本日のほぼ惑は、「文學界」に掲載された與那覇潤さんと宇野常寛との対談をお届けします。インターネットが普及し、様々な新しい文化が花開いたゼロ年代。そんな時代状況をそれぞれのかたちで映し出し、ベストセラーとなった2冊の本から、日本のウェブ空間と「近代的個人」の問題を読み解きます。
與那覇 前回は平成の政治家二人の書物を取り上げて、ウェブ世代にとっての「政治」の新しいフォーマットとはなんだろうかという話になりました。今回はインターネット界隈から生まれた2000年代半ばの二冊のベストセラーから、ウェブ体験が私たちの社会をどう変えたかを考えたい。
まずは梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書、2006年)。「〇〇2・0」というすっかり定着したフレーズも、同書が唱えた「Web2.0」が元祖でしたよね。新しいインターネットの上では「誰もが自由に、別に誰かの許可を得なくても、あるサービスの発展や、ひいてはウェブ全体の発展に参加できる」(120P)。不特定多数の力が何かを生むことを信じて、みずからの情報データベースをどんどんオープンにしてユーザーを獲得していく、Googleやアマゾンがその象徴だと。
宇野 この本は一時期、不当に槍玉に挙がることが多かったと思うんです。要するに、日本のブログ社会は梅田さんの予想するようなかたちで個人を啓発し、その創造性を引き出す、というかたちでは進化しなかった。「自立した個」の絶対数がインターネットによって増えて、その結果「一億総表現社会」になる、といった近未来は来なかったわけです。そしてその一方で、どちらかというと、2ちゃんねるやニコニコ動画といった、匿名もしくはハンドルのユーザーが集まる、日本的なムラ社会に適応したサービスが集団主義的なクリエイティビティを発揮していった。しかし、梅田さんがこの本で書いた未来予測で、現実と大きくずれていたのはこの部分くらいだし、それ以上に当時この本を読んで沸き立った読者の方が、梅田さんの主張を願望込みで過大に受け取って、そして勝手に裏切られたと思っている側面も大きいと思うんです。
與那覇 ブログ社会については後ほど議論するとして、いま読むとそれ自体に意外の念を受けるのは「インターネットは終わった」と言われた時期がかつてあったということ。2000年代初頭にITバブルがはじけて、シリコンバレーも沈鬱な状態になった。しかしそれは終わりではなく始まりなんだ、というメッセージで「2.0」という表現が使われているわけですよね。
歴史研究者として面白かったのは、ブライアン・アーサーの「技術革命史観」を引用するところです(42P)。19世紀の鉄道革命のときだって、一回バブルははじけてる。しかし真に不可逆的な変化というものは、それを乗り越えて結局普及していくんだ、という教訓を引いています。
■「総表現社会」はなぜ挫折したか?
宇野 インターネットの登場は単なる情報産業の効率化か、それとも人間観や社会観を根本から揺るがす変化か。梅田さんは迷うことなく後者なんですよね。僕もそう思います。オールドタイプからは「結局インターネットなんて情報を集めて拡散するだけだ」とか「ネットワークからは本質的な表現は出てこない」という意見が出てくる。でも、それは、グローバル化が進むとネット右翼が出てくるのと同じで、一種のアレルギー反応にすぎないと思う。
與那覇 宇野さんが「過大に受け取って勝手に裏切られた」と仰ったけど、いま『ウェブ進化論』についてよく叩かれるのが、同書がうたった「総表現社会」なんて来なかったじゃないかと。アメリカのブロゴスフィアのように、メッセージ性のあるブログがどんどん立ち上がってネット上で討議する空間が出来上がるんだみたいな夢物語を、煽ったけど失敗しました、みたいに言われる。
