今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。今回取り上げるのは漫画家・よしながふみの短編連作集『愛すべき娘たち』です。謙虚であることを要請されてきた女性を描いた本作品は、時代とともに変化してきた女性への抑圧を描いていると読み解く三宅さん。2000年代初頭の、ポストフェミニズム思想の過渡期ともいえる時代性についても指摘します。
三宅香帆 母と娘の物語
第七章 よしながふみ──許されない娘
1.傲慢をめぐる『愛すべき娘たち』
よしながふみによる短編連作集『愛すべき娘たち』は、傲慢を許されない、許さない女性たちの物語である。
母娘をテーマとした漫画というと、第一章で取り上げた『イグアナの娘』(萩尾望都)のほかに、『愛すべき娘たち』を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。実際、本稿でも参照した斎藤環の『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』は、『イグアナの娘』と『愛すべき娘たち』を同時に取り上げている。『イグアナの娘』は短編漫画であり、『愛すべき娘たち』は短編連作集であるという違いはあるが、たしかに似たテーマを扱っていることは確かである。
とくに斎藤環が扱った『愛すべき娘たち』最終話は、外見のコンプレックスを母が娘に与える物語である。母が娘にコンプレックスを植えつける構図は『イグアナの娘』とほぼ同じと言ってよい。しかし一方で、『イグアナの娘』の母が抱えていたコンプレックスは、「自分は本当はイグアナであること」という、外見に限らない特性にあった。『愛すべき娘たち』の場合は、外見に特化しているのである。本章では、この外見というひとつの能力をめぐる母娘の葛藤を扱いたい。
2.なぜこれが母娘の物語なのか
群像劇ともいえる短編連作集『愛すべき娘たち』の中で、第一話と最終話に登場する母娘の物語がある。簡単にあらすじを説明する。
実家に住む三十代の独身女性である雪子は、突然母・麻里が再婚すると聞き、驚く。母の年齢は五十歳を過ぎており、しかも相手は雪子よりも年齢の低い男性だというのだ。しぶしぶ会ってみると、彼は俳優の卵でありながら、美しい容姿の元ホストだった。
彼は麻里に繰り返し「美人だよ」と説く。麻里はとても美しい女性なのだが、それを彼女自身は頑なに否定する人物なのである。母が否定することを厭わず、彼は繰り返し母に「美人だよ」と述べる。彼と母の関係を見た雪子は、実家を出て、彼氏と結婚することを決めるのだった。
そしてある日雪子は、母の容姿に対する頑なさの理由を知る。麻里は、彼女の母にいつも「不細工だ」と言われて育っていたのだ。
「おばあちゃんに大した悪気は無かったと思うわ 無神経な人だから自覚無しに人を傷付けるような事を平気で言うのよ」
「他人に言われたのならこんなに気にしてないわよ 身内の言う事特に親の言う事ってものは胸に突き刺さるものなんですよ …許せなかった」
(『愛すべき娘たち』p190-191)