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東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌)【PLANETS vol.9先出し配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.250 ☆
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東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌)【PLANETS vol.9先出し配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.250 ☆

2015-01-28 07:00
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    東京2020への道筋
    ――五輪は都市をどう変えてきたか
    (白井宏昌)
    【PLANETS vol.9先出し配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.28 vol.250

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    いよいよ1/31(土)に発売となる「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。メルマガ先行配信の第2弾は、建築家の白井宏昌さんによる「オリンピックと都市開発の歴史」です。
    五輪は都市をどう変えてきたのか? そしてその歴史の蓄積は、どのようにして2020年の東京五輪に結実していくのか――? 60年代以降の各大会の施設配置を「分散型」と「集約型」に分類しながら、大会後の施設活用や財政面での課題など、より俯瞰的な視点から分析します。

     
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    ▲実際の「PLANETS vol.9」の誌面から。
     
     「世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典」は、その歴史を重ねるに従い、開催都市の景色を一変させるまでの影響力を持つようになった。スタジアムをはじめとした競技施設、選手村の建設、交通インフラの整備など、オリンピックは都市開発の「またとない機会」である反面、“その後”に大きな負の遺産を残すこともある。これまでの開催都市の“その後”から、2020年の東京が目指すべきものを考察する。
     
    ▼執筆者プロフィール
    白井宏昌〈しらい・ひろまさ〉
    1971年生。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。博士 (学術)明治大学兼任講師、東洋大学、滋賀県立大学非常勤講師。2007-2008年ロンドン・オリンピック・パーク設計 チームメンバー。2008年度国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。
     
     
    1960年以前――「都市の祭典」への道程
     
     オリンピックは「スポーツの祭典」であると同時に「都市の祭典」である――。
     これまでのオリンピックが開催都市に与えてきた影響を振り返ると、社会学者ハリー・ヒラーが発したこの言葉に大きく頷いてしまう。特にその舞台が都市の中心部となる夏季大会では、政治家、企業家が長年温めてきた都市再編の野望を実現する「またとないチャンス」を開催都市にもたらしてきた。
     とはいえ、このようなオリンピックと都市再編の密接な結び付きは、19世紀の終わりに、フランス人教育者ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピックの復興を唱えたときには存在しなかった。1896年に最初の近代オリンピックがアテネで開催されてからしばらくは、オリンピックはその存続を確固たるものとすべく、紆余曲折を経ることとなる。当初は、別の国際的イベントの一部として開催することで、何とかグロール・イベントとしての体裁を維持してきた経緯もあり、当然この時代にはオリンピックが開催都市の再編に大きな影響を及ぼしたとは言い難い。
     しかしながら、1908年にロンドンが世界初の「オリンピック・スタジアム」を建設すると、これに続く都市は「オリンピック・スタジアム」を都市あるいは国家を表象するものとして捉え、その後の遺産として都市に永続的に残るものとして計画するようになる。もちろんその具体的な利用に関してはどの都市も苦労することになるのだが、時代はオリンピックが建築と結びついた時代だったのである【図1】。
     
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    【図1】夏季オリンピック都市開発の変遷
     
     
     そしてオリンピックに必要とされる競技施設やアスリートのための宿泊施設である選手村を集約することで、オリンピックをきっかけに作られるのは、「建築」から、ある広がりを持った「地区」へと展開していく。
     この流れを作り出したのが1932年に第10回大会を開催したロサンゼルスであり、このオリンピック地区をさらに象徴的に作り上げたのがその次の1936年大会を開催したベルリンである。ナチス主導により政治的な意図を持って開催されたベルリン大会はベルリン郊外に複数の競技施設を集約し、象徴的なイベント空間を作り上げた。それは今日も、ナチスドイツの残した歴史的遺産として存続している。
     
