帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』
第3回テーマ:「職場内の人間関係に関する悩み」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.6.27 vol.102

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▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版
 
一昨年よりこのメルマガで連載され大人気コンテンツとなり、
書籍化もされた哲学者・國分功一郎による人生相談シリーズ
『哲学の先生と人生の話をしよう』。

連載再開第3回となる今回のテーマは「職場内の人間関係に関する悩み」です。
社内の非効率な運営に抗うために必要なものと、
職場の同僚に恋してしまったときに取るべき行動には、
ある共通点があった――?
それでは、さっそく今回寄せられた4つの相談を紹介していきましょう。

■匿名希望 23 女性 東京 IT会社のOL
 
はじめまして。都内のIT会社に勤めている者です。
昨年の末に今の会社に就職しました。周囲は若い人が多く、華やかな職場です。
そのせいか、男性の同席する飲み会に誘われることが多く、困っています。
私は世間話をするのがあまり得意ではなく、大勢で盛り上がるのも苦手です。
どちらかといえば、好きな映画の話や、今何が流行っていて、どんなものが面白いかを延々話しているのが好きです。
飲み会で真面目な話を始めると大抵顰蹙をかいますし、ぱーっと盛り上がって馬鹿みたいに騒ぐのは実りがなくて虚しく思ってしまいます。
かといって、同席している男性と真面目な話をひっそりと始めると、好意を持っているように取られて面倒です。
若くて華やかな女の子がいるだけで良いからと頻繁に声をかけられるのですが、そんなことに時間を割きたくないのにな……と落ち込んでいます。
それより家に帰って映画を見たり書き物をするのに時間を使いたいのですが、職場の女の子からは「モテるのは今の時期だけだよ。今遊ばないでどうするの?」と冷ややかな目で見られてしまいます。
何かと理由をつけては飲み会を断っているのですが、日に日に社内のチームの中から浮いてしまって、少し居心地が悪いです。(女子しかいない少数の仲良しチームで、私が一番年下です)
男性の話ばかりするチームの人たちと少し距離を取りたいのですが、同じチームの中でどのようにふるまったら淡々と仕事に集中できるようになるのかな、と悩んでいます。
小さな悩みかもしれませんが、ご助言いただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。
 
 
illbevivi  22 男性 埼玉県 会社員
 
國分先生、はじめまして。いつも様々な媒体での書き物を拝読させて頂いております。突然ですが、今回私が相談させて頂きたいことは、職場の同期社員に対する恋愛感情への対処法についてです。
私はこの春大学を卒業し、就職した新社会人の男です。
慣れない社会人生活に四苦八苦しながら、少しずつ仕事に楽しさを感じ始め、何とか今日までやってこれています。
そんな生活の中で、同じ会社の同期社員の女性を好きになってしまいました。
彼女は誰に対しても平等に接し、正直に不器用に、一生懸命に生き、よく笑う方です。そんな彼女の笑顔は周りの人間を知らず知らずのうちに惹きつけ、彼女はいつも人の輪の中心にいるような子です。
そんな彼女の魅力にすっかり虜になってしまった私は、戸惑いのあまり、出会って日も浅いというのに想いを伝えてしまいました。(大学在学中から交流はありましたが、知り合ってから9ヶ月程度です。)
私の告白を彼女は真摯に受け止めてくれましたが、会社というコミュニティの中で恋愛関係を持つことは避けたい、本当に信頼出来るパートナーとしか男女の関係にならない、とお断りされてしまいました。
それからの二人の関係は以前の関係に戻りましたが、しかし、以前よりも互いに心を開くようになったと思います。
二人の間でしか話せない愚痴や相談もし合うようになり、心を許してくれたのではないかと思います。
そして時折好意を持たれているのではないか、という態度をされることも多くあります。私に「好き」と言わせるために意地悪な質問をしたり、私が彼女と仲の良い先輩社員に嫉妬してしまっていたら、その社員との関係を否定してきたり、都合良く解釈すれば、好意があるようにしか思えない態度です。しかし、事あるごとにあくまで友人だと釘を刺されてしまうのです。
確かに彼女は誰に対しても平等に接する方で、誰に対してもいわゆる「思わせぶり」な態度を無意識にとってしまう方なので、仕方がないのだとは思います。
そんな彼女と、近づきすぎず離れない、いびつな関係のまま、ここ数週間を過ごしています。
こんな関係のせいか、職場でも彼女のことばかり意識してしまい、仕事に集中出来ない日ばかりです。そしていつも人の輪の中心にいる彼女に対して、嫉妬心すら覚えてしまうことも多々あります。
私としては、仕事に集中するためにも早くこの不確かな感情、関係を処理してしまいたいと思います。
しかし今再び想いを伝えて男女の仲になることを望めば、拒否されてしまうでしょう。このまま自分の気持ちを押し殺す選択も出来るのかもしれませんが、耐えられる自信がありません。
やはり彼女がパートナーを選ぶ条件として望むように、本当に信頼出来るパートナーになるべく努力するしかないのでしょうか。
人に信頼される、人を信頼するとは、どのようなことなのでしょうか。
信頼とは、そもそも何なのでしょうか。
是非國分先生のお知恵をお借り出来ないでしょうか。よろしくお願いいたします。
 