今回読みなおすと、これはちょっとかわいそうな評価で、まず総表現社会といっても本当に全員が情報発信するとは書いてない。クラスに一人くらいいた「ちょっと面白いことをいう奴」がセミプロ的にブロガーになって、総計で全人口の一割ほどの読者層を獲得する、くらいのビジョンです。また、興味深いのはむしろ、日米の同一性ではなく差異の方に目配りしているところ。「米国は米国流、日本は日本流で、それぞれのブログ空間が進化していけばいいのだと思う。たとえば、日本における教養ある中間層の厚みとその質の高さは、日本が米国と違って圧倒的に凄いところである」(144P)と書かれていて、米国流に日本が合わせろという話では、必ずしもないんですね。
宇野 当時、20代後半だった僕のイメージでは、いちばん盛り上がっているブログは技術系だったんですね。プログラムも書ければ、自分でサイトも構築できるような人たちが「こういうやり方が有効だ」という話を共有しているページが一番盛り上がっていた。
與那覇 「プチ・シリコンバレー」的なITテクノロジストの共同体であれば、日本でも米国と割りあいに似たものが作れた。言い換えると、フューチャリストとしての梅田さんのビジョンを挫折させたのは、日本が強いとされたはずの「中間層」が、その後に続かなかったからだということになる。その理由はどうご覧になりますか。
宇野 梅田さんの予測が現実とずれてしまったところがあるとしたらそこだと思うんですよ。要するに「教養ある中間層の厚みとその質の高さ」が存在しないことが、この10年で、それも皮肉なことにインターネットのせいで完全に可視化されてしまった。
あるいは10年前はまだ、アンテナが低くなりすっかり問題設定の能力もクリエイティビティもなくなってしまった新聞やテレビといったマスメディアに対して、インターネットから若く、そして力のあるほんとうのジャーナリズムや文化発信が生まれると信じられていた。しかし後者はともかく前者は残念ながらほぼ破綻しているわけですね。あれほど当時テレビ文化を軽蔑していたアラフォーのネット文化人とその読者たちが今何をやっているか。一週間に一回目立っているひとや失敗した人をあげつらって袋叩きにする。そして自分たちはその叩きに参加することで「良識の側」にいることを確認する。要するに自分たちがさんざん軽蔑してきたテレビ文化と同じことをやっているわけですよね。
與那覇 悪い意味でワイドショー的ということですか。要するに、日本の中間層って人口的には分厚いかわり、クオリティ・ペーパーじゃなくてスポーツ新聞を手に取る人々だったと。戦後の一億総中流というのも、そういう意味だったので。中間層が自分たち自身を「社会で公的な役割を果たすべき、ハイブロウな中産階級」としてではなく、「そのへんのおっちゃんおばちゃん」として自己規定していることの表れだから。
宇野 クオリティ・ペーパーをとっている人たちも似たようなもんだと思いますよ。たとえば震災とその後の原発事故のあと、文学や美術といったハイカルチャーにかかわる人たちに「放射脳」と呼ばれるような陰謀論者が少なくないこともネットが可視化してしまったわけですからね。
でも僕の認識ではそれは決してSNSの普及で起こったことじゃない。この本が出るずっと前からそうだったんですよ。
だから僕は梅田さんのシナリオは、かなり手前の段階で挫折していたと思う。僕の記憶でも、2005年~06年ころのブログの世界で、それも社会や文化の話題で注目を集めていたのは、基本的にはそういった、梅田さん風に言えば質の高くない中間層によるソーシャルいじめ的な「炎上」案件で、本質的な議論や独立した読み物は注目を集めなかった。
與那覇 ブログ論壇でもオープンなアリーナで議論を戦わせるというよりは、井戸端会議というか、知りあいどうしで「口喧嘩」の野次馬をしあうような感覚になっちゃっていたと。SNSという言い方が流行るのは、FacebookやTwitterが上陸した2000年代末からですが、ブログ時代から日本人はコメント機能なんかをSNS的に使ってきたわけですね。
宇野 象徴的に言えば「『はてな』が何も残さなかった問題」ですね。
與那覇 しかしこの本は、梅田さんが最後その「はてな」の創立に関わるところで終わっているのですが……。
