今回、PLANETS編集部は品川の楽天株式会社を訪問して、そんな華々しい経歴ばかりが語られがちな北川氏が、一体どんな思想を背景に現在の仕事に取り組んでいるのかを聞いた。宇野が興味をいだいた「行動変容」という概念をキーに、現代のウェブサービスの「プラットフォーム主義」の背景にある知の潮流、「"意識高い"系現象」の背景にある問題、そしてウェブサービス事業者はその中で何が成しうるのかなど、議論は様々に広がりを見せた。
宇野 北川さんって、ビジネス誌のインタビューなどでは、とにかくすごい人という扱いで出てますよね。ただ、今日はそうではない、哲学者・北川さんの側面を掘っていこうと思うんです。
北川 なんと……。まあ、宇野さんと話したら、勝手にそうなる気がします(笑)。
――まずは、北川さんが理論物理学からビジネスの世界に飛び込んだ理由を聞きたいです。学術で華々しいキャリアを築いていながら、実業界に飛び込んでくる人ってあまり日本ではいないので、何か考えがあったのではないかと思います。
北川 物理学って、いい意味でも悪い意味でも非常に成熟した学問です。明確に考えたわけではないですが、この時代における物理は存分に楽しめた、という思いがあったんだと思います。同時にニュートンが活躍していたような黎明期の発見の喜びというのに憧れるところもありました。
だから、今の時代だからこそ出来ることを満喫しようと思ったんですね。そこで気になったのが、AppleやTwitterのようなイノベーションを起こしている企業たちでした。こういう世界に飛び込んで、そこを理解してみたくなったんです。
実際に飛び込んでみると、やはり知的刺激にあふれた世界でした。発見できるものの量が全く違うんです。僕は研究者時代に、他の研究者と共同でとある物質の非常に稀にしか存在しない状態を全く違った方法で実現する手法を提案したんですよ。その提案を証明しようという実験が行われたりしてこの研究分野は盛り上がっているのですが……黎明期に比べてやはりそういう発見はレアだと思います。哲学的な広がりという意味でも、物理学はあまりにも世界観が完成されすぎていました。そうなると正直に言って、「僕がやらなくてもいいんじゃないか」という気になりますよね。
宇野 なるほど、では北川さんがネット屋になって得た、最も大きな哲学的な広がりは何なんですか?
北川 「人間が物を買うこと」への理解ですね。具体的には、「人間はブランド服をサイト上でどういう風に探すのか」などの問いになるのですが、それへの解答の裏に哲学が隠れています。
例えば、水を3日間飲んでいない人が、「君の目の前にある3つの箱のどれかに水が入っている」と言われたら、その人は水が出てくるまで箱を開けるはずです。でも、単に可愛いiPhoneケースが欲しいだけの人は、おそらくそれほどの欲望で選ばないでしょう。要は「衝動買い」と「必然買い」の差なのですが、それがどう行動に現れて、どういう数値で見ていくかを考えていく作業は、人間の欲望とは何かを考えることそのものです。
そうすると、既存の購買の理論について、自分なりに思うことが出てきます。例えば、経済学の需給曲線って「人間はなるべく安い価格で買いたい」という前提で作られている理論ですが、本当にそうなのか。むしろ、みんなお金を払うことで幸せになっている気がする。
宇野 いやあ、僕も今回の選挙で50枚買いましたからね(笑)。例えば、自分が応援したい人のためであれば、お金を遣うのはとても楽しいことですよ。
よく広告代理店の人が、「この商品を宣伝してくれたらクーポンをあげます」みたいな企画をやってるでしょう。僕はあれって逆だと思いますね。むしろ、「お金を払ってくれれば素材を貸すから、好きに遊んでいいよ」が正解だと思うんです。人間は自分の好きなもののためにはお金を払いたいんです。そういう消費を快楽と結びつける議論は、既存の理論では弱いと思いますね。
北川 そういう消費にまつわるような哲学的な問いかけや疑問が、こういうウェブビジネスの中で一歩進んだ形で数値的に理解されていくんだと思います。
「行動変容」から「意識変容」へ
宇野 以前にお会いしたとき、北川さんがおっしゃっていた「行動変容」という概念について考えてみたいんです。
北川 ありがとうございます。ただ、「行動変容」そのものは、ビジネス寄りの発想から出てきたものです。僕らのような科学者は、つい物事の理解それ自体に一生懸命になってしまうけど、ビジネスバリューという点で重要なのは「行動変容」――つまり、人間の行動をどう変えていくか――に焦点を当てて問題を解いていくことなのだという話です。
例えば、人間は服とアクセサリーを一緒に買う傾向があると単に理解しても仕方ない。重要なのは、「どうすれば服とアクセサリーを一緒に買わせられるか」と問いを立てることです。そういう「行動変容」の問いを立てた瞬間に、ビジネスバリューが生まれるんですよ。そう考えると、マーケティングの本質は「行動変容」を考えることだとさえ思うんです。
宇野 行動にアプローチすることは個人の意識にアプローチすることだという発想、たとえば成熟した市民を育てて投票行動を変えていこう、みたいな「市民化」の議論が今でも社会の主流ではあると思うんですよ。そしてこれもさんざん議論されてきたことだと思うのですが、意識に訴えるプロセスを飛ばして人間の行動変容に直接アプローチするような社会設計の考え方が、情報技術の発展を背景に再検討されはじめている。しかし逆に人間の意識の領域にアプローチしないとどうしようもないことや、意識を変えたほうが早い問題にアプローチすることが苦手になってしまったのが、今のプラットフォーム主義の限界のようにも思うんです。
北川 そういう点では、僕が本当に訴えたかったのは、「行動変容」が人間の「意識変容」を生むのではないかということなんですよ。
