三宅香帆 母と娘の物語
第五章 松浦理英子──同化する娘(後編)
4.侵入を許す娘 ──「肥満体恐怖症」
作者の松浦理英子は「肥満体恐怖症」という短編小説において、母から娘だけでなく、娘から母への感情も、同性愛的関係と同じ場に配置する。
「肥満体恐怖症」は、肥満体の女性が嫌いな女子大生・唯子が主人公である。一緒の空間にいると、肥満が伝染しそうでぞっとするのだと言う。彼女が入った学生寮の同室には、三人の女性がいた。彼女たちは皆巨体であった。唯子は三人に嫌がらせをされるが、なぜかそれを受け入れてしまう。そしてある日から唯子は、三人の私物をそっと盗み始める。
唯子は、肥満体の女性を苦手とするが、肥満体の男性の存在はとくに気にならない。唯子の肥満体恐怖症の根底には、太っていた母親の存在が関係しているからである。
小学生の時、唯子は歳を重ねるにつれ母の体型を嫌悪していった。たとえば当時の日々を、唯子は「バスに乗った時に、一つ空席があると唯子を坐らせて自分は吊革に縋りついて喘いだりする姿は、苛立ちと苦痛を湧き起こさせ」たのだと振り返る。とくに母親と入浴するとき、その乳房を見ると吐き気を感じるのだった。いつの間にか母の体型に対して怨恨めいたものを感じるようになった唯子は、徐々に母親から離れ始め、無視しようとするようになる。
見るからに人が好さそうなせいか、他の父兄たちにおだて上げられ、危くPTAの役員をやらされそうになったことがあるらしい。それをまた無邪気に得意がって話す母親に向かって、とうとう唯子は言ってしまった。
「もう学校になんか来ないでよ。おかあさん太ってるんだもの。恥しくって。」
その時の母親の表情を思い出すと、今でも声を上げたくなる。言った瞬間後悔したがすでに遅く、母親は金縛りにでもあったかのように大きな体を硬直させた。いたたまれなくなった唯子が部屋を出ようとしても、顔を向けもしなかった。罪悪感で眠れぬ一晩が過ぎた。翌朝母親は平生と全く変わらず、唯子の失言も忘れたかのように見えた。しかし、その後母親は一度も授業参観にやって来なかった。乳ガンで死んだのは次の年の秋である。唯子は十歳だった。
(松浦理英子「肥満体恐怖症」『葬儀の日』所収、河出文庫p192-3、1993年(「肥満体恐怖症」発表は1980年)