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「日常着としてのアウトドアウェア」
はなぜ定着したのか?
――アメカジの日本受容と
はなぜ定着したのか?
――アメカジの日本受容と
「90年代リバイバル」から考える
(BEAMSメンズディレクター
・中田慎介インタビュー)
・中田慎介インタビュー)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.4.24 vol.311
都市生活者の服装が脱スーツ化、カジュアル化するなかで、今や日常着として気軽に着られるようになったアウトドアウエア。しかし、なぜアウトドアウエアはここまで定着したのか?――その理由をファッションの歴史から辿っていくと、「アメカジ(アメリカン・カジュアル)の日本受容」に行き着きます。
そこで今回は、日本にアメリカン・カジュアルとアウトドアウェアを紹介したパイオニアであり、今なお都市生活者のファッショントレンドを牽引するセレクトショップ「BEAMS」のメンズディレクター・中田慎介さんに、「アウトドアウエア受容の歴史」についてお話を伺ってきました。
BEAMSの創業は1976年。セレクトショップもファストファッションのお店もなかった原宿で、6坪のセレクトショップとしてスタート。アメリカで爆発的人気だったカリフォルニア文化を日本に紹介し、ファッション好きの若者たちの心を掴みました。その後、様々なブランドとのコラボレーションでも注目を集め、数多のレーベルを擁して新たなトレンドを生み出し続けています。
今回PLANETS編集部は、ビームス メンズディレクターで、創業当時のコンセプトである「アメリカンライフショップ」=アメリカン・カジュアルを提案し続けるレーベル「BEAMS PLUS」のディレクターでもある中田慎介さんに、「アメリカン・カジュアルとアウトドアウエア受容の歴史」について聞いてきました。
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
◎写真提供:BEAMS
▲今年3月にリニューアルオープンした、フラッグシップショップの「ビームス 原宿」。
■ アメカジ受容のなかで派生したアウトドアウエアブーム
――ここ最近、恵比寿や渋谷あたりで、パタゴニアのハードシェルやダウンを着て、アークテリクスやグレゴリーのザックを背負って会社に通勤するサラリーマンの姿を当たり前に見かけるようになりました。本来なら山で着るような高機能なアウトドアウエアを街でも着るというファッション文化が定着しつつありますよね。
なぜそうなってきているかの理由を考えていくと、消費者像として浮かび上がるのはまず “アウトドア層”――自転車通勤をしている人とか、土日に登山を楽しむ人たちです。
そして、もうひとつ欠かせないのが、“アメリカンカジュアル層”だと思っていて、BEAMSが創業した70年代アメリカの西海岸のライフスタイルが日本に入ってきて、この流れで例えばパタゴニアのようなアウトドアウエアブランドに出会った人も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、アメカジやアウトドアウエアのタウンユースを紹介したパイオニアであるBEAMSからみた、「ファッションとしてのアウトドアウエア」の受容の歴史をお聞きできればと思います。
中田慎介(以下、中田) なるほど。まず僕は、直近の理由としては東日本大震災が大きいんじゃないかと思っています。うちの会社では特に顕著なんですが、「なるべく公共交通関だけに頼らず通勤しよう」ということで、今まで禁止されていた自転車通勤がむしろ推奨されるようになったりしていますよね。そうなると当然、全天候型のウェア、つまりアウトドアウエアが必要になってくる。
たしかにBEAMSは、セレクトショップとしてアウトドアブランドを取り入れたという意味ではパイオニアだと思います。「BEAMSがパタゴニアのフリースを日本に初めて入れた」と言ってもいいはず(笑)。なので、「BEAMSから見た日本でのアウトドアウエアファッションの流行と定着」という観点からお話することはできるかな、と思います。
私がディレクターをやっている「BEAMS PLUS(ビームス プラス)」は、レーベルのコンセプトとして「アメリカの黄金期」と呼ばれているベトナム戦争以前の1945〜65年に完成されたウェアや、当時のものづくりをベースにしてきました。そこで私は配属された当時から、アメリカのファッションの歴史のノウハウみたいなものを叩き込まれてきたんです。ここでは僕が学んだものが厳密に正しいかどうかは別にして、分かる範囲のことをお話させてもらいますね。
▲ビームス メンズディレクターの中田慎介さん(撮影:編集部)
そもそも洋服文化の発祥の地はヨーロッパで、1800年代にヨーロッパから今のアメリカ大陸に渡ってきました。当時はアメリカの広大な土地を東西にガンガン行き来して文化を広めていった時代です。そのため何を取り込むにも素早い動きが必要とされた。当然、輸入された洋服に対しても、アメリカ大陸で使えるような機能性を追加し、デザインをし直さなければならなかったわけです。このプロセスによって、のちの「大量生産」という流れが生まれていきます。