宇野 当時僕が、雑誌を作ることにこだわってたのもそこなんですよね。ブログ論壇で発信する限り、そこでの「空気」を読まなきゃいけなくなってロクなコンテンツを出せないし、質の高い記事も評価されない。だから別の回路を作らなきゃいけないと思って紙の雑誌(PLANETS)をつくったんですよ。
■LINE、ニコニコ動画の優位とは
宇野 要するに梅田さんの予測と現実とのズレがどこにあったのかというと、ブログ論壇的な中間層が想定よりずっと生産性が低く、ムラ社会のネットいじめしかできなかったのに対し、匿名的、半匿名的な趣味や世間話のコミュニティばかりが発達し、結果的にはクリエイティビティも後者のほうが高かったということなんですよね。
ところで、僕自身のSNSの使い方としてはLINEをよく使うのですが、あれは完全に閉じた仲間内の中でダラダラとしたコミュニケーションをとる、という、いわば「おしゃべり」の楽しさですね。逆に、TwitterやFacebookは、自分の言論活動のツールとして、もっといえば「宣伝媒体」として活用している。
そんな僕には日本のブログ空間というのは非常に中途半端に見えます。日本語に閉じられているし、かといって「顔が見える」ような近さでもない。匿名ゆえの「炎上」や「叩き」が横行し、梅田さんが想定していたような知的発信の場としての可能性が摘まれてしまっているのではないでしょうか。
與那覇 なるほど。僕は自分ではやらないからよくわかりませんが、LINEは情報発信のツールではなく、人間関係のメンテナンスツールというわけなんですね。
宇野 その通りです。LINEは、設計思想的にはガラケー(ガラパゴスケータイ)のiモードの子孫なんです。iモードはeメールをカジュアルなおしゃべりを楽しむものにしたことが革命的だったと言われています。要するに携帯電話で使用するショートメールというものは端的に要件を伝えるものだった。しかしiモードはそこに絵文字をはじめとするエンターテインメントの要素を盛り込んでいった。LINEの「スタンプ」なんかは、その延長線上にあります。
與那覇 学生たちと話すと、彼らにとっての「ソーシャル」って社会ではなく「世間」なんですね。だからリア友対象のLINEが一番使われるし、Twitterでも近況報告とか文字通りの独り言のみで、「社会に向けて」は全然発信しない。リツイートされるってこと自体が想定外なので、「RT欄に表示があるなんて先生はすごいですね」と言われたことがあります。
宇野 僕は人間というのは、実はそんなに開かれた広場に出てきたい生き物ではないと思うし、開かれた広場があると社会がうまく回っていくという発想も疑問なんですよね。現にこうして日本のネット社会を見ていると広場を形成するブロゴスフィアのほうが陰険で非生産的だという現実がある。だから僕はインターネットのもうひとつの可能性を考えたほうがいいと思うんですよ。みんなインターネットというと、世界中につながるGoogle的なものを想定すると思うんです。しかし、閉じたつながりが並列されたLINE的なものだって、インターネットの生んだ社会なんですよ。
與那覇 インターネットに関する議論はよく「情報社会論」といわれるけど、情報というよりも紐帯、否むしろ情報なき紐帯を強化する方向への進化が起きたということですね。総表現社会のうち、みんながつながりあう「総」の部分だけが実現して、パブリックに意見を表明する「表現」の部分は全部落ちた。
宇野 これからの社会を考える時に、情報なき紐帯をどう活用するのかをしっかり考えることは、意外と大事な気がします。それが、アジア発のウェブ社会の姿かもしれない。
與那覇 ただ、それって要するに開発途上国的ということではないですか。人的紐帯はどんな世界にもあるけど、市民社会は先進国にしかない。顔見知りどうしが井戸端会議をしない国はないけど、政治的な公共圏のある国は限られる。
宇野 西洋近代の雛形から遠ざかると後進的、というのは僕にはちょっと同意できないのですが……。それに、僕が言っているのは人間というのはどうしようもなく身勝手でワガママな存在なので、現実を受け入れた上でその欲望を逆手にとった制度設計をしないと、この種の議論は絵に描いた餅で終わってしまう。だから、実際に匿名空間から「表現」を生んだケースについてしっかり評価しなければいけない。
