について「マルチカメラを使ってトレンディドラマみたいなことはムリ」と語っており、外様の自分が世の中に出て目立つためには、他のドラマがやらないことをやるしかなかったと語っている。
     インタビュアーの上杉純也は、堤の演出の特徴を以下のように書いている。
    極力スタジオセットを避ける、スタジオで撮る場合でもセットは全部天井ありの4面総囲みにする。それは“人間の視点に一番近い映像でなくては、アニメやCMには勝てない”という思いからだった。(『テレビドラマの仕事人』より)
     堤は『金田一』の際に、マルチカメラ(複数のビデオカメラを使ってマルチアングルで撮影する手法)で、スタジオに組んだセットで撮るという、既存のテレビドラマの手法ではなく、オールロケで一台のカメラで撮影していくという手法を選択した。  また、当時のテレビドラマとしてはカット数が多く、下から煽るようなアップや、魚眼レンズの歪んだ映像で顔を撮影するような、奇抜な構図の映像が多かった。これはミュージッククリップの手法からの影響である。 『金田一』第2シーズンではマンネリを避けるために、演出がより過激化した。
    例えば“犯人はお前だ!”っていうのも“は・ん・に・ん・は・お・ま・え・だ・!”って10カットくらいになったり、縦にカメラがグルグル回ったり。まぁ、小難しくても、小学生が楽しめる作品にはなったと思いますけど」(同書)
     また『サイコメトラーEIJI』では、照明を使わずにノーライトで撮影しているが、これは当時としては画期的な一つの事件だった。 当時のテレビドラマが、映画と比べて映像面で劣ると言われた理由は、照明に時間を割くことができず全体にライトを当てるため、陰影のないぺらぺらの映像となっていたからだ。照明を使わずに撮影すると、ザラザラとした映像となりブロックノイズなども出てしまうが、それが逆にドキュメンタリー映像のような生々しさを生んでいた。
     1. 奇抜な映像でカット数が多い。 2. オールロケ 3. 照明を使わない手持ちカメラの映像 堤演出の特徴をまとめるなら以上の三点だろう。 (さらに、『金田一』の時点ではまだ控えめだが、『池袋ウエストゲートパーク』以降になると、大人計画の宮藤官九郎のような、小ネタを多用したアドリブ混じりの軽妙な会話劇が劇中に持ち込まれるようになっていく)
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第3回 堤幸彦(1) 悪ふざけと革命願望(前編)

    2018-06-13 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回では、『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』などで知られる映像作家・堤幸彦を取り上げます。1995年に「土9」枠でヒットした『金田一少年の事件簿』は、以降のキャラクタードラマの先駆けとなる、画期的な作品でした。

    テレビドラマの画期となった『金田一少年の事件簿』
    1995年。失速する野島伸司と入れ替わるようにテレビドラマの世界で頭角を現したのが、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系、以下『金田一』)でチーフ演出を務めた堤幸彦だ。 
    『金田一』は少年マガジン(講談社)で連載されていた人気ミステリー漫画をドラマ化した作品だ。横溝正史の推理小説『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』に登場する名探偵・金田一耕助を祖父に持つ高校生・金田一一(はじめ)が主人公となり、行く先々で起こる殺人事件を探偵として解決していく。

    ▲『金田一少年の事件簿』
     
     95年4月にSPドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』として放送された本作は7月から連続ドラマとして放送された。その後、SPドラマ、第二シーズンが放送されたのちに映画化されて大ヒットとなり、堤幸彦は日本テレビから社長賞を受け取った。
    堤が手がけたシリーズはここで一旦終了したが、その後、二度もリブートされる人気シリーズとなった。
     
