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早すぎた魔法使いと世界を変えた四人の弟子(落合陽一『魔法の世紀』第6回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.310 ☆
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早すぎた魔法使いと世界を変えた四人の弟子(落合陽一『魔法の世紀』第6回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.310 ☆

2015-04-23 07:00

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    早すぎた魔法使いと
    世界を変えた四人の弟子
    (落合陽一『魔法の世紀』第6回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.23 vol.310

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    今回は、メディアアーティスト・落合陽一さんの好評連載『魔法の世紀』の最新回をお届けします。
    なぜ今、現実世界にコンピューティングが物象化していく状況(=魔法の世紀)が訪れたのか? CADやヘッドマウントディスプレイの原型となるテクノロジーを開発した科学者アイバン・サザランドと、その弟子たちの系譜から紐解いていきます。

    落合陽一『魔法の世紀』これまでの連載はこちらのリンクから。
     
     
    「魔法が世界に満ちるまで」
     
    お久しぶりです、落合陽一です。最近、無事に博士になりました。先月まで博士論文を書いていてしばらく時間が取れなかったので、久々の執筆になりました。博論は計算機を用いた場の制御に関するもので、魔法の世紀で連載してきた話の「理系バージョン」みたいなものです。無事に博士号をいただきました。
     
    今回は時間が開いてしまったので、ひとまず仕切り直しというわけで、おさらいの会にします。前回までは、映像の世紀から魔法の世紀に変遷するにあったっての美の変化やアート価値、静から動への変化、テクノロジーやデザインということについて語ってきました。
     
    それに対して、今回はなぜこの世界にコンピューティングが物象化しているのか、という時代性の問題を見直してみようと思います。そのために、以前紹介したコンピュータ科学者・アイバン・サザランドの論文やその弟子への系譜を見ていくことで、サザランドが語った魔法的な価値観がどう引き継がれ、どう世界に溶け込んでいったのかを考えてみようと思います。
     
     
    「ヴァーチャルリアリティの息吹」
     
    アイバン・サザランドはマサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業しています。彼の博士指導教官はクロード・シャノンです。
    シャノンとは、標本化定理や暗号理論、情報理論、デジタル回路の研究などで世界一有名な情報学者です。彼が修士号取得時に著した「継電器及び開閉回路の記号的解析」は「20世紀に最も重要で有名な修士論文」と評されるほどのもので、電気回路のスイッチングを論理式に対応づけることで、現代のデジタル回路を成す「デジタル論理回路」の基礎を作ったものです。
     
    では、そんなクロード・シャノンの弟子であるアイバン・サザランドはどんな人物だったのでしょうか。
    シャノンがコンピュータの数学的記述法や通信・暗号の基礎を作ったなら、さしづめサザランドは人間とコンピュータが関わる対話的基礎を築いていった人物だと言えるでしょう。
    アイバン・サザランドの初期の業績において重要なものは、コンピュータグラフィクス分野の開拓とヴァーチャルリアリティ分野の開拓です。まず、彼がコンピュータフラフィクス分野を生み出したのは1963年のことです。まだメインフレームが当時のコンピューティングの中心だった頃、アイバン・サザランドは世界初のインタラクティブコンピュータグラフィクスシステムであるSketchPadを、MITのメインフレーム(TX-2)の上で実装し、1963年に博士号を授与されました。
     
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    SketchPadは今でいうとCADの前身のようなシステムで、タブレットで直接絵を描くことのできるIllustratorのようなものです。その斬新性は、50年後の今見ても明らかです。この功績により、アイバン・サザランドは後のチューリング賞、クーンズ賞、京都賞などを受賞します。
     
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    続いて、アイバン・サザランドはヴァーチャルバーチャルリアリティの礎を築きはじめます。ハーバードの教官を務めていた1968年、彼は指導学生であったボブ・スプロウルとともに世界初のHMDを開発したのでした。
     
