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ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。
『タッチ』に続く代表作と評される『ラフ』の分析の後編です。
原作の連載終了から四半世紀を経て公開された実写映画版で、あだち的な「青春」像はゼロ年代にどう描き直されたのか。そして『陽あたり良好!』でやり残したテーマがどう昇華されたのかに迫ります。

碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第14回 完遂できなかった『陽あたり良好!』を進化させた青春群像漫画『ラフ』(後編)

漫画版の魅力を逆説的に浮き彫りにした実写映画版

 「ラフ」はラストに向けて、つまらないエピソードを重ねながら盛り上げていきました。甲子園大会みたいに1回戦、2回戦と盛り上げられないから、それまで出てきた登場人物を総動員して使い切った。
 そして最後、カセットテープを小道具に使うんですが、この思いつきに助けられたラストです。亜美の気持ちをどう圭介に伝えるか、どうふたりらしい終わり方にするか、最後の数話、煮詰まった中から出てきたアイデアだと思います。
 「タッチ」は最終回の前の回で決着をつけて、最終回はあと始末で終わらせますが、「ラフ」は最後の1ページまでどうなるかわからないつくりになってます。結果的にはうまくいった気がします。〔参考文献1〕

『ラフ』の名シーンのひとつは、最終回「きこえますかの巻」において、亜美がカセットテープに吹き込んだ圭介への告白だろう。この最終回で、圭介は恋愛でも水泳でもライバルとなる仲西と、日本選手権の自由形決勝で直接戦うことになる。
最後のページでは、レースの前に亜美が圭介への思いをカセットテープに吹き込んでいたことが読者にはわかるようになっている。そして、圭介と仲西の勝敗の結果は漫画では描かれてはいない。しかし、最終回のふたつ前の「勝ちそうなほうよの巻」で亜美は大場のじいさんとばったり会った際に、「なんじゃ、本命は負けそうなほうなのか」と聞かれた際に、亜美は「勝ちそうなほうよ」と答えている。亜美のこのセリフから、読者は圭介が日本新記録を出して仲西に勝つのではないかと読者に想像させるのである。こうした説明をどんどん省略していくスタイルは、あだち充が自分の読者ならこの描き方で伝わるはずだとわかった上での選択だった。
このラストシーンがあるからこそ、『ラフ』はあだち充作品の中でも非常に高い人気を誇っており、ラブコメの名作のひとつとして残っているのではないだろうか。

2000年代になってから、『ラフ』は連載誌「少年サンデー」での前作『タッチ』とともに相次いで東宝系で実写映画化されている。『タッチ』のほうは犬童一心を監督に起用して2005年に公開されたのに続き、翌2006年に公開された『ラフ ROUGH』は、企画に川村元気、監督に前年に『NANA』を大ヒットさせた大谷健太郎、さらに脚本には『ナースのお仕事3』を手掛けた金子ありさを起用。デビュー以来ずっとテレビドラマの脚本をしていた金子が、はじめて映画の脚本を手掛けたのは『電車男』(2005年)だった。『電車男』の企画は川村元気であり、ここから彼の名がヒットメーカーとして知られていくことになったのだが、『ラフ ROUGH』はそれに続く企画・脚本家のタッグにもなっている。

