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平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、2022年3月から放送開始の『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』も手がける脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は敏樹先生行きつけの富山の名店についてです。あえて締めに「おにぎり」を提供する割烹のことが気になって仕方ない敏樹先生。思い切ってその秘密を大将に尋ねてみると……?
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脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第69回
男 と 食 32     井上敏樹 

最近、富山に夢中である。毎月のように通っている。もちろん、食のためだ。私は観光に興味がない。桜を見るくらいなら桜餅を食べたい。モミジを見るよりもモミジ饅頭を食べたい。大体美しい風景などというものは心に差し込んで来ない。目から入って頭の後ろに抜けていく。美しい物は子供の頃に沢山見た。その記憶があれば十分である。歳を経た汚れた目では美を美としてまっすぐに見る事が出来ないのだ。ただし、女性となると話は別だ。それは料理についても同じである。女性にせよ料理にせよ、子供の頃より今の方が美を感じる。多分、欲があるからだと思う。歳を取ると欲が介在しなければ美を掴む事が出来ないらしい。

さて、富山には多くの良店があるが、抜群に素晴らしい店が二軒ある。ふじ居と冨久屋である。この二店はその美味と個性において、全国的に見てもトップレベルである、と思う。私が去年一年間、あちこち食べ歩いた中で、最も印象に残っているのが冨久屋の鮎雑炊である。そして二番目がやはり冨久屋の熊のお椀だ。鮎雑炊は土鍋に米と水を按配し、そこに活きた鮎を放って火にかける。程よい所で鮎は取り出して捨ててしまう。味つけは塩だけ。つまり、上品な鮎の出汁で雑炊を食べる。玲瓏な味、幽玄な味だ。かと言ってぼやけた味ではない。夜空をよぎる流れ星のように出汁の輪郭はくっきりとしている。熊のお椀もまた、いい。熊の場合、普通は八方出汁か味噌味で供するものだが冨久屋ではそんな凡な事はしない。大量のネギを煮込み、ネギの出汁を取って熊に合わせるのである。これがまた熊の脂によく合う。すっきりとした極上の味わい。『あ~あ、ありがたい』と思わず冨久屋の大将と月の輪熊の魂に手を合わせたくなる。そして最後には冨久屋名物のおにぎりが登場する。大将が自ら握ってくれるおにぎりである。大きい。ふわっとしている。みんなで『お~』と盛り上がる。

さて、ここでおにぎりが問題になる。ある日、いつものように大満足して冨久屋を後にした私は、バーでウイスキーを飲みながらふと、ある事に気づいた。なぜ、おにぎりなのか? 本来、割烹のシメと言えば炊き立ての土鍋のご飯である。ぴかぴかの銀シャリを一文字に切ったのを食せば香りといい甘さといいこの上ない。それをわざわざおにぎりにする必要があるのか。分からなくなった。大体おにぎりとは携行食、つまりお弁当のためのものではないのか。お客たちが『お~』と声を上げるのは、誰もが持つおにぎりに対する郷愁のために違いない。母親が握ってくれた夜食やお弁当──お袋の味だ。そんな思いを突くのは弱みに付け込むようで少々ずるいのではないか? そこでふじ居の大将に尋ねてみる事にした。冨久屋とふじ居は同じ富山の料理人として親しい関係にあるらしい。彼ならきっと私の疑問を解消してくれるだろう。ふじ居は完全無欠の料理屋である。天国に一番近い店である。いや、天国である。ふじ居に行くと、あまりに素晴らしく現実感がないのですでに死んでいるのではないかと思ってしまう。


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