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    アイバン・サザランドの教鞭の変遷は、それ自体が現代のヴァーチャルリアリティと、コンピュータヒューマンインタラクションの足跡そのものです。ボブ・スプロウルはカーネギーメロン大で教鞭をとった後、サザランドとともにコンサルティングファームを起業しました。それがサンマイクロシステムズに買収されて、後のサンマイクロシステムズ研究所の母体となります。ここから生まれたプログラミング言語やユーザビリティ研究が、やがて1990年代のUNIXブームやその後のインターネットユーザビリティの立役者となります。現代のUNIXサーバやプログラミング言語に関する研究はサンマイクロシステムズのラボラトリーから出芽したものが多いです。
    スプロウルだけではありません。後のコンピュータアプリケーションにおけるキーマンのほとんどが、彼のラボラトリーの卒業生なのです。
     
     
    そして、1968年にアイバン・サザランドはユタ大学に移ります。ユタ大学は当時コンピュータグラフィクス分野で非常に有名な大学でした。マーティン・ニューエルがモデリングしたユタティーポットは今でも使用されているリファレンスオブジェクトで、そこにはユタ大学の名前が現在でも残されています。
     
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    言ってみれば、これは当時のUnityちゃんや初音ミクみたいな、3D表示するサンプルのオブジェクトです。ユタ大学に移ったサザランドは、コンピュータグラフィクスの研究をするとともに、ここでも多くの博士学生を育てました。ここでの彼の教え子たちがコンピューティングのアプリケーションを拓いていくことになります。その筆頭が、かの有名なアラン・ケイです。
     
    ここまでの話からもわかると思いますが、魔法の世紀の基礎概念は、アイバン・サザランドの系譜をなぞっていくことで、読み解けるのです。しかし、実は1975年を最後に、アイバン・サザランドはコンピュータグラフィクスやこうしたインタラクティブなアプリケーションエリアを離れてしまいました。そして、当時のことについては、口を閉ざすようになりました。
     
    僕の知る限りで、サザランドがこのことに触れたのは、まさに当時の業績で受賞した京都賞の講演の際のことです。1975年、サザランドは隠面処理のアルゴリズムに関するサーベイ論文を出版しました、その際に、彼は「隠面処理のアルゴリズムは一見違うアルゴリズムであっても、同種のソーティングの問題でしかない」と気づいたのだそうです。サザランドは、「それがグラフィクスにかける自分の情熱が消えていった瞬間だった」と言いました。また、彼が想像したようなインタラクティブシステムを行うには当時のコンピュータは貧弱であり、実現までの道筋も遠かったのだと思います。
    1975年以降のアイバン・サザランドは、分散システムの研究に移っていきました。そして、こうしたユーザーインターフェイスにまつわる研究からは姿を消したのです。
     
     
    「パーソナルコンピューティングの夜明け前」
     
    しかし、サザランドが撒いた種は、その後のコンピュータの歴史の中で大きく育ち続けました。
     
    とりわけ、コンピュータの使い方が積極的に議論された当時のユタ大学で、サザランドが指導に関わった学生たちからは、アプリケーションユースの歴史に名を残した人々が幾人も登場しました。
    その中でも、ジェームス・クラーク、アラン・ケイ、ジョン・ワーノック、エド・キャットムルの4人は代表格です。コンピュータの歴史に詳しい人であれば、彼らが業務アプリケーションからハリウッドのCGまで、各分野において巨大な業績を残した人物であることを知っていると思います。アイバン・サザランドがユタ大学で教鞭を持っていたあの時代、そんな彼らが一つの時間を共有していたことは、まるで「トキワ荘」のようなものだと思います。それは、後のコンピューティングの歴史を切り開く一ページと言えるでしょう。
     
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    ▲ジェームズ・クラーク
     
    まず、ジェームス・クラークは、後にシリコングラフィクスを起業して、ネットスケープを起ち上げた人物です。第一次ヴァーチャルリアリティブームや、黎明期のハリウッドのコンピュータグラフィクスソフトウェアのほとんどは、実はシリコングラフィクスのワークステーション上で動くものでした。コンピュータグラフィックス計算に特化したワークステーションを数多く輩出し、シリコングラフィクスは一時代を築きました。
    ネットスケープのモザイクコミュニケーションズは、その上場益をもとに1994年、ジェームス・クラークが創業したものです。これは、みなさんが知っているネットブラウザの先駆けで、WWWへインターネットブラウザを用いてアクセスするというサービスでした。このようにクラークの業績は、インタラクティブグラフィクスや映画のテクノロジー基盤の提供を経て、インターネットの普及にまで渡ります。彼の存在は、この世界にコンピュータグラフィクスやインタラクティブアプリケーションのテクニックが普及していく原動力の、少なくとも一部をなしていたと言っても過言ではありません。
     
