デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は番外編として、ヨーロッパ諸国のおもちゃ事情を報告します。ジェンダー的な中立性が好まれるフランスやドイツでは、児童向けおもちゃの偏向は厳しく咎められますが、一方イギリスでは、「悪趣味」で「下品」なおもちゃが人気を集めているようです。
こんにちは、池田明季哉です。先日イギリスから帰国し、久々に日本での生活を満喫しています。今回は番外編として、イギリスのおもちゃ事情を振り返りながら、海外、特に中心的に訪れた西ヨーロッパのおもちゃを取り巻く文化について考えてみたいと思います。
日本、アメリカ、イギリス、そしてフランスとドイツ
この連載では「おもちゃには理想の成熟のイメージが込められている」という前提のもとに、日本のおもちゃが発展させてきた独自のイメージについて議論を進めてきました。そのなかで、日本のおもちゃ文化はアメリカ文化がベースになっている、と幾度か言及しています。
さらに遡って、こうしたアメリカ文化における成熟の美学の源流を求めるとき、イギリス文化の存在を避けては通れないでしょう。もちろんイギリス文化は西ヨーロッパの文化の中心たるフランス文化の影響を大きく受けていますし、フランスの長年のライバルともいえるドイツ文化との関連も見逃せません。
世界史的には文化の中心地のひとつと目されているこうした地域で、果たしておもちゃにどのような成熟のイメージが込められているのでしょうか。
ヨーロッパに「おもちゃ屋さん」はあるか
さて、そもそもヨーロッパの子供たちは(あるいはその親たちは)、おもちゃをどこで、どのようにして買っているのでしょうか。
日本では専門のおもちゃ小売店が次々と閉店して久しく、現在に至っては街でその姿を見ることはほとんどありません。代わりに台頭してきたのが、家電量販店です。多くの家電量販店にはおもちゃのフロアが用意されていて、品揃えもかなり優れています。
いっぽう、Amazonをはじめとしたオンライン通販も非常に便利です。東京都内であれば翌日には届きますし、筆者の実家である北海道にも、翌々日には届くことがほとんどです。日本国内で普通に流通している一般的なおもちゃであれば、あえて小売店に行く必要はほぼないと言ってしまってよいでしょう。
ところがヨーロッパには、こうした文化はほとんどありません。専門の「おもちゃ屋さん」が街にあり、そこで購入することが普通です。もちろんオンラインで購入することも可能ですし、若い世代を中心に徐々に浸透してもいるようですが、日本ほど受け入れられているとはいえないように思われます。少なくとも、大きなショッピングモールがあれば、そこにかなりの確率でおもちゃ屋さんがある程度には、小売店は存在感を発揮しています。
こうした環境の違いは、社会において「おもちゃ」が置かれている文脈の違いを象徴しています。
日本において、家電量販店に置かれているのは、子供向けのおもちゃだけではありません。高価格高品質のフィギュアをはじめとして、主に大人の「オタク」向けのいわゆる「ホビー」に分類されるような商品も、同じフロア、近接した棚に並んでいることがほとんどです。原理的にすべての商品が並列に置かれるインターネット通販でも、状況は同じであるといってよいでしょう。
また基本的には子供向けに開発されているおもちゃであっても、大人が購入して遊ぶような状況も稀ではありません。たとえば「スーパー戦隊」「仮面ライダー」「ウルトラマン」「ガンダム」など、長年続くIPのファンが親となり、その子供におもちゃを買い与えて一緒に遊ぶ風景は、もはや普通のものになってきています。
対してヨーロッパでは、おもちゃは基本的に「子供のもの」です。筆者が住んでいたイギリスにおけるおもちゃ小売の大手「Hamleys」や「the entertainer」などに並べられているのは、子供を対象にしたものに限定されています。特に「Hamleys」において顕著ですが、キャラクターIPを軸とした商品はむしろジャンクなものとされている雰囲気もあり、狭い意味で「子供らしい」ものが中心となっています。
もちろん、アメリカンコミックスに代表されるような「大人のホビー」としてのおもちゃも、しっかりとしたファン層があります。しかしこうしたおもちゃはアクションフィギュアのような、どちらかというとコレクターズアイテムとして、コミックショップなどで販売されています。コミックショップでは子供や親子連れの姿も頻繁に見ることができますので、「おもちゃ屋さん」と「コミックショップ」を訪れる客層が完全に別れているというわけではありませんが、やはり「子供のおもちゃ」と「大人のホビー」が分かれた場所で販売されているということの意味は大きいように思われました。
おもちゃ史としては、こうした「おもちゃは子供のもの」というヨーロッパ的な態度のほうがむしろ伝統的なものです。むしろ「子供」と「大人」が境界なく融合する傾向の強い日本文化こそが、特殊なものであることが再確認できました。