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「キッズアニメ」と「非キッズアニメ」の落差
『石岡良治の現代アニメ史講義』
キッズアニメーー「意味を試す」〈1〉
【毎月第3水曜配信】 
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.1.20 vol.498

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今朝のメルマガでは『石岡良治の現代アニメ史講義』をお届けします。今回からは「キッズアニメ」を題材に、ポップカルチャーが直面する「性と暴力」の問題や、「玩具」という外部性とアニメ表現の関係性について考察していきます。


▼プロフィール
石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。跡見学園女子大学、大妻女子大学、神奈川大学、鶴見大学、明治学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて毎月のレギュラー番組「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。


■「意味を試す」現代のキッズアニメ

 みなさん、こんにちは。石岡良治です。今回取り上げるテーマは「キッズアニメ」です。

 「キッズアニメ」では「意味」が試されているというのが私の考えです。踏み込んで言えば、例えば『不思議の国のアリス』が担っている言葉遊びのようなナンセンスがキッズアニメでは展開されていて、そこが魅力になっているということです。
 今年(2015年)の8月22日放送分の『プリパラ』ED(ed5、曲は「胸キュンLove Song」)で、「そふぃ」画像が差し替えになった件を思い出してください。この一件はキッズアニメを考える上で重要だと私は考えています。ニコニコ動画などで『プリパラ』のEDになり、実写の女性がダンスし始めると、視聴者が「投了」とコメントし解散するという様式美がかつてはありました。これは「二次元」と「三次元」を過剰に区別するものなので、個人的にはあまり好きではないのですが。ところが、今の『プリパラ』のED(※2016年1月から再び実写が混ざるEDになりました)は、女性キャラのプライベートフォトを紹介するていのもので、水着や部屋着などのセクシーショット風のものが含まれていて、一部カットは微エロとみることができるものです。「エロ」表現は「意味性」においても「目的性」においても分かりやすすぎるものです。そふぃの「キャミソールでメイク」姿から「オーバーオールと大漁旗」への変更( http://togetter.com/li/863867 )は、BPOに来た「女児向けにそぐわない」との意見への配慮とされていますが、これは志摩市の萌えキャラ問題(注1)と比べると、良い攻めの姿勢と言えます。個人的な意見では「キャミソールでメイク」でも「オーバーオールに大漁旗」でもどちらでもいいと思うのですが、この差し替えでイラストが一枚増えたという意味ではよい「ネタ」になったと考えています。
 簡単に言うと「キッズアニメ」がいつも直面する表現的テーマとして「性と暴力」イメージがあるということです。映画やテレビ、その他の映像のモチーフとして「性」や「暴力」が画面に映し出されると私たちはハッと目が覚めますよね。またお茶の間で「性」や「暴力」を目にすると家族がソワソワしだします。今回キッズアニメについて考えてみたいのは、性も暴力も「意味」に満ちているからこそ、そこを明示的に扱うことが少ないキッズアニメでは、「シュール」だったり「カオス」だったりするようなモチーフが興味深い仕方で繰り広げられるということについてです。

(注1)志摩市の萌えキャラ問題:主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が開催される三重県志摩市が海女の萌えキャラクターを公認したことに対して「性を強調する描き方だ」と抗議が相次ぎ、騒動を受けて志摩市は「正式に非公認キャラクターとして継続」するという措置を取った。


(1)キッズアニメの領域

 まずは概論から語りたいと思います。キッズアニメの領野について深夜アニメとの関係を考えようと考えています。日本の「アニメ」はかつて「テレビまんが」と呼ばれていました。例えば『SHIROBAKO』の劇中に出てくる「アンデスチャッキー」(モデルは1973年の『山ねずみロッキーチャック』でしょう)のようなものが典型的な「テレビまんが」といえます。
 ちなみにアニメ『SHIROBAKO』で「アンデスチャッキー」の主題歌アニメーションが出てくる場面では、1番でチャッキーの隣にいるヒロインが2番では馬のキャラと寄り添っていて、地味にNTR(寝取られ)っぽい雰囲気が成立しているので必見です。

 子供の世界(3〜6歳頃)は「怖さ」と結びついているところがあります。これは重要なことで「怖さ」は記憶の深層をついてきます。世代ごとに「怖さ」の領域は異なりますが、私について言うと、この年代の頃はピエロが怖かったですね。理由は簡単で、デパートの屋上にミニ遊園地があった頃、お金を入れるとピエロ人形が踊るのを見ることができるマシンがあって、薄気味悪かった記憶があります。今は別に怖くないですが、例えばピクサーの『インサイド・ヘッド』でピエロキャラが深層の恐怖を現している場面では個人的な理由で感情移入していました。