    『金田一』は様々な意味で画期的な作品だった。
     まず第一に、本作は10代から20代前半の若者向けのドラマとして作られていた。 
    本作が放送された日本テレビ系土曜9時枠(土9)は、もともとトレンディドラマブームの余波で作られたドラマ枠だった。しかし、後発ゆえに視聴率の面では苦戦しており、他局との差別化に苦しんでいた。
    そんな中、野島伸司が企画した『家なき子』が大ヒットしたことで、ドラマ枠の方向性が大人向けの作品から子供向けへと大きくシフトすることになる。その結果、生まれたのが少年漫画を原作とする『金田一』だった。
    本作の成功は、仕事と恋愛が中心だった日本のテレビドラマに、漫画やアニメを楽しんでいたような男性視聴者の取り込みに成功した。
    70年代から80年代前半にかけては人気刑事ドラマの『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)や松田優作が主演を務めた『探偵物語』(日本テレビ系)のような男性視聴者に向けた男臭いドラマが多かったが、80年代後半になりバブル景気が盛り上がっていくと、トレンディドラマのような社会で働く女性にとっての仕事と恋愛を描いたものが増えていった。その結果、いわゆるF1層(20~34歳の女性)に向けた作品がテレビドラマの中心となっていく。当時は邦画も停滞期だったため、男性視聴者の多くは漫画・アニメ・ゲームといったオタクカルチャーへと関心が向かっていた。そんな中、少年マガジンのミステリー漫画を原作とする『金田一』は、劇中の犯人を推理するというゲーム的な要素もあって、普段はドラマを見ない男性視聴者からの支持を獲得した
     同時に、主演を務めたのが、ジャニーズ事務所に所属する男性アイドル(以下、ジャニーズアイドル)・KinKi Kidsの堂本剛だったことで、アイドルファンの女性視聴者の取り込みにも成功している。つまり本作は、男性アイドルを主人公にした「アイドルドラマ」の始まりでもあったのだ。 
     今でこそ、テレビドラマの主演をジャニーズアイドルが占めることは当たり前となっている。しかし、当時はSMAPの木村拓哉が『あすなろ白書』(フジテレビ系)等の恋愛ドラマに進出し始めたばかりの時期で、堂本剛も同じユニットの堂本光一と共に『人間・失格〜例えば僕が死んだなら〜』(TBS系)に出演していたが、それはあくまで例外的なもので、俳優とアイドルの境界は、今よりも大きく隔たっていた。本木雅弘、岡本健一といったジャニーズアイドルの俳優業が本格的にスタートするのはアイドルを辞めてからであり、アイドルでありながら俳優としても活動するというスタイルが成立するのは、SMAPによってアイドルが歌、バラエティ、司会、俳優といった多ジャンルで活躍できることが証明されてからである。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第2回 野島伸司とぼくたちの失敗(後編)

    2018-04-10 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。TBS三部作において〈無垢なるものを守るための共同体と暴力〉という主題に向き合った野島伸司。1995年にその臨界点となる『未成年』が放送されますが、その結末が示した限界は、キャラクタードラマの時代への転換を促すことになります。

    野島三部作が切り開いたものと、その限界
     90年代前半の野島伸司のフジテレビ系の作品は、当時の空気を知る上での歴史的資料としては面白いのだが、現在のテレビドラマの水準と比較すると映像や演出の面で、どうしても見劣りする部分がある。
     対してTBS系の金曜ドラマで放送された『高校教師』以降の野島三部作と言われる作品群は、今の視点で見ても、一つの映像作品として鑑賞に耐えうるクオリティを保っている。
     中でも圧倒的な完成度を誇るのが1993年の『高校教師』である。

    ▲『高校教師』
     物語の舞台は、とある女子校。大学の研究室から生物の教師として赴任した羽村(真田広之)は二宮繭(桜井幸子)という女子生徒と知り合い、やがて教師と生徒という立場を超えた恋愛関係へとなっていくのだが、実は繭は芸術家の父親との近親相姦の関係にあった。
     物語は羽村だけでなく、繭の友人の相沢友子(持田真樹)と体育教師の新藤徹(赤井英和)、そして相沢をレイプして自分のものにしようとした藤村知樹(京本正樹)の関係も同時に描いていく。
     教師と生徒の恋愛にレイプや近親相姦といったショッキングな描写が盛り込まれた本作は、過去の野島作品と比べても過剰に性的な物語だった。
     本作と同時期に女子高生がブルセラショップでパンツを売ったり、テレクラで売春(援助交際)を行うといったゴシップ記事が話題となり、やがて90年代後半の女子高生がマーケティングの対象となるコギャルブームへとつながっていった。
     そう考えると本作もまた、女子高生を性的に消費することに対する過剰な盛り上がりを見越したトレンディな作品だったと言うこともできるのだが、桜井幸子が演じる繭の異様な存在感(当時、桜井幸子は19歳で年齢的には高校生ではなかった。元々大人びた雰囲気を持つ女優だったが、彼女だけが一人浮き上がって見えるような大人びた存在感は年齢の問題もあるのではないかと思う)もあってか、今見返しても色あせていない。野島ドラマの中では数少ない時代を超えた古典的傑作となっている。白を基調とした映像も素晴らしく、テレビドラマとしてのルックも格段に美しい。
     本作は、はじめて野島伸司がTBSの金曜ドラマという名作ドラマ枠で執筆した作品だ。
     金曜ドラマは古くは『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』といったテレビドラマの巨匠である脚本家・山田太一がドラマを発表していた場所で、ドラマファンからすると特別なドラマ枠だ。90年代の野島伸司作品以降も堤幸彦演出の『ケイゾク』や宮藤官九郎・脚本の『木更津キャッツアイ』などが放送され、テレビドラマ史に残る作家性の強いドラマの多くはここから生まれてきた。
     今までフジテレビで書いてきた野島にとって、金曜ドラマで書けるということはそれだけ名誉なことで、ここで作家として認知されたという面は大きいだろう。
     岡田惠和、北川悦吏子、三谷幸喜といったこの時期に頭角を表した脚本家たちは、山田太一や倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家の作品を見て影響を受けた書き手が多い。彼らのドラマは作家性が高く評価されており、シナリオ文学と一部で呼ばれていた。
     彼らのシナリオ集は書籍として販売され、脚本家志望の若者に大きな影響を与えた。
     そして、1980年に向田邦子が直木賞を受賞したことでドラマ脚本家が作家として評価される機運が高まった後で、彼らのシナリオを読んで世に出てきたのが90年代に活躍した脚本家だ。
     野島も無論、その一人だ。彼の群像劇の中に社会性のあるショッキングなテーマを盛り込んでいくというアプローチは、山田太一の『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』の方法論をよりスピーディーかつショッキングなものとして、キャッチーに見せていると言えよう。
     しかし、そんなスピード感が、一つ一つのエピソードやモチーフを軽く扱っているように見えてしまう。当時から野島の作風を山田太一や倉本聰といったシナリオ文学以降の流れとして捉える向きはあったが、山田太一のドラマのドラマを熱心に見ていた視聴者ほど、野島に対する評価は厳しかったと記憶している。野島ドラマは高尚な文学として読まれるには、下世話で面白すぎたのだ。
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  • 【新連載】成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第1回 野島伸司とぼくたちの失敗(前編)

