今日はニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さんとPLANETS編集長・宇野常寛の対談の前編をお届けします。新著『元コミュ障アナウンサーが考案した 会話がしんどい人のための話し方・聞き方の教科書』で、コミュニケーションを通じて社会へのつながり方を提示している吉田さんと、執筆中の『ひとりあそびの教科書』では、人ではなくモノ・コトに向き合うことを呼びかけている宇野。それぞれの異なるアプローチから、「世間」に溺れずに生き抜く方法を考えます。
司会者のアプローチごとの効用とは何か
吉田 どうも、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記です。進行の仕事をしているということで、今日は進行の立場を任されました。では、早速ご紹介したいと思います。本日のゲスト、宇野常寛さんです。
宇野 本来であれば完全に逆なんですよね。この対談を収録しているのはPLANETS編集部、つまり僕の事務所で、この対談は僕の媒体で公開するわけなので、本来であれば僕が仕切るところなんです。ただ、せっかく進行のプロをお呼びしたし、僕が仕切るのはだるいなと思って押しつけちゃいました。ごめんなさい。
吉田 仕切るのだるいですか?
宇野 僕、本当は仕切るのも、司会もできればしたくなくて、自分の好きなことを好きなように喋って帰りたいと日々願って生きてます。
吉田 そうなんですか。僕はどちらかというとTEDのように一人が「俺の話を聞け〜」みたいに話しているときよりは、対談の方が好きなんです。その場に同時にいることで、本人たちの主張がちょっとずつズレたり、合わさっていく感じってありますよね? あれがすごく好きなので、仕切るというか進行はしたいと思っています。
宇野 僕、人の話を聞き出すのはけっこう好きなんですよ。
吉田 よくインタビューしてますもんね。
宇野 PLANETSが作っているWEBマガジン「遅いインターネット」のコンテンツでも、よく誰かのインタビューを掲載していますが、名前を出さずに僕が聞き手を務めている記事も多いんです。聞き手になることで、単純に自分の興味関心を掘り出して自分の考えも深まるし、上手い質問ができたときに相手の頭の中でも化学変化が起きて思わぬ回答が出てきたりする。そういった会話の醍醐味や面白さは僕もよくわかるんです。だから、一対一に近い状況で僕が質問攻めにするのは好きなんだけれど、お客さんの目を少し意識しながら第三者に向けて何かを演じるようなことにエネルギー使うのはあまり好きじゃなくて。
吉田 宇野さんもきっと感じていると思うんですけど、世間が考える「普通の一般大衆」っていわゆる一般大衆ではないと思っています。もっと敏感だったり、公正で、教養高いもので、そういうふうに想定しているから、僕は演じているわけではないんです。多分みんなが気になっていることと同じことが気になるので、普通の人間として口を出す。そうすると、お客さんのことを意識しながらいろんな人を進行するのってそんなに辛くないですね。
宇野 僕は別の方向性の脳の使い方を同時にするのが嫌なんです。つまり、オープンなダイアローグの場でいい結果を出すためにうまくボールを投げて場を整理することと、そこで語られている問題について、プレイヤーとしてしっかりと本質を抉るようなボールを投げることは、それぞれ別の脳の使い方をしていて、その二つを同時に動かさなきゃいけないのが嫌なんです。僕は後者の方に集中したいと思っているから、その場をどうするかということは誰かに預けたい。ただ、自分のメディアでやっているときは自分が胴元でもあるので、大体の場合は前者の方向性を考えないということはできないんだけれど、本当は司会者に預けて僕はプレイヤーに徹したいと思っています。なのでときどき吉田さんにも仕事をお願いしてるわけです。
吉田 僕は自分で司会者をやっていながら、原理的に司会者っていらないんじゃないかってずっと思ってるんです。でも、今の話だと宇野さんは司会者が必要だと思っているんだなって。
宇野 まあ、自分が楽したいからですね。やっぱり司会者がいると楽で、僕はカメラが回っているときやお客さんがいる時は相手の顔色を見て話すのではなくて、プレイヤーとしてそこで論じられてる対象そのものについて語りたいわけです。例えば、最近は某ドラマのおかげでメロンパンがあるクラスタ内でやたら重要アイテムになっているらしいんですが、僕らがメロンパンについて真剣に議論するとして、どういうメロンパンが美味しいのか、あるべきメロンパンの形や、メロンパンというカルチャーが生まれた日本のパン文化とは何かといった、メロンパンそのものについて語りたい。ちなみに僕はメロンパンは全然好きじゃなくて、個人的には絶対買わないんですけど。
でも、司会者だったら場の雰囲気をちょっと和気あいあいとしたり、会話が弾むようにするとか、話題そのもの以外の部分にもエネルギー使わなきゃいけないじゃないじゃないですか。そういうことに脳のリソースを割きたくなくて。
吉田 ただ、司会者が「お前らワイワイしろよ」って命令するのは一番間違っていて、ワイワイできるような組み合わせを考えて、なんとなくそこに配置していくことが一番大切ですよ。
宇野 これは生き様の問題で、司会をやると「周囲を見てタイミングよく話を振らなくては……」みたいなことを考えないといけないけれど、僕はそこで論じられてる対象そのものに注意力を割きたいと思ってモヤモヤしてしまうので、僕はなるべく自分以外の司会を立てるようにしているんです。
吉田 そうですね。僕は司会者として呼ばれることもありますが、逆に最近なぜかパネラーの方として呼ばれることも増えてきているんです。
宇野 僕も昨年末にきゃんち(喜屋武ちあきさん)を司会にたてて吉田さんをパネラーとして呼びましたよね。
吉田 やりましたね。その時は僕も進行のことは考えてなかったので、気持ちよく話せました。なるほど、できるかどうかではなく気持ちいいかどうか、ということですね。
宇野 そうした方が、お客さんにいいものを届けるためには最適な配置だと僕は思うわけです。僕は司会をやらざるを得なくなってそれなりに訓練してきたけど、まだ全然下手なので、司会には司会のプロがいるし、自分はプレイヤーに徹した方が満足度の高い良い結果が出せると思っていて、なるべく自分で司会をやらないようにしているんです。
吉田 宇野さんだから手の内を明かすんですけど、司会者ってすごく恣意的に結論を導けちゃうときがあるんですよ。
宇野 いろんなタイプの司会者がいますよね。僕が長く仕事した人だと、加藤浩次さんって自分で結論を導くタイプの司会者なんです。それは加藤さん自身がそういうものが好きな人だと思うし、テレビがそういう立ち回りを求めているから。あともう1人、僕がよく仕事をしてきたテレビの司会者では堀潤さんがいますが、彼は自分で結論を導かずに、いろんな人に喋らせることによって結果として地図を提示するんですね。
それぞれが良いか悪いかという話ではなく、加藤的なアプローチが有効な番組・イベントがあれば、堀的なアプローチが有効なものもある。けれど、僕は自分が作るものとしては後者の方が気持ちいいなと思っています。結論がはっきりしているものは個人がその責任において発言すべきものであって、集団の合意として提示すべきものではないんです。