ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は、宮藤官九郎のルーツである戦後の演劇文化を論じます。新左翼の強い影響下にあった小劇場演劇は、80年代以降は学生運動を相対化する「笑い」に転じ、「身体の再解釈」という主題を得て、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史、平田オリザといった才能を輩出します。
小劇場演劇からキャリアをスタートして、テレビドラマで成功した二大脚本家と言えば、三谷幸喜と宮藤官九郎だが、今もテレビドラマと小劇場演劇の交流は活発だ。
現在放送中の『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』(NHK)の脚本を担当する三浦直之も劇団ロロの主宰で、小劇場演劇で高く評価されている。本作は浅原ナオトの小説『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA)をドラマ化した原作モノではあるものの、ボーイミーツガール・ストーリーの名手として知られる三浦の筆致はみずみずしいもので、珠玉の青春ドラマに仕上がっている。
昨年はインスタグラムのストーリー機能で配信された縦長の画面を駆使したショートドラマ『デートまで』『それでも告白するみどりちゃん』(現在はどちらもYouTubeで視聴可能)が評価され、いつか長尺の連ドラを書いたら面白いのではないかと思っていたのだが、NHKのよるドラ枠という、新鋭クリエイターを積極的に起用する深夜枠(夜11時30分放送)の脚本家として起用された。このタイミングで三浦を起用したNHK関係者の眼力は確かで、今後のテレビドラマを考える上で重要な作品となるのではないかと思う。他にも岩井秀人(劇団ハイバイ)や根本宗子(月刊「根本宗子」)など、小劇場演劇からキャリアをスタートしてテレビや映画といった他ジャンルに進出していくという流れは定着している。
旧劇と新劇
古くは寺山修司から近年の三浦直之に至るまで、小劇場演劇を拠点に様々な才能が誕生した。今回はそんな小劇場演劇の歴史について振り返ることで松尾スズキの歴史的立ち位置について検証する。
まず、日本の演劇には「旧劇」と「新劇」がある。
旧劇は能、文楽、狂言、歌舞伎といった江戸時代までに生まれた伝統演劇。明治以降、ヨーロッパ演劇に影響を受けた演劇が新劇だ。
前者が様式的な時代劇、後者がリアリズムを基調とした現代劇だと言えよう。
宮藤官九郎の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)を見ていると、スポーツと体育が、外国人との身体能力の落差に追いつくための手段として国家規模で推し進められていたことがよくわかる。
夏目漱石や森鴎外が持ち込んだ近代文学にしても同様だ。鎖国を解いて世界を向き合うことになった日本は江戸時代までの古い文化を捨てて、近代に適応するため政治や軍事技術はもちろんのこと、文学やスポーツも取り入れようとした。
新劇もそういった文化の一つで、ヨーロッパの演劇を取り込むことで日本人は近代の身体と思考法を手に入れようとしたのだ。
新劇のカウンターとして生まれた小劇場演劇
左翼的なイデオロギーが強かった新劇は、戦時下には弾圧され戦意高揚の軍事劇に駆り出された。その結果、数々の劇団が解散へと追いやられたが、戦後、再び盛り返す。
文芸坐、俳優座、民芸といった大手劇団や、左翼系の新劇を否定する浅利慶太の「劇団四季」が結成され、三島由紀夫や安部公房らが戦後派の劇作家も活躍した。
演劇評論家の扇田昭彦は戦後新劇について以下のように語っている。
これらの劇作家によって、優れた劇作がいくつも生まれたことは間違いない。だが、戦前派の指導者を中心に再出発・再編成されたためもあって、戦後の新劇界は、文学における「戦後文学」に匹敵するような、「戦後演劇」の新しいかたちを総体として作り出さないまま、一九六〇年代を迎えた。
(『日本の現代演劇』著・扇田昭彦(岩波新書)「序章 新劇場がスタートした」)
そんな旧態依然とした新劇に対するカウンターとして登場したのが小劇場演劇である。
60年代にはじまった小劇場運動は、バラックのような倉庫や映画館、路上や、テントなどで創作劇を上演し、新劇が手をつけてこなかった伝統劇との繋がりをめざし、前近代的なものの再検証がおこなわれた。中心となったのは寺山修司の天井桟敷と唐十郎の赤テントである、彼らの芝居は「見世物小屋の復権」が提唱され、「アングラ演劇」と呼ばれた。