今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。同性であるがゆえに娘に強い同一化を求める母娘関係は、これまで様々なフィクションで描かれてきました。今回は小説家・松浦理英子の作品で描かれる母娘関係を手がかりに、同一化欲求を超えた「愛情」を望む母娘関係について、前後編で考察します。
三宅香帆 母と娘の物語
第五章 松浦理英子──同化する娘(前編)
1.母娘と「ヘドロのような」同一化欲求
母と娘の関係と、父と息子の関係の何が最も異なるのか。
もちろんその答えはひとつに限らないし、これまで「母の弱さ」が注目されてきたことは本連載でも追いかけた通りである。しかしそれ以外の点で気になっているのが、フィクションにおいて母と娘を描く際に、同性愛的な描かれ方をすることがしばしばあるところである。
たとえば『ユリイカ』2008年12月号(特集:母と娘の物語 母/娘という呪い)で信田さよ子と上野千鶴子が現代の母娘像について対談する中で、信田が以下のような指摘をする。
信田 私はもっと同性愛的なものを感じるんです。
上野 それはちょっと言い過ぎかも。
信田 やっぱり同じ女として「好きだ」というか……。
(『ユリイカ』2008年12月号「スライム母と墓守娘 道なき道ゆく女たち」信田さよ子、上野千鶴子p83)
ある種の母親は娘に対し、思慕を抑圧しようとしない。垂れ流した、底なしの愛情を向けてしまう。あれは分身への自己愛でもなく、同性愛的なものではないか、と信田は述べる。
たしかにこの表現は上野の指摘通り「言い過ぎ」ではあると感じる。なぜなら同性愛にもさまざまな愛情の形があり、一概にこのような形が同性愛であるとは定義できない以上、母娘の関係を同性愛に近いと指すことはできないだろう。しかし同時に、フィクションで母娘の関係を描く際、同性愛に近いものとして描かれることがあること、そして似たような描き方が父息子においてはほとんど見られないことは、たしかに一考に値する。
引用した信田・上野の対談は、以下のように続く。
(引用者注:上野)たとえば息子だったら、あたりまえですけど息子としての達成しかできないわけです。ところが娘という「女の顔をした息子」たちは、息子としての達成+女としての成功という代理満足を同時に与えてくれるから、母である自分にとっては最高の作品でしょう。同一化という概念を使うのならば、これまでは子供の側から「同一化」と言ってきたわけですが、今度は母親の側から娘に対して同一化が起きるというほうが、同性愛と言うよりもわかりやすいと思います。同一化は、同一化する側の機制であって、される側には関係ない一方的なものですから。
信田 それを同一化と言ってしまうとちょっと明晰すぎる気がするんだよなあ。なんでわたしがそこに違和感を感じるかというと、彼女たちの意識自体が自覚的でないという部分においてそぐわない感じがあるからなんです。「同性愛的なもの」とわたしが言うときには、そうして自覚されてないが故に彼女たち自身もそれほど明晰に語り得ないものについて、そういう風に明晰に語ってしまっていいのかなという戸惑いがあるんですよ。被害者である娘側にとっては、明晰にすることに意味があるし明晰に語って欲しいと思っているから、そういう上野さん的な表現はぴったりくるんですけど、母の側には何とも言語化し難い、スライムのような、あるいはヘドロのような感じがあって、本当にああいう人たちをどういう風に言ったらいいのかわからないというところで、「同性愛的」というタームが浮かんだと。
(『ユリイカ』2008年12月号p83-84)
上野が指摘する、母にとっての「息子としての達成+女としての成功という代理満足」という枠組みは、まさに前回の氷室冴子が抱えていた葛藤そのものだった。女性の社会進出が進む中で、息子としての(仕事をして社会的成功を収める)自分と、娘としての(結婚して子を産み家庭で成功する)自分の双方が、娘に求められるようになる。氷室の場合は後者のみを母から求められる葛藤を主に描いていたが、多くの「働く娘」がこの両軸を求められる物語は枚挙に暇がない。
しかし信田は、それだけではないのではないか、と述べる。母にとって娘は作品であるというだけでなく、母にとって娘は同性愛的な思慕がある場合があるのではないか、と。
たしかに上野の述べる「作品としての娘」という構図は、母が専業主婦で、子どもを自分の家事育児の結果として見る時代だったからこそ成り立つ図式かもしれない。母にとって子が自分の成績通知表ならば、たしかに子は母の作品だろう。一方で、母が子を通して評価されたいと思っていなくても、母が子を手放せないと感じる場合もある。
今回解説する松浦理英子の『最愛の子ども』は、信田の指摘にも通じるような、母娘関係を同性愛的関係の中に入れ込んだ小説である。
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