この『タッチ』『ラフ ROUGH』の2作に共通するのが、製作が東宝の社内プロデューサー・本間英行であり、主演が長澤まさみであるということだ。『タッチ』の1年前の2004年には本間が製作に関わった行定勲監督の映画版『世界の中心で、愛をさけぶ』が劇場公開され、興行収入85億円を超える大ヒットになっていた。当時、高校生だった長澤まさみは主人公・松本朔太郎(森山未來)の高校時代の恋人役の広瀬亜紀を演じた。この役どころは聡明でスポーツ万能で親しみやすいという『タッチ』の浅倉南を彷彿とさせる存在だったが、彼女は白血病を患うことになる。
長澤まさみは白血病治療の副作用による脱毛症を演じるためにスキンヘッドになり、この時の好演で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞など数々の賞を受賞し、『世界の中心で、愛をさけぶ』は彼女の出世作になった。
また、『世界の中心で、愛をさけぶ』は映画公開とほぼ同時期に堤幸彦が演出で参加した同名のテレビドラマも放映されていた。ドラマ版では朔太郎を山田孝之、亜紀を綾瀬はるかが演じている。ゼロ年代の青春映画ブームの嚆矢『ウォーターボーイズ』(2001年)の2年後を描いたドラマ版『WATER BOYS』(2003年)でブレイクしたのが山田孝之と森山未來の二人であり、若手俳優ブームとともに青春ものがゼロ年代の映画やドラマを牽引していくことになった。同時に彼らの相手役となる若手女優たちも台頭していくことになり、その中のひとりが長澤まさみだった。

そもそも彼女は「東宝シンデレラオーディション」のグランプリを受賞したことで芸能界入りした女優であり、東宝や本間としては『世界の中心で、愛をさけぶ』に続く大ヒット作を、長澤の主演ありきでやろうとしたのだろう。そのための知名度と話題性のある企画として、あだち充の人気上位作である『タッチ』と『ラフ』が選ばれたのだと考えられる。
実際、原作では『タッチ』は上杉達也、『ラフ』は大和圭介が主人公であるが、映画版では浅倉南と二宮亜美のヒロインが主人公という趣向に変更されているのが象徴的だ。

そのため映画版と漫画版とでは主人公の視点が変わっている。このことが、漫画版を知っている読者にとって、より違和感を増している部分もあった。
そういう影響もあったのか、原作ファンにはどちらの映画版も評判は芳しくなく、駄作のイメージがついてしまっている。主人公視点の変更だけではなく、映画版と漫画版の違いを考えていくと漫画『ラフ』の魅力がよくわかる。

映画版『ラフ』の冒頭では、速水もこみち演じる圭介が試合開始前までウォークマンで音楽を聴いているシーンから始まる。これはラストシーンである亜美のカセットテープの告白への伏線になっている。
余談だが、『世界の中心で、愛をさけぶ』でも、大人になった朔太郎が引っ越し準備中に、ダンボールの中から一本のカセットテープを見つけるところから物語が始まる。そのテープに声を吹き込んでいたのは、高校時代の亜紀だった。長澤まさみは『世界の中心で、愛をさけぶ』と『ラフ ROUGH』において、彼女自身が生まれる前の1980年代初頭の高校生たちにとっての必需品だったカセットテープが、冒頭から大きな意味を持っている作品に出演していたことになる。

ここから、中学生の圭介とすでに自由形の世界では日本で一番早い仲西との対決が描かれ、圧倒的な強さで仲西が勝利する。
しかし漫画版ではこのような対決は中学時代にはなく、圭介は一方的に仲西に水泳選手として憧れている設定であった。漫画版の冒頭は、飛び込み台が描かれ、そこから水面に飛び込みをする亜美のシーンから始まる。そこから圭介、北野京太郎、関和明、緒方剛、久米勝といった寮生たちに同じ寮の先輩で番長である成田が「口の利き方も知らねえ一年坊主はお前か」と先輩風を吹かせに行こうとする。しかし、成田が圭介たち一年生の実力や噂話にびびってしまい、結局誰ひとり文句を言えないまま帰っていくことで主要人物が紹介されていくという、初回らしい1話だった。

この時点では、あだち充はラストのカセットテープはもちろん、亜美をめぐる三角関係の決着を描くことはまったく決めていなかった。このフリージャズ的な手法で物語を進めていくあだちのスタイルは、連載が始まってしばらくは、どうしてもゆるやかな展開になりがちである。どこか手探りに近いものがあるためか、設定なども曖昧なまま進む。だが、そのある種の自由さと週刊連載というスピードがうまく噛み合ったときに、あだち充自身も思いもしなかった展開になり、すべてが最初から仕組まれていたようにも思える物語へと膨らんでいく。これがあだち充の漫画の魅力のひとつだ。


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