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    ▲アラン・ケイ
     
    次にあげるのは、アラン・ケイです。既にこの連載でも取り上げている、コンピュータ史における最も有名な人物の一人です。「未来を予知する最も確実な方法はそれを作ることだ」という格言で、一般には広く知られているかもしれません。
    彼もまた、ユタ大学でアイバン・サザランドの影響を受けた一人でした。アラン・ケイはパロアルト研究所の研究員時代に、グラフィカルユーザーインターフェースをもつコンピュータ(Alto)や、オブジェクト志向言語(Small Talk)をもつコンピュータなどの、現在のコンピュータに極めて近いコンポーネントをもつシステムを次々と発明しました。GUI付きのAltoを見たスティーブ・ジョブズが、それを真似してMacintoshを作ったというのは有名な話です。そして、いまや彼のDynabook構想はタブレットやスマホへと受け継がれています。ユーザーインターフェースという観点で、現在のコンピュータを作ったのは彼であると言っても過言ではないでしょう。

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    ▲ジョン・ワーノック

    ジョン・ワーノックについては、他の三人に比べるとご存知な方は少ないかもしれません。しかし、実は皆さんの生活に最も身近なところで活躍している人物です。というのも、彼はPostscriptの発明者であり、あのAdobeの創業者にして社長でもあります。そう、Illustrator、Photoshop、PDFリーダー、Flashなどの製品を生み出している、あのAdobe社の創業者なのです。彼の製品は生活のあちこちに溶け込んでおり、ソフトウェア的な面でデジタル世界でのクリエイションを支えています。
     
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    ▲エド・キャットムル
     
    そして、最後の一人が、エド・キャットムルです。エド・キャットムルはルーカスフィルムでコンピュータグラフィクスチームを立ち上げ、その後チームで独立して、Pixarを創業した人物です。現在でも、キャットムルはPixar社の社長を務めています。
    コンピュータグラフィクスを使ってどういうコンテンツを作るか、またディズニーコンテンツとデジタルコンテンツの親和性を用いてどうやって訴求していくか。彼の存在は、魔法の世紀のコンテンツを語る上で欠かせません。
     
    さて、本当に今のデジタル世界の数多くのものが、この時代のユタ大学から芽吹いたものだとわかったと思います。サザランドが手放した研究テーマを引き継いだ彼の弟子たちは、VRブーム、ネットブラウザ、タブレットやGUI、オブジェクト志向言語の原型、CADCAMソフト、印刷出版、ハリウッド映画などを生み出し、やがてコンピュータ産業の花形を切り開く中心的人物となり、社会を大きく変革したのでした。
     
     
    「旅の終わりと継承」
     
    それにしても、こうした世界を変革した4人の源流にあるサザランドの研究テーマとは、結局のところ、どういうものだったのでしょうか。
     
    僕が思うに、魔法の世紀という視点で最も重要なのは、サザランドが「創造性」や「リアリティ」のような、いかにも人間の領域の問題だとされてきたものを、コンピュータの補助によって巧妙に扱えるようにして、現実に解ける問題として捉えてきたことです。つまり、芸術や現実などの人間的知性を扱うような観点で、人間の価値観をアップデートしうる技術がコンピュータによって可能だということを明らかにしたのでした。
    おそらく、サザランドには「適切なプログラミングを用いて魔法を実現する」ための自由な発想があったのだと思います。事実、サザランドの「究極のディスプレイ」に関する思想は、現在のVRの手法や、二次元画面のディスプレイに縛られたものではありませんでした。それは、究極的には物体の存在そのものをコントロールできる部屋を生み出すという思想にまで繋がっていました。
     

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