    2018-03-01 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんの新連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』が始まります。第1回で取り上げるのは、90年代を代表するドラマ脚本家の野島伸司です。80年代トレンディドラマの“アンチ”ともいえる陰鬱な展開で人気を博した野島ドラマですが、その中には00年代に全面化する共同体への志向が、既に萌芽していました。
     この連載は、1995年から2010年のテレビドラマについて語るクロニクル(年代記)である。
    その時期に製作されたテレビドラマや、脚本家や演出家といった作り手に言及することで、その時代のテレビドラマで何が起きていたのかを、一つ一つ紹介していこうと考えている。
    なぜ、1995年から2010年という区分なのか
     1995年は、戦後日本の大きな転換期となった年だ。
     1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。戦後、経済発展と共に治安に関しては世界一と言ってもいい平和大国だった日本に初めて不穏な影が差し込んだのだ。
    そして、終身雇用と年功序列という戦後の経済成長を支えた日本型の家族経営が機能不全に陥り、新卒採用が見送られ就職氷河期が叫ばれるようになる。
    後に「失われた20年」と言われる日本の低成長時代がいよいよ本格化しはじめたのだ。
     だが一方で、大衆文化だけは遅れてきたバブルを謳歌していた。週刊少年ジャンプの発行部数は600万部を超え、小室哲哉がプロデュースしたアーティストの曲が立て続けにミリオンセラーを記録し、テレビドラマも高視聴率を獲得していた。
     中でも大きな存在感を見せ始めていたのが、アニメーションである。
     95年には押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と大友克洋が監修を務めた『MEMORIES』という劇場アニメが上映されたのだが、この二作の評価は世界に通用するクールなポップカルチャーという位置付けだった。
     大友克洋監督の『AKIRA』が海外でカルト的に評価されて以降「日本のアニメはクール」というジャパニメーションブームが起き、逆輸入的に国内のアニメを評価する動きが数年前から起きていたのだが、その勢いが本格化するのもこの年である。
     何より反響が大きかったのはテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場だろう。
     14歳の少年がエヴァと呼ばれる巨大ロボット(劇中では人造人間と呼ばれている)に乗って、使徒と呼ばれる謎の巨大生物と戦う物語は、『マジンガーZ』以降のロボットアニメや『ウルトラマン』等の特撮ドラマのテイストを盛り込んだ、戦後サブカルチャーの総決算とでも言うような内容で、謎が謎を呼ぶストーリーと登場人物のナイーブな心理描写はアニメの枠を超えて、あらゆるカルチャーに今も影響を与え続けている。
     テクノロジーとコミュニケーションの面で大きかったのはマイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことだろう。今まで一部のマニアだけのものだったパソコンが一般層にも普及し、メール、チャット、BBSといったインターネットを介したコミュニケーションが本格的に始まったのもこの年だった。
     つまり、戦後日本が積み上げてきた経済発展が終わる一方で、文化面では漫画やアニメといったオタクカルチャーを中心とした後にクールジャパンと呼ばれるような流れが誕生し、その一方でインターネットの登場によるコミュニケーションの変容が始まったのが95年だったと言える。
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