例えば、現在の日本は物質的に豊かですよね。だけど、そうであるが故に意識を少し変えるだけで、一気に幸せの度合いが上がる気がします。実際、質量保存の法則がある以上、物って増えないわけですよ。でも、昔の人が「お腹が空いても、想像力で人間は幸せになれる」と言ったように、物の見方を変えるのはいくらでもできる。そして、その先には「幸せの度合いの違い」のようなものが現れてくる気がして、僕が本当に興味があるのは、実はここなんです。
――順番が逆なんですね。「意識変容」から「行動変容」に落とすのが従来の人文系の考え方なら、むしろ「行動変容」を「意識変容」に落とす方法を考えたい、と。で、その先で本当に興味があるのは、「人間の幸せとは何か」という問題である……。
北川 物事の捉え方を変えることで、人間は幸せになれるというのは僕の基本的な考え方です。まあ、宗教家みたいですが(笑)、例えば髪型を変えれば周囲の見方も変わって、自分の意識も変わる……みたいな話だと思えば、実践的な話だと思いませんか。そういうことが、実はeコマースで出来るんじゃないかと思うんですね。
ただ、やっぱり成功例がない。結局、宇野さんの言うように「行動変容」の自己目的化に留まっていると思います。上手く技術モデルを作れたら面白いのですが。日本の漫画業界なんかは、そういう雰囲気がある気もしますが……。
――漫画業界ということでは、ジャンプ編集部はそうかもしれないですね。アンケートシステムを上手く利用しながら、独自色の強いクリエイターを育てていますよね。
宇野 ただ、僕がサブカルチャーの評論家だからそう思ってしまうのかもしれないけど、結局そういう発想が上手く行ってるのは、サブカルチャーの世界だけな気もするんですよね。
今までの話は、『ウェブ進化論』の梅田望夫と『アーキテクチャの生態系』の濱野智史の違いという言い方もできるんです。僕らに近い界隈では、尾原和啓とけんすうの違いと言ってもいいかもしれない。やはり尾原さんは、どこかでエリートの運営者が先導するプラットフォーム主義を信じているし、けんすうは「行動変容」から「意識変容」の流れだけに価値を見出している。二人ともやりたいことは似ているけど、方法論は対照的だと思うんです。
北川 僕も、わざわざ物理学みたいな一握りのエリートが先導する世界を抜けだしてここに来たわけで、けんすうさん的な発想はありますね。それに、世界的な潮流そのものがけんすうさん的な方向に進んでいる気もします。
宇野 言ってしまうと「行動変容」はサイコロを振って出た目から、その意味を考えるような発想なわけですよね。
北川 そう、そうなんです! 例えば、僕のいた理論物理学というのは、ニュートン以来、ひたすら理論のデザインを更新し続けてきた世界なんですね。でも、僕が一番好きな物理学者はそういう伝統から少し外れた人で、ロシアのランダウという天才物理学者なんです。
彼の凄いところは、その思想の柔軟性ですね。彼は、超電導のような未知の現象を説明するときに、まずは起こったことから現象論を作りあげて、そのあとに背景にある理論を構築してみせたんです。超電導の仕組みは、本当は非常に難しい話だったのですが、彼の見出した現象論によって理解が50年は早まったと思います。
――ランダウの相転移論の話ですよね。ああいう風にランダウが現象論から一種の物理的直感でシンプルなモデルを作り上げたようなことを、ECサイトでやってみたいということですか?
北川 まさにそうですね。それは、「行動変容」を「意識変容」に変えていくという話そのものだと思うんです。
宇野 こういう話を楽天の役員がするのは、大きな皮肉のように僕は思いますね(笑)。ここまでの話は、「行動変容」を自己目的化しているプラットホームの常識に対する懐疑ですよね。
北川 それは良いポイントです。だって、このビジネスモデルのままだと、僕らはいつか負けるんですよ。プラットフォームで勝ちに行く事業者は、それより下のレイヤーでプラットフォームが変わったときに乗り換えられてしまうんですよ。今なら具体的には、PCからスマホへのシフトですよね。だからこそ、もっと本質的なレベルで「売買」とは何かを問う戦いに持ち込む必要があるんだと思います。
日本人は行動と感情が乖離している
宇野 「行動変容」の自己目的化に話を戻すと、六本木のあたりにいるIT関係者の人たちって、「行動変容」が自己目的化して「意識変容」につながっていなくて、その結果として自分探しをしてしまっている気がします。おそらく、これは非常に新しい現象だと思うんです。彼らは自分のパフォーマンスを引き出すための方法論にはどん欲だけど、その能力を使ってやりたいことがない。自分以外に好きなものがない人が多いでしょう?
北川 日本人に独特な状況ではないでしょうか。僕がいつも強烈に感じるのは、日本人は行動と感情が乖離しているということです。普通は行動を起こしたとき、もっと感情を伴うはずなんです。でも、日本人はなぜかそうならない。「意識変容」が上手く起きないのもその結果ではないかという気がするんです。
――西海岸ではどうなんですか?
北川 僕の経験では、アメリカ人は基本的にそんなことはありません。やっぱり、彼らはもっと素直なんですよ。これはずっと考えている問題なのですが、やはり究極的には、よく言われる「建前と本音」の文化が根底にある気がします。
宇野 つまり、「意識変容」というのは本来、気持ちいい行動によって、自然と"パッション"が湧き出てくるという話なのに、それが単なる"ファッション"になっている。「勝間和代現象」とか、その典型だったと思いますね。本来は「自分を向上させて、年収を上げたり家族と幸せになろう」という話だったのが、いつの間にか「向上している私が好き」という話になっていた。
北川 まさにそういう構造があると思うんですよ。