     
    1960年以降――オリンピック都市の彷徨
     
     そしてこれらのオリンピック地区を戦略的に複数に作り、それらを結び付けるインフラを整備することで、オリンピックによる都市再編の影響を都市全域にまで広げたのが、1960年のローマ大会だったのである。この大会をもってして、初めて「オリンピック都市」の誕生とすることも可能であろう。
     ただ、この流れは当時すべての人々に好意的に受け入れられたのではない。特にスポーツの振興を最大の活動意義とする国際オリンピック委員会(IOC)にとっては、スポーツを都市再編のために「利用された」と捉える動きもあり、その是非は次大会の1964年の東京に持ち越された。
     ここで東京は、ローマをはるかにしのぐ規模でオリンピックを都市再編のために「利用する」こととなる。そして、その世界的アピールが後続の開催都市にオリンピックとは都市再編あるいは都市広告のための「またとない機会」というイメージを作り上げる。
     この流れは1976年のモントリオールでピークに達する。フランス人建築家ロバート・テイリバートによる象徴的なオリンピック・パークは当時のモントリオール市長による「フレンチ・カナダ」のアピールの場となるはずだった。
     だが、オリンピック・スタジアムは大会までに完成せず、その後30年にも及ぶ借金返済という大きな負の遺産を残すこととなる。オリンピック都市の「野望」が「苦悩」へと変容した事例であり、モントリオール大会は、オリンピックは「リスク」であるという新たな警笛を世界に発したマイル・ストーンとなったのだ。
     これと対極をなすように、次の1980年大会を開催したモスクワは、社会主義政策に基づく徹底した合理主義にのっとりオリンピックを開催する。さらに、その次のロサンゼルスは、徹底した既存施設の転用と公共資金の不投与という戦略で、経済的なリスクを回避。民間資金によるイベント運営という手法を導入することで、大会運営の黒字化にも成功する。
     このことが、オリンピック=チャンスというイメージを与えることとなり、再び開催都市にオリンピックを都市再編のきっかけとする機運を作り出す。イデオロギーの差こそあれ、モスクワもロサンゼルスも、その合理的な手法により、モントリオールの悪夢を払拭したのである。都市の美化と新たな公共拠点作りを目指した1988年のソウルや、地中海都市の復活をかけ、長期的な都市再編キャンペーンの一つとしてオリンピックを取り込んだ1992年のバルセロナにより、オリンピックは再度、都市再編の道具と化していくのである。
     
     
    2000年以降――オリンピック・レガシーの時代
     
     2000年代に入ると、オリンピックと都市の関係はさらなる変容を遂げることとなる。これまではオリンピックに向けて何ができるかに大きな注目が集まっていたのに対し、オリンピック後に何が残るか、あるいはそれらをどのように維持していくことができるかが重要視されてきたのだ。いわゆるオリンピック・レガシー(遺産)の問題である。
     これを主導したのが2001年よりそれまでIOCを率いてきたサマランチから会長の座を引き継いだジャック・ロゲである。商業化による拡大路線を追求してきたサマランチと異なり、ロゲが求めたのは巨大化したオリンピックの見直しと、オリンピック後の施設運営も視野に入れた施設計画の指針作りである。
     新旧IOC会長の視点の違いは、2000年大会の開催都市シドニーで、11万席を擁するオリンピック史上最大のオリンピック・スタジアムを眼にしたときの反応に如実に現れる。「これまで見た中で最高のスタジアム」と称賛したサマランチに対して、ロゲはその後の利用に大きな懸念を示したのだ。かくしてロゲの新たな戦略はオリンピック憲章や招致ファイルでの必要記載事項に「オリンピック・レガシー」が盛り込まれることで現実化していく。
     それに建築・都市計画のレベルで応えたのが、ロゲがIOC会長として仕切った2012年の開催都市ロンドンである。ロンドンは招致の段階から当時のIOCの最大関心事項「オリンピック・レガシー」をキーワードに招致活動を行い、競技会場の中心となったロンドン東部の「オリンピック・パーク」の長期的展望を具体的に示すことで、ニューヨーク、パリといった世界の強豪都市を抑えて勝利したのだ。招致後も仮設施設の積極的な利用や競技施設の減築など、「オリンピック期間中よりオリンピック後」を見据えた建築・都市計画を進めていくことになるのだが、その際「レガシー」という言葉がオリンピック開催による莫大な公共資金の投与を正当化するものとして使われた。
     当然のことながら、2020年に夏季オリンピックを開催する東京も、これまでのオリンピック都市の変遷、特に2000年以降IOCが取り組んできた「オリンピック・レガシー」重視の政策を取り込んだ都市再編の延長にあるものと捉えることができる。特に2020年夏季オリンピック招致を、レガシーの流布に尽力したジャック・ロゲの12年の任期の総決算として捉えた場合、その意義はとてつもなく大きい。
     この問いかけに、東京は1964年オリンピックのレガシーを再利用するヘリテッジ・ゾーン(代々木地区)と2020年後の新たなレガシーとなるベイ・ゾーン(湾岸地区)を想定し、異なる時間軸を持った「オリンピック・レガシー」を都市に作りだすというコンセプトで応えることなった。ロゲ体制のもと、2回目のオリンピック開催を目指す都市でこそ作りえた優等生的なコンセプトだと言えよう。
     
     
    2020年のトーキョー:分散型施設配置
     
     かくして、東京は56年の歳月を経て2度目のオリンピックを2020年に開催することとなるが、もちろんのことながらその空間作りは1964年とはかなり異なるものとなる。まず施設配置に関して、1964年の東京オリンピックでは代々木公園、神宮外苑、駒沢公園の3つの地区に競技施設を集約させたが、2020年では代々木、神宮外苑を含むヘリテッジ・ゾーンと湾岸のベイ・ゾーンの2つのエリアにイベントに必要とされる施設を「コンパクト」に配置すると招致時から一貫して強調されてきた。
     しかし、この「コンパクト」という言葉に惑わされてはいけない。というのも、2020年の東京が提唱する「コンパクト」な施設配置は歴史的には「コンパクト」と言えない節があるからだ。 
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