こうした時代背景のなかで生まれたアメリカン・ファッションのルーツとなるカテゴリーは4つあって、ビジネススーツに代表される「アメリカントラディショナル」、肉体労働のための「ワーク」、兵士の服である「ミリタリー」、そして「スポーツ」ですね。これらのカテゴリーにおいて、例えばミリタリーなら「死なないためにどれだけ動けて丈夫で機能的な軍服を作るか」といった機能性に関わるディテールやデザインが完成したのが、第二次大戦後からベトナム戦争までの「アメリカの黄金期」と言われる時期です。
当時は戦争景気でとにかくお金があったので、素材開発もさかんに行われています。対燃の素材をどこよりも早く開発して、「MA−1」というフライトジャケットを生み出したのもアメリカでした。いわゆる「アメリカンカジュアル」の源流とされる4つのジャンルは、時代の勢いに乗るかたちで、職業服つまり「ユニフォーム」としてのスタイルを完成させていったわけです。
しかし、ベトナム戦争が始まって間もない1965年以降になると、「ユニフォーム」だったものが、しだいに「ファッション」として表現されていくようになる。いわゆるカウンターカルチャーの時代に突入していくわけです。
■ カウンターカルチャーから生まれた「アメリカン・カジュアル」
――カウンターカルチャー世代の若者たちが、「ユニフォームとしての機能」に特化していたこれらの服に、ファッションとしての意味を新たに見出していったということですよね。
中田 それまでのアメリカには、「どこの家にも大きい車があって、テレビがあって、子どもたちは真面目で、髪を横分けしている」という、親世代が作った”American Way of Life”と言われる理想と現実があったんですね。
ベトナム戦争の泥沼化によって、親世代を単純にリスペクトできなくなった若い世代が、イメージ戦略によって作られたこれらの概念を壊していったわけです。ファッションに置き換えるならば、着崩すことに楽しさを見出していったということですね。たとえば、それまで野球の試合や練習でしか着られなかったベースボールシャツが、70年代〜80年代になるとファッションとして着られるようになるわけです。
それから大量生産・大量消費の時代でモノが飽和状態になったことで「節約しよう」という流れが起きて、古着ブームが生まれる。「ラグビーのユニフォームも普段着としても着れば一石二鳥」ということになってくる。こういった流れから、「ユニフォーム」と「ファッション」の流れがリンクしてきたんじゃないか、と私は思いますね。
もうひとつわかりやすい例を出すと、ヒッピーがミリタリーシャツを着るようになったのも、まさにアンチテーゼですよね。要するに「ミリタリーっていうのは人を殺すための服じゃない。平和をうたうための服なんだ」というカウンターです。ひとつの意味しかもたなかった「ユニフォーム」に、まったく逆の意味をもたせて「ファッション」にしたというわけです。
――『フォレスト・ガンプ』に出てくるヒッピーも、ミリタリーを着ていましたよね。
中田 そうそう。ちなみにフォレスト・ガンプが履いていた代表的なスニーカー、「ナイキ コルテッツ」のオリジナルカラーを、BEAMSエクスクルーシブで販売していました。映画のなかでフォレスト・ガンプがプレゼントされたスニーカーで、白地に赤いスウォッシュが入ったものです。この春にリニューアルした原宿店の目玉アイテムでもあります。
▲ナイキ コルテッツ オリジナルカラー
■ いま起こりつつある「90年代リバイバル」
――『フォレスト・ガンプ』といえば舞台は1960〜70年代ですが、90年代の映画でもあるわけですよね(公開は1994年)。最近いろいろな分野で「90年代」の再解釈が流行していますが、このアイテムもその流れからきているものなのでしょうか。
中田 たしかに90年代ブームという枠で動いている部分はありますね。90年代の特徴としては、異素材をミックスさせているのがポイントです。
――90年代ブームのひとつとして、BEAMSは昨シーズン、スポーツミックススタイルも提案されていましたよね。パタゴニアを着てアークテリクスのザックを背負って……というスタイルの原型って、1970年代にはすでにアメリカにあったんですか?
中田 やはりカウンターカルチャー全盛期にある程度完成されたんじゃないでしょうか。証券マンが象徴するようなビジネススタイルへのカウンターとして、70年代は放浪の旅をするバックパッカーたちのスタイル(ヒッピー)が出てきたわけです。今までスーツを着て街を歩いていた人が、「こんなものは必要ない」といってスポーツウェアを着てザックを背負って旅に出る。そこで彼らは「スポーツウエアの機能って、スポーツ以外でも役立つじゃん! 日常でも着られる!」と気づいて、日常生活に取り入れるようになっていったんでしょうね。
――そういったアメリカのカジュアルウエアのトレンドが、日本に入ってきたのはいつぐらいなんでしょうか?