 
たまこ 20代 女性 東京都 会社員・事務
 
國分先生、はじめまして。
私は繊維関係の会社で内勤をしています。今年から社会人になりました。

職場にクソムカつく女性の先輩社員がいるのですが、この人と今後数十年にわたりうまくやっていく自信がありません。先日からその先輩は産休に入られているのですが、彼女が産休を終えて戻ってくる一年後までに、転職したいくらいの気持ちです。

何がムカつくかというと、まず初日から嫌にキツい。無駄に厳しい。入社初日にいきなり作業を任されて、ビクビクしながらやって見せたら「殆どダメ」…ったりめ~~だろがぁ!?!…と、言いそうになりました。

入社後一ヶ月経たない新入りに対して、「全体を見て行動しろ」「パートさんがやりやすいように気を配れ」だのいきなり言われて、それは自分の指導力の乏しさと怠慢を棚上げしてるんじゃないか…と、つい、恨みつらみを述べたくなってしまいます。

私に甘えがなかったとは言い切れないのですが…。
先輩社員が復帰してきた際に、私はどういう気持ちで迎えればいいのでしょうか。
アドバイスをいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
 
 
ピッピちゃん 20代 女性 埼玉県 学校教員
 
はじめまして。私は教員の仕事をしている20代です。
今年から新しい学校に配属されることになりました。

いまの学校では、細かいことにこだわる上司が多くて窮屈です。おおらかな先輩も少数ながらいらっしゃいますが、彼らの発言は軽視されてしまいがち。私はどちらかといえば大雑把な性格なので毎日しんどいです。
たとえば、賞味期限切れのヨーグルトが冷蔵庫の中にあっただけで、朝礼で「食中毒が広まったらたいへんだ」と注意されたりします。

また、仕事の性質上残業代がつかないのですが、『残業して遅くまで頑張ってる人は偉い』的な空気がどことなくながれており、だらだら残ってる人が多くて先に帰りづらいです。

そして『自分を追い込むこと』に酔ってる方が多く、精神疾患で休職する方が多いのにも頷けます。

子どもたちと触れ合うことはとても楽しいのですが、職員室の人間関係がとてもたいへんで、憂鬱な日々を送っています…。
なんとかやり過ごすアドバイスがあれば教えていただきいと思い、ご相談しました。どうぞよろしくお願い致します。