たとえば濱野智史さんが指摘するように日本的共同性にマッチしたユーザー環境をうまく作ったのがドワンゴだと思うんですね。ブログ文化がうまくいかなかったのは、そこにインターネット上の「世間」が誕生してしまったからだと思うんですよ。しかしニコニコ動画はその半匿名性を利用して、井戸端会議的なコミュニティの濃さと、それが固定しない流動性の高さを実現していった。その結果、高いクリエイティビティが生まれていった。これは西洋近代的な市民社会をネット上にどう実装するか、という発想からは絶対に出てこない。
與那覇 いや、後進的といいたいのではなくて、仰るように少なくとも西洋近代的なそれとは違う。むしろ逆の方向性を持った何かだということをはっきりさせておきたいということですね。よしあしは別にして、日本のウェブ進化の方向性をめぐって一種の「転向」があったことは間違いないのだから。
ふと連想するのは「大正教養主義から昭和農本主義へ」の流れです。阿部次郎の『三太郎の日記』とか、世界に通ずるコスモポリタンを目指して最初は輝かしかったはずのものが、後になってみるとすごく閉ざされた「意識の高い俺アピール」に見えてしまう。で、みんな「あれはイタい」と思って、周囲の個別具体的な対人関係をリア充化していく方向に走る。
■95年の煩悶から05年のベタ回帰へ
宇野 ここで『電車男』(中野独人著、新潮社、2004年)についても見てみましょうか。文化史的な話をすると、『電車男』は、オタクのカジュアル化のメルクマールですよね。ネタになるということは、その問題をシリアスに捉えている人間が少なくなっているということです。M君事件の頃には、これはできなかったでしょう。
與那覇 2005年には、人気俳優を使って映画とドラマにもなった。要するにオタクというものが異星人じゃなくて、サラリーマンとかOLとか弁護士とかと同類の「ごく普通に劇中で演じられるキャラのジャンル」になった。
宇野 同じ時期にアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』もヒットしていますが、世の中はつまらないから、本当に宇宙人が居ればいいのにと思っていたオカルト狂いの女の子がちょっと部活をやってみたら、結構普通に友達ができて、わりと楽しいという話なわけですよね。そのことが象徴するように、オタク的なものが、居場所のなさを異世界に解消していく、といったパターンが完全に終わり、現実の中でカジュアルに居場所を見つけられるようになった。今思うと、そこにもソーシャルメディアの発達が、一役買っていると思います。
與那覇 宇野さんの『ゼロ年代の想像力』のラストが、まさにその「セカイ系の女の子=涼宮ハルヒが日常回帰していく」という話でしたよね。同書には「95年の思想」というキータームがあったけど、僕は「05年の思想」というのがありえるのかなという気がしています。
電車男ブームが起きた2005年は、平成史的にみると日本人の「ベタ回帰元年」だったのではないか。政治的には「郵政解散」でちょっと吹っ切れていたけど、この年は愛知万博(愛・地球博)の年でもある。開催前は「高度成長期でもあるまいし、いまさら万博かよ」みたいにインテリ層は言っていたけれど、意外とこれが当たっちゃうわけでしょう。で、同じ年に『ALWAYS 三丁目の夕日』も大ヒット。電車男現象もいま振り返ると、2ちゃんねるは怖いとか、オタクは危ない人だと思っていたら「なんだ。普通に女の子とデートしたがってる、しごく平凡な人たちじゃないか」ということを、社会全体で確認する儀式だったように見えますよね。
宇野 その指摘は面白いですね。戦後的な文化空間が、多分下部構造的にも、コミュニティ的にも、コンテンツレベルでも解体されていったのが95年だとすると、それをどう維持、あるいは再構築するのかを考えたのが、その後の10年です。戦後的なアイロニーが使えないなら、別のアイロニーは可能か、みたいなことをずっとやってきた。だけれど、結局、ベタ回帰した。