中田 アメリカンカルチャーが本格的に入ってきたのはやっぱり70年代でしょうね。当時のアメリカはカウンターカルチャーの影響で人種差別がなくなっていった時代なので、日本人もある程度渡航しやすくなり、情報が入りやすい環境になっていった。BEAMS創業時のメンバーもこの頃カリフォルニアに渡っています。
■ パタゴニアを日本に紹介したのもBEAMSだった?
――BEAMSが原宿で創業したのは76年ですが、当時は「UCLAの学生の部屋」がコンセプトだったんですよね。
中田 70年代中盤当時、日本でも古着やカウンターカルチャーがブームだったんですけど、実は当時の原宿は、今のような「古着の街」というイメージは、まだそこまで強くなかったんです。
70年代のカウンターカルチャー的な古着文化の発祥の地はニューヨークとされているんですが、実際に花開いたのはサンフランシスコで、カリフォルニアの陽気さのなかでみんなが古着を着るようになり、サーフィンやスケートボードといったいわゆる「横ノリ」のスポーツがどんどん発展した。このカリフォルニア文化に70年代の日本人はすごく憧れを抱いていて、だからBEAMS創業時は「アメリカンライフショップ」というのがコンセプトで、アメリカのカルチャーを紹介するお店だったんですね。
▲2009年に発売されたPOPEYE × BEAMSのムック「All about USA」(マガジンハウス)のひとコマ。70年代当時の「POPEYE」誌上でBEAMSが紹介されています。「POPEYE」の創刊はBEAMSと同じく1976年で、中田さんによればほとんど”同期”のような間柄だそう。(撮影:編集部)
――当時のBEAMSの店舗には、どんなアイテムを置いていたんですか?
中田 ワークウェアならスミスのオーバーオール、ラングラーのウエスタンシャツ、リーバイス® の501、ナイキのスニーカーをベースにしたローラースケートもありました。他にはベーシックなボーダーTシャツとか、ブーメランとかフリスビーのようなお土産モノですとか、それこそUCLAの生協に行ったら買えるようなロゴのTシャツとかも置いていたようですね。
あとは、すでにパタゴニアのスタンドアップショーツも買い付けていたそうです。80年代には、パタゴニアのフリースの名作とも言われる「シンチラジャケット」を日本に紹介していますね。
▲パタゴニア シンチラスナップTフーディ
――当時、カリフォルニアに住む人はパタゴニアのフリースをファッションとしてすでに着ていたんですか? それとも、あくまでアウトドアウェアとして着られていたものを日本で「ファッション」として売り出したんでしょうか。
中田 パタゴニアがフリースを開発したのは70年代後半ですね。当時、現地の人たちが日常着としても着ていたかは定かではありませんが、BEAMSはあくまで「ファション」として売り出しています。
そもそもパタゴニアは、1957年にカリフォルニアで誕生した、ロッククライミング用品の製造をするための会社でした。衣料品の輸入や製造販売も行うようになり、1973年に新たに衣料品部門として「パタゴニア」という名称のブランドをスタートさせました。
昔はアウトドアウエアというものがなくて、クライミングをするときもコットンとかウールとか、雨に濡れたとたんに機能しなくなるものしかなかったんですね。「それならば自分たちでつくろう」と、クライミング用品を売っていたパタゴニアが衣料品も作り始めた。そうなったときに、「水分を吸収しない化学繊維によるウエアにしたい。さらに保温性もほしい」ということでウエアとして生まれたのがフリースです。
■ 大ヒットしたアイテム「アロー」(アークテリクス)は日本でどう受容されてきたのか?
――パタゴニアともうひとつ、今のアウトドアウエアブームを引っ張る存在としてアークテリクスがあると思います。ブランドの定番モデル「アロー」を背負っている社会人や大学生を本当によく見かけますよね。この「アロー」は、ファッションアイテムとして紹介され始めたのはもう10年以上前からだと思いますが、当初はどちらかというとアウトドアのアイテムというよりも、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上であったり、その後の「裏原系」と共振するようなものとして人気が出ていた印象があるのですが……。
▲アークテリクス アロー
中田 アークテリクスは日本に限らずとても人気のあるブランドですが、「アロー」自体は日本以外ではもう売っていなかったりするんですよ。アウトドアブランドのプロダクトとしてはファッション性が非常に強いのが理由かもしれません。
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