 どうも、國分です。
 「職場内の人間関係」をテーマに相談を募集しました。僕としては組織の問題、業務を円滑に進めるための組織運営の課題など、そういったことが相談として寄せられるのを予測していたんですが、ふたを開けてみると、そうななりませんでしたね。「ちょっとビジネスっぽいのもいいだろう」と思って出したテーマだったんですけど、やはり人が悩むのは、ビジネス的なことより、パーソナルなことなんでしょう。
 でも、とりあえずはいつものように、最初に考えていたことを書きますね。相談にお答えするにあたっては全然役に立たない話かもしれないんですが、職場の問題として僕が考えていたのは、実は民主主義のことです。
 最近、大きな流れとして民主主義は劣勢にあります。評判が悪い。「民主主義」という言葉そのものを挙げてこれを叩いていなくても、民主主義的な運営方法・決定方法そのものは、様々な場面で攻撃されています。その際、根底にある考えというのは次のようなものです。
 民主主義的に皆の意見を汲み上げて決定を下すやり方は時間がかかるし、効率が悪い。それよりも、トップにいる者が決定を下す方が効率よく状況に対応できる。したがって、トップに判断の権限を集中させることは、民主主義という尊重されるべき建前こそ蔑ろにされるものの、組織を効率よく効果的に運営することにつながる…。
 こんな考えですね。
 僕はこの考えが間違っていると思うんですけど、それは「民主主義が大切だ!」「民主主義を蔑ろにするとは何ごとか!」といった教条主義的な民主主義信仰から言うのではありません。全然視点が違うんです。僕のは
 「あのさ、トップに判断を任せれば効率よくなるなんて、本当考えていることの数が少ないよね。そういうことやってたら効率悪くなるってことも分かんないの?」
 って発想なんです。つまり、効率的な組織運営を目指すならば、やはり民主主義的にならざるを得ないという発想です。そう発想する理由はいくつかありますが、いずれも簡単なことです。
 まず、トップが何でも勝手に決定を下していたら、その決定に従わされる方はどう思うでしょうか。もちろん気にくわないわけです。自分たちの意見を聞いてもらえないのだから、やる気がなくなるわけです。いかなる組織運営もモラール[目的を達成しようとする意欲や態度のことで、道徳意識を意味するモラルとは区別されます]の問題を無視できない。特に経営というのはそういうところに細心の注意を払って行われるし、経営学ではモラールを高い水準で保つかについてたくさんの研究の蓄積があります。そういう経営あるいは経営学的な視点が全く欠けているのに、まるで自分がビジネス的センスを持っているかのように錯覚した人間が抱くのが、先のような「トップダウンの方が効率的」という短絡的発想です。
 次にトップに立つ者の限界があります。トップに決定権を集中させると、その人間が独裁的になることが考えられ、またそれがしばしば批判されます。確かにそういうこともあります。しかし、現実に最も多く起こるのは、一人の人間が独裁的になるというより、その人間の周囲にいる取り巻きが、分野ごとにバラバラに勝手な決定を下すようになるという事態です。
 一人の人間にできることは限られています。権限ならばどんな人間にもいくらでも付与できますが、しかし、その権限を使いこなす能力をその人間に付与することはできません。強大化した、あるいは肥大化した権限は、はっきり言って誰にも使いこなせない。するとどうなるか。その人は周囲に相談します。そして周囲にいる人間が事実上の決定を下すようになるのです。「あなたにこの件は任せる」となって、もはや相談すら行われなくなることもしばしばです。
 そうした事態が増えていくと、各分野で行われる決定のプロセスに、もはや最終責任者であるトップの人間すら全く関われないようになってしまいます。しかも、形の上ではトップが決めていることになっているのだから、この事態をルールや権限に基づいて批判し、是正することもできない。アナーキーに近い状態が訪れることになるのです。しかも、事実上の決定者は各分野に別々に活動しているから全体のことを知りません。自分の見えている範囲の情報だけで決定を下すようになる。効率的な全体の運営が損なわれることは言うまでもありません。
 三つめは失敗に関わることです。人は必ず失敗します。間違えます。そうした時には、失敗したり、間違えたりした人間は責任を取らなければなりません。すなわち、何らかの不利益を甘受しなければならない。責任を担うに際して与えられた地位からの降格などが、そうした甘受すべき不利益の代表です。ところが、もちろんそれは不利益ですから、蒙りたくないわけです。隠したり、ごまかしたりできるなら、そうしたいわけです。そして、隠したり、ごまかしたりするのに十分なだけの権限がその人間に与えられていたらどうするでしょうか。隠したり、ごまかしたりするでしょう。やりたくて、できるなら、やるんです、人間は。
