今月から(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信いたします。
大幅にグレードアップした第1部で取り上げるのは、90年代を代表する脚本家・野島伸司。昭和最終年となった1988年のヤングシナリオ大賞でのデビュー当時、バブル経済下の「トレンディドラマ」の時代とどう対峙していったのかを辿ります。
成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉
野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として
転換点としての1995年と「野島伸司の時代」
1995年は、戦後日本の大きな転換期となった年だ。1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。
戦後、経済発展と共に治安に関しては世界一と言ってもいい平和大国だった日本に初めて不穏な影が差し込んだ。
また、バブル崩壊により1993年から有効求人倍率は1.0%を切り、95年にはついに0.63倍に。終身雇用と年功序列という戦後の経済成長を支えた日本型の家族経営は機能不全に陥り、新卒採用が見送られ就職氷河期が叫ばれるようになる。後に「失われた20年」などと言われる日本の低成長時代がいよいよ本格化しはじめたのだ。
だが一方で、ポップカルチャーは、遅れてきたバブルを謳歌していた。週刊少年ジャンプの発行部数は653万部を達成。小室哲哉がプロデュースしたアーティストの曲は立て続けにミリオンセラーを記録した。中でも大きな存在感を見せ始めていたのが、アニメーションである。
95年には押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と大友克洋が監修を務めたオムニバスアニメ『MEMORIES』といった劇場アニメが公開された。大友克洋は88年公開の『AKIRA』が、押井は93年公開の『機動警察パトレイバー2 the movie』がそれぞれ海外でカルト的に評価され、それ以降「日本のアニメはクール」という、ジャパニメーションブームが起き、逆輸入的に国内のアニメを評価する動きが起こっていた。その勢いがいよいよ本格化するのも、この年である。
何よりもっとも反響を巻き起こしたのが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送だろう。
14歳の少年・碇シンジが、エヴァと呼ばれる巨大ロボット(劇中では人造人間と呼ばれている)に乗って、使徒と呼ばれる謎の巨大生物と戦う本作は、『マジンガーZ』以降のロボットアニメや『ウルトラマン』等の特撮ドラマのテイストを盛り込んだ、戦後サブカルチャーの総決算とも言えるような物語となっており、謎が謎を呼ぶストーリーと登場人物のナイーブな心理描写は、アニメの枠を超えて、あらゆる国内カルチャーに影響を与えた。
一方、テクノロジーとコミュニケーションの面で大きかったのはマイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことだろう。今まで一部のマニアだけのものだったパソコンが一般層にも普及し、メール、チャット、BBSといったインターネットを介したコミュニケーションが本格的に始まったのもこの年だった。
つまり、戦後日本が積み上げてきた経済発展が終わりを告げ、不況が始まる一方で、文化面では漫画やアニメといったオタクカルチャーを中心とした後にクールジャパンと呼ばれるような流れが誕生し、その一方でインターネットの登場によるコミュニケーションの変容が始まったのが、この95年だったと言えるだろう。
そのような激動の年、テレビドラマは、連日のオウム事件に対するニュース報道の影響もあってか、全体的に不調だったとも言われている。しかし、それでも現在(2020年)とくらべると高い視聴率を誇っており、歴史に名を残す話題作も多数放送されていた。
中でも、もっともこの年を象徴する作品だったのが野島伸司脚本のドラマ『未成年』(TBS)である。本作は93年の『高校教師』、94年の『人間・失格~たとえば僕が死んだら~』に続くTBS制作の野島ドラマ。この三作は、野島三部作と呼ばれており、彼のキャリアにおいてはもちろんのこと、日本のテレビドラマ史においても重要な作品だ。しかしそれ以上に『未成年』には、この95年にしか成立し得ない同時代性が刻印された野島ドラマ最大の問題作だった。
2020年現在、野島伸司はテレビドラマの中心にいるとは言えない存在だ。辛辣な言い方をするならば、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)とコンプライアンス(法令遵守)が叫ばれ、倫理的な振る舞いが一番に求められるテレビドラマにおいて、野島ドラマはとても座りが悪いものとなっている。雑誌等で「今のテレビでは放送できないドラマ特集」を組むと、上位を90年代に野島が書いたドラマが独占することが多いのだが、これは逆説的に彼が時代とズレてしまったことを証明している。
民放プライムタイムで脚本を手掛けたドラマは、2018年の『高嶺の花』(日本テレビ系)が最後の作品となっており、現在は、FOD(フジテレビオンデマンド)で配信されるドラマが活動の中心となっている。
それらの配信ドラマも、表向きは過激な題材を扱っているようにみえるが、かつての求心力があるというわけでもない。どうにも中途半端な立ち位置に今の彼はいる。
しかし、テレビドラマの歴史において「野島伸司の時代」としか言いようがない時代が、かつて存在した。
それは『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)が大ヒットした91年から『未成年』が放送された95年までの5年間である。この時代、なぜ野島ドラマはヒットを連発し、物議を呼んだのか?
まずは彼がたどった80年代末から90年代前半の道のりをなぞることで、本書で中心に扱っている1995年以降のテレビドラマを準備した前史について整理しておきたい。
ヤングシナリオ大賞でのデビュー
野島伸司は1963年生まれの脚本家だ。1988年に第二回フジテレビヤングシナリオ大賞を『時には母のない子のように』で受賞し、ドラマ脚本家としてのキャリアをスタートしている。
ちなみに第一回(1987年)のヤングシナリオ大賞を受賞したのは当時19歳だった坂元裕二である。
ヤングシナリオ大賞はフジテレビがトレンディドラマブームの中で、若手新人脚本家を輩出するために設立した新人賞だ。
第一回の坂元裕二、第二回の野島伸司を筆頭に、金子ありさ、尾崎将也、浅野妙子、武藤将吾、安達奈緒子、金子茂樹、桑村さや香、野木亜紀子といった、今も現役で活躍する脚本家たちも、この賞でデビューしている。
応募資格は自称35歳以下。「月刊ドラマ」1987年8月号に掲載された第一回ヤングシナリオ大賞の選評「ヤングの特権」で、シナリオライターの佐伯俊道は、この賞の審査基準について以下のように書いている。
ノッているか、ノリが悪いか。
過去をひきずり、未来を嘱望しつつ、いかに現在に具現化しているか。
『夢に飛べ!!』と銘打つヤングシナリオ大賞の審査の基準はそこにある。[1]
これだけだと「若くて勢いのある作家が欲しい」くらいしか意図がわからないのだが、それ以降には、歴史ある他の賞の最終審査だったら残る水準の作品は、第一次、第二次で落としたと書かれており、以下のような宣言が書かれている。
『文学としてのシナリオ』『テクニックに長けたシナリオ』『完璧に近いが何も新鮮味の感じられないシナリオ』は対象外なのだ。
具体的に言えば、『東芝日曜劇場』や『銀河ドラマ』の線は要らない。
泣かせや笑わせのだけで引っ張ろうとするドラマは要らない。[2]
東芝日曜劇場はTBS、銀河ドラマはNHKのドラマ枠でどちらも80年代後半に良質のドラマを放送していたドラマ枠だ。
70年代後半から80年代初頭にかけて頭角を表した、山田太一、倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家が書いたドラマが文学的な評価を得ており、その拠点となったのがNHKとTBSである。中でもTBSは「ドラマのTBS」と呼ばれていた。
そんな大人向けの文学的なドラマに対してアンチテーゼとして打ち出されたのがフジテレビのトレンディドラマだった。