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山岸凉子──貞淑な娘|三宅香帆
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山岸凉子──貞淑な娘|三宅香帆

2021-10-08 07:00
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    今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。今回は漫画家・山岸凉子が描いてきた少女像をめぐる考察です。1979年の短編「天人唐草」をはじめ、親によって「性」を抑圧されてきた少女像を描き、従来の少女漫画に真っ向から向き合ってきた山岸凉子。代表作『日出処の天子』、短編作品「鏡よ鏡…」では、性を抑圧する母親との関係性において「貞淑さ」に焦点を当てます。

    三宅香帆 母と娘の物語
    第二章 山岸凉子──貞淑な娘

    山岸凉子は日本の少女漫画史、というよりも日本の文学史において、ひとつの達成をおこなった。それは女性のことばでシンデレラストーリーを内側から否定したことだ。山岸凉子は、「女性」の内側から、女性の物語──未成熟で愛されていれば、男性に見初められて幸せになれる──が引き起こす抑圧を発見し、打ち砕いたのだ。
    そして打ち砕いた先にある景色が、お花畑のような幸福ではなく、茫然と広がる孤独であることを、山岸凉子だけが知っていた。

    1.性の抑圧──「天人唐草」

    山岸凉子作品は、世間で「少女漫画的」とされる価値観に対して、とても厳しい少女漫画家である。
    世間が少女漫画的と呼ぶものは何か。それはシンデレラストーリーのことだ。少女は受け身で、従順で、微笑んでいれば、どこかで王子様が見初めてくれる。そのような価値観に対してNOを突き付ける少女漫画家が、山岸凉子だった。
    もちろんそれまでにもシンデレラストーリーに否定的な少女漫画家もいただろうが、山岸凉子は当時にしては珍しく、三十歳の女性を少女漫画の主人公に据えたうえで、その価値観を否定する。
    1979年に発表された短編漫画「天人唐草」は、無自覚にシンデレラストーリーを夢見る主人公・岡村響子の物語である。
    彼女は父の厳しい躾を受け、過剰におとなしく、周りの目を気にする女性に育つ。「慎みのある、はしたない女性にならないように」と厳しく言われ続けた響子は、役所に就職しても、柔軟性のない新人だと思われ周囲から距離をとられる。響子は職場の同僚に淡い恋心を持つも、当然、彼が振り向いてくれることはない。彼は職場の派手な女性を結婚したのだ。
    ある日、母と父が立て続けに亡くなる。響子は役所を辞めたものの、お見合いもうまくいかない。そして父が亡くなったところに現れたのは、まさに父が禁止した、派手で煙草を吸う「慎みのない」女性だった。彼女は、父の愛人だった。

    「今 目の前にいるその女性は 父が響子にこうあってはいけないといい続けた女性そのものだった
     娘にはこうあってはならないといい含めながら…
     自分が男として望んだ女はそれと正反対のものだった
     ならば響子の女としての姿は どこにあるのだろうか……」
    (山岸凉子「天人唐草」小学館、1979年初出)

    うちひしがれる彼女に、悲劇が起こる。帰りの電車で、気弱そうにしている響子を、ある男が狙う。そして響子は、夜道で襲われる。
    後日、響子は髪を金髪に染め、フリルのドレス姿で、奇声をあげながらひとり歩く。それは「狂気という檻」のなかで解放された、ひとりの女性の姿だった。

    響子のありかたは、まさに「少女漫画的」とされる価値観そのものである。しかし山岸は、それを少女に植えつけた人間はだれか、を的確に描く。父親の抑圧が、響子を従順という檻のなかに閉じ込める。
    父権制の抑圧は、少女に従順さを求める。貞淑で、慎み深い女性であるように。それこそが素敵なお嫁さんになることの第一条件であるように思わせる。それゆえに、少女はシンデレラストーリーを夢見る。謙虚で、内気で、女らしくしていれば、誰かが自分を見つけてくれるのだと。
    しかし現実では、自分から何も欲しいものに対して行動を起こしていない人間が、何かを手に入れられるわけがない。それどころか、そのような自分を見つめようとしないことを、山岸は「甘え」と表現する。

    「従順であること でしゃばらないこと──
     それが女性の美徳だと信じこもうとした
     その裏に自己犠牲を払わないですむ虫のいい依頼心と甘えがあった」
    (「天人唐草」)

    シンデレラストーリーを夢見た響子は、結果的に、自分の狂気の檻のなかで、王子様と結ばれることになる。
    響子は夜道で襲われ発狂する。そして発狂したすえに、「わかってくれるわ きっと…あの人は…」と呟く。この発言の意味は、あの人つまり響子の幻想のなかにいる王子様は、響子の理想をわかってくれる──貞淑で女らしい自分を愛してくれる、ということだろう。この瞬間から響子は現実を受け入れることなく、自分の幻想のなか、つまり狂気の世界で生きることになる。[1]
    ラストシーン、金髪に染めてもらいながら、彼女は言う。「ほら 見て この服 結婚式のお色なおしなの」と。彼女は金髪にフリルの服で、飛行機に乗るだろう。飛び立った先の地で、きっと彼女は結婚式を挙げる。自分だけの狂気のなかで。
    このような悲劇をもたらすほど、娘に貞淑という名の未成熟を求めたのは、ほかでもない父親だった。「天人唐草」は、父権制によって抑圧された娘が狂う物語だったのだ。

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    (山岸凉子「天人唐草」小学館、1979年初出)

    山岸はこのように「最後まで受け身であったがゆえに悲劇的な結末を迎える」女性の物語をしばしば描いている。短編漫画「朱雀門」(初出1991)、「グリーン・フーズ」(初出1987)、「死者の家」(初出1988)、など枚挙に暇がない。それらの物語は常に、とくに異性に対して、自分からなにか行動を起こす積極性を持てない女性を描く。それはほかでもない少女漫画が描いてきた少女像であり、「天人唐草」以降の山岸は、その悲劇性を指摘していたのだ。
    女性に貞淑であることを求めること、つまりは性の抑圧というテーマは、山岸作品を貫く通底音となっている。
    少女漫画のシンデレラストーリーは、女性の未成熟を前提としている。それと真っ向から向き合ったのが、山岸作品だった。
    性を抑圧し、未成熟でいることの功罪。「天人唐草」以降、それが山岸作品のテーマとなった。


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