 しかし、そこで隠されたり、ごまかされたりしたのは、失敗であり、間違いです。それは何らかの不利益を組織の全体に及ぼすから失敗であり間違いであるわけです。では、それを隠したり、ごまかしたりしたらどうなるか。その不利益が是正されずに、そのまま残り続けることになります。一度、隠したり、ごまかしたりした人間は、もうそれを止められません。ですから、同じことは繰り返されます。隠され、ごまかされた失敗ないし間違いは、最終的に累積し、組織に壊滅的な打撃を与えることになるでしょう。分かりやすい例は粉飾決算なんかですね。
 哲学者のハンナ・アレントが、ベトナム戦争時におけるアメリカ政府の政策決定過程を詳細に調査したCIAの秘密報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」という文章を分析しているんですが(「政治における噓」、『暴力について』〔みすず書房〕所収)、その中に笑えない話が出てきます。ベトナム戦争遂行を支える理論として当時、「ドミノ理論」というのがありました。一つの国が共産主義化すると、周辺の国々もドミノを倒すように共産主義化するという理論です。僕もそういう理論に基づいてベトナムの共産主義化を阻止するという理由でベトナム戦争が行われたのだと思っていました。
 ところがCIAが作成した「ペンタゴン・ペーパーズ」によると、政府内で「ドミノ理論」などというものを信じていたのはたった二人だけだったというのです。どういうことでしょうか。これは、泥沼化してもうどうしようもなくなった戦争に、もっともらしい理由を与えるためにでっち上げられた理論に過ぎなかったということです。噓に噓を重ねて続けられた戦争は、その噓を更に続けるための理論まで生み出したのです。
 他にもいくらでも理由を挙げることができますが、トップに権限を集中することが組織運営の非効率化をもたらすというのは明らかです。というか、絶対王政の時代にそのやり方がどうしようもない事態を生み出し、それに対する反省から民主主義も出てきたのです。歴史的にこっちの方がいいという考えで採用されてきたものなのです。
 民主主義は公開性を原則としています。様々なデータを原則的に民衆に公開するということです。そこから決定に至るまでには時間がかかります。しかし、長い目で見れば、このやり方こそが、組織の効率的運営を生むのです。「トップに判断の権限を集中させることは、民主主義という尊重されるべき建前こそ蔑ろにされるものの、組織を効率よく効果的に運営することにつながる」などと言っている人間は、歴史も現場もビジネスも分かっていないのに自分が現実を知っているかのように振る舞っているという意味で、ある種の中二病にかかっているようなものです。
 そしてこうした判断の愚かしさは、仕事の現場にいれば、非常に強く実感できることであろうと思います。上が勝手に物事を決めていたら、誰でもイヤになります。権限がトップに集中すると取り巻きが強い影響力を持つようになります。失敗をごまかせるのはもちろん、権限が過剰だからです。モラールを高め、組織全体を考えた決定を下し、失敗の隠蔽を避ける、そのためには公開性に基づいた民主主義的な運営がはやり必要です。それがあればすべて問題なく事が運ぶという意味ではありません。そうではなくて、いかなる場合も、民主主義的な運営を基礎とし、その上で事業や運営に全力で取り組まねばならないということです。


 さて、ここまで読んできて、「恋愛とか嫌な上司とかいわゆる付き合いの悩みに答えるのに何の役に立つんだよ」と思われた方も多いと思います。僕も最初は「毎回、最近考えていることを書くことにしているから、まずはとりあえず書くか」という気持ちで書き始めました。しかし、書いているうちに一つのことに気がつきました。そしていま書いたことは実は無意味ではないという考えに至りました。
 今回の四つの悩みに共通しているのは、自分に対する自信のなさではないでしょうか。自分には飲み会よりも大切なことがあるのに、それをはっきりと打ち出せない。仕事に打ち込んで人に信頼されるようになりたいが、それができない。クソむかつく先輩社員のおかしな業務命令に対してはっきりとものが言えない。些末なことばかり気にする職場で、「自分を追い込む」ことに酔っている連中に囲まれていて、先に帰宅することもできない。
 四つの悩みを並べてしまうのは乱暴かもしれませんが、僕には、「それはおかしい」とか「これが正しいのだから私は正しいことをやる」といった態度に出られない、自信のなさこそが悩みの根底にあるように思いました。ではどうしたらいいか。