■ 70年代キッズアニメの領域から離脱して生まれた「深夜アニメ」

 先ほど例に挙げた「アンデスチャッキー」は1970年代アニメをモチーフにしているわけですが、70年代のキッズアニメは今振り返るとやたらと暗い展開のものが目立ちます。『みなしごハッチ』などの寂しげなテイストですね。この頃の「テレビまんが」は、「まんが」という言葉が示す通り、絵本などを含めた広義のコミック文化との関係を含むと同時に「子どもがメインターゲット」という含意がありました。
 そんなキッズアニメから離脱していったのが今の「アニメ」と言えます。1974年の『宇宙戦艦ヤマト』以降に成立したアニメファンコミュニティには「ティーンズ=中学生になってもアニメを視聴し続ける」という意思がありました。現在の深夜アニメがエロ要素を含むものだらけであるということの一つの原点として、中高生がエロ好きということが起因しています。アニメを2次創作的に性や暴力を含む仕方で読み替えをしていったものが、今度は一次創作として大量に生み出されたということです。

 ティーンズ以降の世代がアニメを観続けるときに、二つの可能性が生まれました。ひとつは主として団塊世代以降に生じたことですが、マンガ文化が読者とともに題材や年齢の幅を広げていったことです。漫画で言うと『ビッグコミック』がその象徴です。『ゴルゴ13』の読者は老人になった今でもマンガを読みますよね。他方では、子ども向け作品であっても「読み」の対象にすることがあります。これは子ども向けの作品でもずっとついていくという考え方です。この時代の文化の香りを今も残しているのは、『ルパン3世』ぐらいでしょうか。
 もうひとつは、女児向けアニメでしばしば話題になる「大きなお友達」です。昔のアニメでいうなら『ミンキーモモ』あたりが、大きなお友達向けの需要がかなり大きかったアニメの典型です。これははっきり言って絵柄の問題です。80年代の女児向けアニメにおいて、例えば『クリィミーマミ』は、定番扱いになったこともあり、デザインなどのスタイルを受け継ぐアニメが存在しています。
 大きなお友達感のあるアニメは、たとえば1990年代なら『カードキャプターさくら』ですが、80年代では『ミンキーモモ』でしょう。私は小学生の頃から『なかよし』や『りぼん』を読んでいて、少女マンガ育ちという面をもちますが、自意識過剰だったこともあり、『ミンキーモモ』の絵柄を「男性オタク向け」とみなして敬遠していました。むしろ『クリィミーマミ』の方を好んでいました。今振り返ると痛い限りですが、少なくとも、現在古典的な定番としての位置を得た『クリィミーマミ』と、男性オタクファンが多数ついていた『ミンキーモモ』の絵柄の差異は、割と重要だったと思います。もちろんどちらにも「大きなお友達」ファンがいるわけですが、例えば『魔法少女リリカルなのは』のような、もっぱら男性向けの「魔法少女もの」が、演出だけでなく絵柄でも女児アニメとは異なるものになっていることを、こうしたあたりから考えることができるかもしれません。

 さて、アニメーション表現は一般に「寓話」を得意としています。古典的な動物寓話だけでなく、児童文学や絵本の世界とも密接に結びついたところがあり、だからこそディズニーやジブリの作風は、キッズアニメのイメージとなっているのでしょう。しかし今回語るキッズアニメは、日曜日の朝に放送しているアニメや夕方に放送されているアニメ、または一部少年誌原作作品です。週刊少年ジャンプ原作の『ワールドトリガー』は、チーム制FPSを題材とした戦略的マンガといった趣きをもちますが、ニチアサ枠で低予算のキッズアニメに半ば無理やりなってしまっている印象があり、こういうのもキッズアニメに入るでしょう。
 現在でも「実写」「アニメ」のイメージが分岐するさいに「キッズ層」が意識されていることを踏まえると、「キッズアニメ」は特別な考察を要する領域であると言えます。ただし、「キッズアニメ」と付き合っていくのは大変だと思います。とにかく話数が多いからです。たとえば今回、私が事前に『マイメロ』を全話追えず、シーズン1しかフォローできなかったように。
 以下、キッズアニメを考えていきますが、その際には「キッズアニメ」と「非キッズアニメ」の落差を考察していくと面白いのではないかと考えています。例えば、私は『ギャラクシーエンジェル』や『ミルキィホームズ』といった、シュールな作風の非キッズ系作品にも、ある種のキッズアニメ性を感じています。この点については、のちほど森脇真琴監督作品を扱うときに語りたいと思います。


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