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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第二章 終わりと記憶【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.507 ☆
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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第二章 終わりと記憶【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.507 ☆

2016-02-01 07:00

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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』
    第二章 終わりと記憶
    【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.2.1 vol.507

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    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第3回をお届けします。トーマス・マン、フォークナー、ガルシア・マルケスと続く、近代化の副産物としての〈年代記〉文学の系譜。三島のナショナリズムへの傾倒はその潮流への抵抗であり、それは『豊穣の海』という〈転生〉文学へと結実した。三島の晩年の作風を、戦後の世界文学の中に位置付けながら論じます。


    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
    1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
    本メルマガで連載中の『イメージの世界へ』配信記事一覧はこちらのリンクから。


    第二章 終わりと記憶

    第一節 終わりについて(三島由紀夫の場合)

     『戦後派作家は語る』の奥付には「昭和四十六年一月二十六日 初版第一刷発行」と記載がある。この本は六人の作家を聞き取り取材したものだが、珍しいことに「対談の日時・場所及び発表年月」までが記録されている。詳らかにすることも無理もない。取材をした「昭和四五年一一月十八日」の翌週、二十五日に三島由紀夫は自決するのである。出版社は何時如何なる場で取材された発言であるかを読者に明示しなくてはならない情勢であった。
     死の一週間前、三島由紀夫は絶望の淵にいる。「もう、いやになっちゃったんですね」と取材で告白する彼はすでに諦めの体でいる。彼は言う。

     三島 ぼくは自分をもうペトロニウス(ローマ皇帝ネロの側近で、『サチュリコン』の作者)みたいなものだと思っているんです。そして、大げさな話ですが、日本語を知っている人間は、おれのゼネレーションでおしまいだろうと思うんです。日本の古典のことばが体に入っている人間というのは、もうこれからは出てこないでしょうね。未来にあるのは、まあ国際主義か、一種の抽象主義ですかね。安部公房なんか、そっちへ行ってるわけですが、ぼくは行けないんです。それで世界中が、すくなくとも資本主義国では全部が同じ問題をかかえ、言語こそ違え、まったく同じ精神、同じ生活感情の中でやっていくことになるんでしょうね。そういう時代が来たって、それはよいですよ。こっちは、もう最期の人間なんだから、どうしようもない。

     三島由紀夫が語るのは二十一世紀の今日では馴染み深いグローバリゼーションへの率直な畏れであり、彼自身の限界の表明である。彼は作家としてグローバリゼーションに対応不可能であることを述べた。しかし、三島は自分自身が語るように日本語が身体に染み付いている作家であったろうか。
     作家としての三島由紀夫の履歴を振り返ってみると、彼が保守的(右翼的)な作家として舵を切るのは、一九六一年一月に発表された短編小説「憂国」からである。それまではインタビュー集のタイトル通り「戦後派」作家の一員だったのである。
     「憂国」発表の一昨年である一九五九年に、三島は自身にとって当時最大の長編となった『鏡子の家』を発表している。これは歳上の作家仲間たちから失敗作と断じられた。雑誌「聲」同人だった大岡昇平は回想する。

     大岡 彼はとにかく目立ちたがかり屋だからね。その点はいやだったんだけれども、そのころは、俺たちはいっしょに「聲」をやっていたし、仲よかったですよ。三島は『鏡子の家』を書いて、失敗しちゃって……。
     埴谷 そう。あれは評判悪かったね。
     大岡 俺は戦後と寝なかったというのは言い出したのはあの後のはずだよ。少したって『憂国』になっちゃった。以来ずっとそっちへいっちゃたから、俺はもう話の種はないからね。
     (大岡昇平・埴谷雄高『二つの同時代史』)

     三島歿後も生き残った作家二人の発言からも判る通り、三島の「右」転向が小説家としての失敗後ということが看て取れる。では、それまでの三島由紀夫は自分の小説についてどのように考えていたか?
    この明晰な作家は衒いもなく自分の手の内を曝してみせる。

     私の文体が、いかに他人の影響のおかげを蒙っているかは、右の一覧表によっても明らかである。(1)は新感覚派、ポオル・モオラン、堀辰雄、ラディゲの「ドニイズ」など。(2)は日本古典、および堀辰雄による現代語訳。(3)は日夏耿之介、およびヨーロッパ頽唐派文学の翻訳。(4)はラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」。(5)ははっきりと(!)森鴎外。(6)はスタンダールの翻訳。(7)はスタンダールに鴎外風な壮重さを加味したもの。(8)はスタンダール、プラス鴎外。(9)は鴎外プラス、トオマス・マン。ざっとこのとおりである。
     (三島由紀夫「自己改造の試み」)

