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デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。『レッツ&ゴー』における〈成熟〉の失敗は、乗り物を通じた暴力の否定であり、ひいては自動車にまつわる〈男性性〉の拒否を意味します。90年代末に描かれたその想像力は、トヨタ・プリウスに象徴される、00年代の世界的な自動車のパラダイム転換を予見していました。

バトルレースと『レッツ&ゴー』の倫理

『レッツ&ゴー』におけるミニ四駆の美学は、成熟を拒否している──この結論は、20世紀末ボーイズトイを通じて新しい成熟のイメージを発見しようとする本連載の趣旨からすると、奇妙に思えるだろう。しかしここで考えたいのは、こしたてつひろが、なぜ理想的な成熟を描けなかったのか──いや、描かなかったのか、ということだ。

その理由は、『レッツ&ゴー』シリーズにおける敵の描写によく表れている。シリーズを通じて烈や豪(あるいは烈矢や豪樹)の前に立ちはだかる敵は交代していくのだが、勝利のためならばマシンを破壊しても構わないという思想を持っている点では執拗なまでに一貫している。

こうした思想、およびこれに基づくマシンへの直接攻撃を容認するレギュレーションには、アニメ化された際に「バトルレース」という名前が与えられている。通常のレースにバトルレースを持ち込む、あるいはバトルレースそのものを主流のレギュレーションとして推進しようとする敵との緊張がドラマの軸に据えられている。敵が勝利という結果にこだわることは、重要なレース結果の不自然なまでに軽い描写と表裏一体である。『レッツ&ゴー』において、レースにおける勝利という社会的価値を通じて男性性を追求し自己を実現しようとすること──ミニ四駆と社会を接続することで「大人」を目指す営みは、暴力や破壊と深く結びついている。

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▲「WGP編」に登場するイタリア代表のマシン、ディオスパーダ。刃物が仕込まれており、レース相手を切り裂く(むろん反則である)。
『爆走兄弟!!レッツ&ゴー(12)』p36

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▲「MAX編」に登場する敵、ボルゾイ。バトルレースを是とするボルゾイレーシングスクールを主宰する。
『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(1)』p96

だから『リターンレーサーズ』において、F1レーサーとなった豪が危険なドライビングを繰り返していることは、解決されるべき重大な問題として描かれる。これはレースを扱った物語作品において、むしろ例外的な価値観といっていいだろう。勇気を持ってリスクを取り、勝利を掴もうとする精神は、それが意図的に事故を引き起こそうとする悪意あるものでない限り、肯定的に描かれることの方が多いからだ。たとえば先代の『四駆郎』だけを見ても、四駆郎たちは命がけのレースに自ら身を投じていったし、その源流たる自動車文化を象徴する源駆郎が参加していたのは、死のレースといわれる「地獄ラリー」だった。成長した四駆郎もまた、こうした過酷なレースに身を投じていったことが示唆されていた。いうなれば四駆郎たちや豪は、成熟を目指した結果、バトルレースに身を投じてしまっているのだ。

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▲クラッシュしたときのパーツは、武勇伝を語るものとしてではなく「いましめに」飾られている。
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!ReturnRacers!!(1)』p16

『レッツ&ゴー』は、確かに成熟を拒否している。しかしこしたてつひろがバトルレースを徹底して悪として描き、自らの生命を危険にさらし続ける豪の成熟のあり方を露悪的に描いたことは、乗り物を通じて社会と短絡した主体が引き起こす暴力を容認しないという倫理的な態度だったといっていい。ここでこしたてつひろが拒否したものは成熟そのものではなく、『四駆郎』までは引き継がれていた、20世紀の自動車文化における男性性のイメージなのだ。

ミニ四駆が「魂を持った乗り物」という中間的な存在として描かれた理由も、そこにある。自動車は、工業技術によって身体を拡張し、主体にレバレッジをかけて社会に接続する。その拡張感は、自動車を直接操作しているという感覚に支えられたものだ。こしたてつひろはミニ四駆が操作できないことを肯定的に捉え、ここに「魂」という想像力を介在させて操作を間接化することでいったん主体から切断した。そしてさらにミニ四駆をスポーツとして社会からも切断することで、主体と社会の間で機能する緩衝としての役割を与えた。

こしたてつひろの慧眼は、比喩的にいうなら、ミニ四駆が「交通事故を起こさない自動車」であることを発見した点にある。言い換えれば、進歩を目指しながらも暴力と結びつかない形で、政治的に正しく男性性を追求する可能性を、ミニ四駆という「おもちゃ」の中に見いだしたのだ。

もうひとつのトヨタ・プリウス

20世紀的な男性文化・自動車文化の批判的継承として、こしたてつひろが『レッツ&ゴー』で描いた想像力は先見的かつ重要だ。

実は自動車の文化史においてこれとちょうど相似形を描いている出来事がある。それはレオナルド・ディカプリオによるトヨタ・プリウスの再発見だ。

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▲レオナルド・ディカプリオ主演『ウルフ・オブ・ウォールストリート

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▲トヨタ・プリウス。写真は2003年から2011年にかけて生産された二代目。


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