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今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。今回取り上げるのは川上未映子の作品です。母を愛し、自らも母となる「保守化」した娘が諸作品で描かれていた1990年代。一転して川上未映子が2008年に描いた『乳と卵』には、母を愛しながらも、「母性」の暴力性に自覚的であるがゆえに葛藤する娘の姿がありました。
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三宅香帆 母と娘の物語
第十章 川上未映子――保守化する娘(後編)|三宅香帆

3.母性の暴力性―『乳と卵』

2008年、信田・斎藤の著作出版とともに『シズコさん』が佐野洋子の手によって出版された。これは本連載冒頭でも見た通り、「母に愛されない娘の話」ではなく、「母を愛せない娘の話」だった。佐野は戦前生まれの女性なので、むしろ彼女の世代にあってはじめて、母娘問題の口火を切れたのかもしれない。
しかし同時に、2008年、団塊ジュニア世代の作家である川上未映子が『乳と卵』で芥川賞を受賞していた。まさしく母性と母娘の関係をテーマとした小説だった。
娘を産んだことで減った胸を気にして豊胸手術を受けたいと言う母・巻子と、彼女に連れられて大阪にやってきた娘・緑子の関係性が、巻子の妹・わたし(夏子)の目線から描かれる。

あたしな、かわいいなあ、思ってさ、ときどきちゅうしたりするねんよ、寝てる緑子に、と箸の先をひらひらさせながらわたしに向かって云った。すると巻子がそれを云った瞬間に、緑子の顔の色と硬さがぎゅんと変化してそれからものすごい目で真正面から巻子を睨んだ。わたしはそれを見て、あ、と思いつつ言葉が出ず、その目は緑子の顔の中でますます強く大きくなるよう、それを見た巻子は、一瞬顔をこわばらせて、なにやの、と小さく静かに云って、なにやのその目、と巻子は静かに続け、あんたいったい、なにゃの。
緑子は目をそらして、それからメニューが掛かってある壁のあたりを見つめ、しばらくしてから、小ノートに〈気持ちわるい〉と書き、それをテーブルのうえに開いて見せて、ペンで〈気持ちわるい〉の下に何度も何度も線を引いた。
(川上未映子『乳と卵』2008年、文藝春秋)

緑子をかわいがろうとする母に対し、緑子ははっきりと嫌悪を向ける。「気持ちわるい」という言葉は、愛情が重たく感じられるという意味にもとれるし、母性の愛情そのものを拒否しようとする姿にも見える。緑子は生理が来ることや胸を大きくなることに嫌悪感を抱く娘であり、自らの母性を否定する娘である。同時に、母の母性も拒否しようとする。
このような娘のあり方――母の愛情を拒否しようとする娘の姿――は、2000年代前半には見られなかった描き方だった。
しかし緑子は、母のことを拒否したままでは終わらなかった。緑子にとって母はやはり「大事」な存在なのである。

あたしを生んで胸がなくなってもうたなら、しゃあないでしょう、それをなんで、お母さんは痛い思いしてまでそれを、(中略)
あたしは、お母さんが、心配やけど、わからへん、し、ゆわれへん、し、あたしはお母さんが大事、でもお母さんみたいになりたくない、そうじゃない、早くお金とか、と息を飲んで、あたしかって、あげたい、そやかってあたしはこわい、色んなことがわからへん、目がいたい、目がくるしい、目がずっとくるしいくるしい、目がいたいねんお母さん、厭、厭、おおきなるんは厭なことや、でも、おおきならな、あかんのや、くるしい、くるしい、こんなんは、生まれてこなんだら、よかったんとちやうんか、みんな生まれてこやんかったら何もないねんから、何もないねんから、と泣き叫びながら今度は両手で玉子をつかんでそれを同時に叩きつけた。
(『乳と卵』)

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