今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。団塊ジュニア世代の漫画家の多くが「母殺しの困難」「重みとなる母」を描いていたのに対して、1990年代には素直に母を愛し、自らも母性を獲得していく娘が諸作品でみられるようになりました。そうした娘の「保守化」が生じた1990年代の作品史をたどります。
三宅香帆 母と娘の物語
第十章 川上未映子――保守化する娘(前編)|三宅香帆
1.保守化する娘―団塊ジュニア世代の娘たち
本連載でも冒頭から見てきたように、信田さよ子が母娘問題について提起した『母が重くてたまらない──墓守娘の嘆き』(春秋社)、斎藤環が『母は娘の人生を支配する──なぜ「母殺し」は難しいのか』(NHK出版)を出版し、母娘問題が注目を浴びたのが2008年。同年『ユリイカ』(青土社)でも「母と娘」特集が組まれた。この現象について、信田と齊藤の対談において二人は以下のように語っている。
斎藤:「母の重さ」について、僕自身は本を書いたときも今もさっぱりわかりません。ただ、当時30代の女性編集者が「母娘関係について書いてほしい」と熱心に依頼してきて。
信田:私の本もまったく同じ。30代後半の女性編集者から「母親との関係で苦しむ女性たちをテーマに執筆してほしい」と。彼女自身も母の存在に苦しみ、その思いが依頼につながったのです。「団塊母」が「教育熱心」という形で娘を支配し、その期待に応え高学歴を経てメディアで仕事をするようになった娘たちが、一斉に声を上げ始めた。それが「母が重い」というムーブメントに火をつけたと見ています。
(「信田さよ子×斎藤環 根深い「母娘問題」に共存の道はあるのか?」『AERA dot.』2018/2/5掲載 https://dot.asahi.com/aera/2018020200049.html?page=1)
当時2008年段階で30代半ばだったと仮定すると、1970年代前半生まれのいわゆる「団塊ジュニア」世代が、大人になったからこそやっと声を上げられたのではないか、と信田は述べる。
第七章以降で扱ってきたよしながふみ、小花美穂、芦原妃奈子、高屋奈月は、1970年代前半生まれのちょうど団塊ジュニアと呼べる世代の漫画家である。彼女たちは1990年代後半から2000年代前半、すでに「母と娘」がテーマのひとつとなる漫画をヒットさせていた。それらの漫画に熱狂した少女たちは、精神科医たちが分析を綴る前に、少女漫画というフィクションの中で母娘問題に触れていたのである。
しかしよしなが、小花、芦原、高屋の描いた母娘像とは、「母から離れない娘」の在り方だった。つまりはどの作品も、娘が母を好きなのである。精神的な母娘の密着。そのような在り方こそが、団塊ジュニアの漫画家たちが描いた母娘像であった。
これは萩尾望都、山岸凉子といった団塊の世代の漫画家たちが描いた「母が弱いからこそ支配されてしまう」在り方とは異なる。萩尾や山岸の描く母娘密着においては、娘が母を嫌悪するさまが描かれていた。たとえば『イグアナの娘』において娘のリカは自分を呪ってくる母を嫌悪し、家から離れた(第一章参照)。あるいは『日出処の天子』において厩戸王子は母の性を嫌悪した(第二章参照)。
一方『愛すべき娘たち』においてまさに団塊ジュニア世代の雪子は、母の麻里とともに暮らし、そして「ずっとあたしだけのお母さんだったのよ」と呟く。『こどものおもちゃ』の紗南は、自らを育てた血の繋がっていない母も、自らを捨てた血の繋がっている母も、どちらのことも受け入れる。『フルーツバスケット』は亡くなった母を慕う主人公が描かれる。さらに『砂時計』においては自分を置いて自殺した母に対して、母と同じ道を辿ろうとする娘が描かれた。娘の杏は、作中において基本的に母を好きなことは疑わず、「自分が愛されていたかどうか」に論点を置くのである(第九章参照)。
こうして並べると、団塊ジュニア世代の漫画家の描く娘たちは「自分が母を愛していること」にはほとんど疑いを入れず、「自分が母に愛されているかどうか」に注目していることが分かる。これは団塊世代の描く、母を嫌悪していた娘とは真逆のあり方である。さらに氷室冴子、松浦理英子といった1950年代後半生まれ世代の、母を受け入れるか迷っている描き方ともまた異なる。
つまりそれ以前の世代に比べて、団塊ジュニア世代の娘たちのほうが、母を好きなことを疑わない「娘の保守化」が見られるのだ。
信田さよ子や齋藤環は2008年当時、娘の「母が重い」という感情について『イグアナの娘』(萩尾望都、1992年)や『光抱く友よ』(高樹のぶ子、1984年)といったフィクションを援用して解説するが、これらは基本的に娘が保守化する前の、母に嫌悪感を示せていた世代の物語だったことは否めない。
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