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『ゼノギアス』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』 ——国産3Dストーリーゲームが築いた文法(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.230 ☆
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『ゼノギアス』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』 ——国産3Dストーリーゲームが築いた文法(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.230 ☆

2014-12-26 07:00

    『ゼノギアス』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』
    ――国産3Dストーリーゲームが築いた文法(中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.26 vol.230

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    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は1990年代後半に登場した名作タイトル『ゼノギアス』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』について解説します。3Dストーリーゲームを考える際に常に参照されるこれらの作品は、それぞれどのような画期性をもっていたのか――?

    「中川大地の現代ゲーム全史」
    第8章 世紀末ゲームのカンブリア爆発/「次世代」機競争とライトコンテンツ化の諸相
    1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(5)
     
    ▶前回までの連載はこちらから。
     
     
    『FFVII』後の3D物語ゲームの展開
     
     『FFVII』をひとつのメルクマールとして、3D表現による大作物語ゲームは、一気に成熟期に達した感がある。模索期には不安定だった3D空間での操作系において、UIの完成度を高めて作品ごとの表現ポイントをはっきりさせることで、ゲームとしてのプレイングや物語に快適に没入できる度合いが高まった。3D描画技術の向上とともに、中小デベロッパーにありがちだった「クソゲー」寸前のアングラカルト感と、それを逆手に取った「不気味の谷」型のホラー演出からの脱却傾向が顕著になる。
     実際、『バイオハザード2』は、1作目の心理的な恐怖演出よりも、シリーズ化の必然として戦闘のバラエティや、アンブレラ社の謎をめぐる世界観のスケールアップなどによって、体験性が微妙に変わった。ザコ敵を障害として倒しながら謎解きをしてイベントを進めて中ボスを倒していき、最終的にラスボスを倒すという、本質的にはホラー的でないストーリーゲームの文法が、よりくっきりと前面化してきたのである。

     そうしたストーリーテリングが、むしろシリーズをホラーとしてよりヒーローアクション映画として捉え返させることになり、のちに『バイオハザード』はミラ・ジョヴォビッチの主演でアメリカ映画化されることになる。洋画への憧れからのコスプレとして作られたゲームが、実際に洋画化されるに至ったわけで、これは従来の日本のコンテンツ分野ではありえなかった展開であった。プレイステーションのホラーゲーム文脈をくぐることによって、邦画界が羨んでやまなかったハリウッドへのパスコースをつくることができたこともまた、『バイオハザード』を代表とする映画的なホラーゲームの特筆すべき功績であったと言えるだろう。
     
     『FFVII』以降の3D物語ゲームの流れの一例としては、同じくスクウェアからリリースされたSFロボットRPG『ゼノギアス』が挙げられる。裏『FFVII』をコンセプトとしていた本作は、フィールド画面が2D固定の書き割りだった『FFVII』とは逆に、フィールド全体をアングル操作可能な3Dマップとして描画する一方で、キャラクターグラフィックやストーリームービーなどは2Dアニメ調で進行。さらにはファンタジーRPG的な人物キャラクターと、それぞれのキャラクターが乗るポリゴン描画の巨大ロボットが場面に応じてバトルに登場するなど、日本アニメが培ってきた典型的な想像力を節操なく継ぎ合わせるかたちで構築された作品であった。

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    ▲『ゼノギアス』(1998年・スクウェア)
     
     シナリオ面では、旧約聖書やユング心理学の俗流解釈的なモチーフによってスケール感と深遠さを演出しようとするあたりなど、ちょうど同時代にアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が引き起こした分野を越境したブームを、ゲーム側でかなり直截に反映した作品としての性格が顕著であった。終盤には突如として主人公の心象風景に重ね合わせてのモノローグでストーリーが駆け足で語られるシーンが差し挟まれるなど、制作スケジュールの破綻を想像させる部分もままあったが、そうした事故性も含めて文芸的な読み解きや批評心を喚起し、コアなファン層を獲得。
     こうしたカルト性と大作性が大手メーカー作品でも平然と同居するあたりが、この時期の特徴だったと言えるだろう。
     
    『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が示した3Dゲームの完成像
     
     3DCGの描画とそこに乗せて表現すべきストーリーの試行錯誤が、過剰だったりアンバランスだったりする表現を数々生みだす中、ひとつの完成形と呼べるバランスを生み出してみせたのが、N64のキラータイトルとして登場した『ゼルダの伝説 時のオカリナ』であった。
     同ハードの看板タイトルとしては『スーパーマリオ64』があったが、こちらは3Dアクションとしての完成度の高さと裏腹に、右方向に進むシンプルな2Dジャンプゲームだった『スーパーマリオ』からの飛躍が大きく、「マリオ」であるがゆえの違和感を与えてしまっていた。対して、もともと四方に随意スクロールする剣戟ベースのアクションRPGだった「ゼルダ」の場合、シリーズのアイデンティティに対して、より親和的に3D化できたのだと言える。
     
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    ▲『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(1998年・任天堂)
     
     その操作性のポイントとなったのが、普段は主人公リンクの背後に設定されている三人称視点のカメラアングルを、コントローラー背後中央に設置されているZトリガーボタンを押下している間だけ主観視点に切り替えて注目対象をロックオンすることのできる「Z注目」であった。これにより、自由度の高い3Dフィールド内で攻撃やアクションの対象を任意のタイミングで絞り込み、自然な身体感覚での操作感が得られるようになった。このようにゲームの局面が要求するコンテクストに応じて、最適な視点を切り替えながらアクションをナビゲートする操作系は、のちの多くの3Dアクションゲームで標準に近いものになるが、Z注目はその基礎を築くものだったと言える。
     のみならず、状況に応じて3つのグリップのうちで握る場所を変えるN64コントローラーの独特の形状とも相まって、Z注目は2Dアクションの金字塔である『スーパーマリオ』の「Bダッシュ」とも対比可能なプレイヤーの自然な手癖になった点は、宮本茂デザインの面目躍如であろう。

     このほか、ジャンプのタイミングや壁の登攀など、フィールド環境がアフォードするアクションへの切り替えを半自動化することで、『時オカ』のリンクは擬似的な「無意識」を獲得していたとも言えるだろう。ゲームが3D時代に入って、プレイヤーが自分自身の身体を動かすことによって本質的には自分と同じ次元での行動自由度をもつキャラクターの身体を動かさなければならなくなったとき、もはやキャラクターの行動を完全に意のままにすることはできない。その場合、どこまでを意識下に置き、どこからを無意識の範疇にするか。そこでの身体制御の余分なストレスを削ぎ、プレイヤーがゲームとして楽しめるレベルのままならなさを残すという最適な感覚の追求が、ここでは行われていたわけである。 
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    最終更新日:2024-11-13 07:00
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