その背景にはインターネットが代表する情報技術の発達があったわけです。「アイロニカルな没入」がなければロマン主義的に振る舞えないのが戦後社会だとするなら、この時代は物語の力が内面に作用するアイロニーから、社会心理学や行動経済学的に人間の心理を操作するアーキテクチャーに没入の支援装置が変化したわけです。「今更こんなベタな物語にハマれないよ」という自意識を突破する方法が、このころ文化空間の「空気」から、ウェブサイトの導線設計やゲームデザインに変化した。「電車男」はその代表的なコンテンツで、「いまさらこんなベタな話にはまれないよ」と思っていた人たちが、「2ちゃんねる」の匿名空間に自分も参加する、あるいは参加できたかもしれないリアリティがあるとすんなり泣くことができた。いわば「アーキテクチュアルな没入」ってやつですよね。
與那覇 「95年の思想」の典型として挙げられたのが初期の宮台真司氏であり、右傾化する直前の『ゴーマニズム宣言』であり、『新世紀エヴァンゲリオン』(旧版)でしたね。彼らは、自分が正しいと信じるものが結局は「自分にとっての正しさ」に過ぎないという逆説に煩悶するとともに、それを受け入れて生きる道を模索したと。しかし、それらは結局、決断主義への衝動の前に崩壊した。そう説いた宇野さんは一方で、「05年の思想」にはある程度肯定的なわけですね。
宇野 というよりも、不可避だと思うんですよ。「95年の思想」というのは戦後の終わりのことです。冷戦が終わっている以上、それを肯定しても否定しても仕方がない。
與那覇 ただ、ベタ回帰って「思考停止」という側面もあるわけでしょう。戦後の日本がいかに「平和」や「正義」を普遍的に語ろうと、それらは実は、冷戦体制の特殊な地政学の下で享受される賞味期限つきの特権に過ぎなかった。そのパラドクスに気づいて、さあどうする、というのが「95年の思想」ですよね。
しかし「05年の思想」では、「そんなこじれたこと考えたってしゃあないやん」となってしまう。前回取り上げた、93年の小沢一郎『日本改造計画』は「パラドクスを解こう」としていたけど、06年の安倍晋三『美しい国へ』は「日本にパラドクスなんてない」と言い張るのと、それは正確に対応します。
宇野 僕は2005年のそれが単純なベタ回帰だとは思ってないんですよ。それを言ったら、いわゆる80年安保の反動としてのポストバブル期の90年代ベタ回帰のほうがよっぽど酷かった。そもそも、「昔のようにこじらせろよ」と若いオタクたちに説教しても絶対に空振りになるだけですよ。だって、かつてオタクたちをこじらせていた社会環境自体が変化しているんだから、こじらせをバネにしたものとは異なった表現を生む回路を発展させるしかないし、現にそうして成果を上げてきた現実が既にある。
與那覇 加藤典洋氏の論文「敗戦後論」もまた「95年の思想」だったわけですが、その用語でいうと戦後日本という国自体が「ねじれ」を帯びざるを得ない位置にいたわけですよね。そのせいで、突き詰めて物事を考えるとみんなこじれたわけで。僕は、日本国民が自意識の上でベタに回帰しても、日本という国の立ち位置自体はベタな「普通の国」にはなってくれないものだと思うんですよ。その状況をこじらせずに「普通に」受けとめちゃう人の方が、マスになったときちょっと怖いなという気持ちがある。
宇野 だから、集団的自衛権の問題でも冷戦下の国際情勢が変化して、戦後的な「ねじれ」の力が弱まった以上、日本は「普通の国」になった上でどうリベラルな外交戦略をとっていくかを議論したほうがいいに決まっている。そんな当たり前のことがなんで昔の左翼の人にはわかんないのか、僕には不思議ですらあるんですが。
■参加型コンテンツだった「電車男」
宇野 ベタ回帰ということで言うと、もう一つは『電車男』の「いい話」性ですね。2ちゃんねるという悪口を書くことがデフォルトの世界で「めしどこか(教えてくれ)たのむ」と書きこむと、みんな答えてくれる。