     引用したように、三島が多く採用したのは翻訳小説の文体である。彼は日本語から遠ざかろうとした作家であるとも言えるのだ。
     また、三島由紀夫が手の内を見せびらかせたのは、五度も映画化――第一作目が戦後日本を象徴する青春のシンボル、吉永小百合がヒロインを演じた――した『潮騒』(一九五四)を発表したのち、代表作となる『金閣寺』で文壇的にも成功を収めた絶頂期を極めた一九五六年のことである。「戦後と寝なかった」という口吻とは裏腹な成果を積んだのが五〇年代の三島と言えた。
     三島由紀夫といえば堀口大學訳の『ドルジェル伯の舞踏会』からの影響がつとに語られるところであるが、この絶頂期を迎えた三島が強く意識した作家はトーマス・マンだった。この作家、トーマス・マンは、日本では文庫で入手しやすい著作が『魔の山』であることから、ある種のサナトリウム文学の作家と誤解される。しかし、マンが一九二九年にノーベル文学賞を受賞したのは、この作品よりも処女長編である『ブッデンブローク家の人々』によってであろう。世界文学史的に捉えれば、この長編が及ぼした影響は『魔の山』よりも大きい。『ブッデンブローク家の人々』は、とある商家の隆盛と没落を描いた年代記である。後年の研究で、この小説はマン家に記録された家計簿や日記などを素材に築かれたフィクションだと明らかになるのだが、そこに描かれているのは、大衆化社会を目前とした市民(ブルジョワ!)による衰退の物語なのである。
     フォークナーは『作家の秘密』でインタビューアーに答えて、作家としての秘訣を後進に与えている。それは時代を主導した作家を押さえて、それに学ぶことである。フォークナーにとってそうした時代の引立役は、彼自身が述べるようにトーマス・マンでありジェイムズ・ジョイスだった。ここからフォークナーの小説を因数分解して概略することは容易い。マンにとって没落するリューベックの商家は、フォークナーにとっては南北戦争敗戦後のアメリカ南部である。この土壌に「意識の流れ」というジョイスから導入された前衛的な手法によって語られる。これがフォークナーが示した現代世界文学の模範解答である。
     フォークナーが示唆した秘訣を多くの作家は鵜呑みにした。殆どの作家が消化不良に陥り、「A国のフォークナー」などとパッケージングされて商品化されて流通するに留まったのが、第二次世界大戦後の世界文学(の純文学)の主流と言える。
     世に知られたところで言えばガブリエル・ガルシア・マルケス、最近であればオルハン・パムクと莫言、日本で言えば大江健三郎と中上健次がフォークナーの影響下にある。彼らはみな各国の市民階級が何らかの要因によって崩壊に直面することを描いた作家なのである。
     ノーベル文学賞受賞がマンの影響下にある作家によって占められることは、小説が市民階級の勃興とともに隆盛した芸術であることを踏まえれば重要である。各国において彼らの登場は、その国においての(近代芸術、市民のための芸術としての)小説の不可能性を証明するものなのである。つまり後進国が先進国の仲間入りしたことを裏付けするように配布されていたのが、ノーベル文学賞とも言えるのだ。
     貧困が徐々に解消され、情報化され、市場への挑戦が容易となった今日においては、つまり世界中で、読み飽きるほどの、各国のガブリエル・ガルシア・マルケスが蔓延る(もはやフォークナーという作家は忘れ去られている)。もはやグローバリゼーションが誰の目にも明らかとなったこの世界では、ノーベル文学賞は、その役割を変えなければならないだろう。
     それはともかく、三島由紀夫はこうした芸術家の列に加わろうとして失敗した作家である。具体的には『鏡子の家』が失敗作と言えるのだが、(たとえば石川淳に)ブルジョワ作家であることを表明した三島にとって、この失敗は致命的なものであった。三島由紀夫という作家は聡明であり、自らがブルジョワ作家であることを認識しながらも、小説というジャンルが時代遅れな代物であることを、作品として表現することが叶わなかった作家なのだ。
     こうして三島由紀夫は作家としてのキャリアを、ナショナリスティックな作品を発表することにこだわっていく。というか、三島由紀夫という作家はナショナリズムというよりも、たまたまナショナリズムが世界を覆っていた青春期を描くことに執念を示すのである。その結果、周囲には「右」旋回したようにしか見えない作風へと変貌を示してしまう。三島文学とは、その前半において世界に伍する年代記文学を志して、その準備として描かれた小説群であり、後半においては世界文学を断念して私小説のような、青春小説の変奏曲のような、民族的な小説群なのである。だからこそ、死を前にして古林尚に述べた年代記小説への強い反撥は興味深い。

     三島 まあ確かにご指摘のようなこともあるでしょうが、あれには技術的な理由もからんでいるんです。ぼくはクロニクル(年代記)ふうの小説は、もう古いと思ったんです。おじいさんがどうした、おばあさんがどうした、おとうさんがどうした、お兄さんがどうした、私がどうした、子供がどうした――こんな書き方は、もう飽き飽きしているんです。ところが生まれかわりを使えば、時間と空間がかんたんにジャンプできるんですよね。作者の小説技法として便利ですよ。


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