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【わさお通信:特別増刊】 わさおの残してくれたもの 他
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【わさお通信:特別増刊】 わさおの残してくれたもの 他

2021-04-30 22:00

    INDEX

    • 巻頭言:わさおの残してくれたもの
    • 活動報告のしっぽ:2021年4
    • コラム:ふらっしゅばっく Story 点滴治療の開始(2019年暮れ~2020年冬)
    • 今月のつぼ写真 - ここ一ヶ月のよさげなやつ

    巻頭言:わさおの残してくれたもの

    わさおが去って、間もなく一年。
    わさおが居なくても世界は回って、なんやかんやで間もなく一年なのです。

    でも、じゃあ、わさおが居なくなって一年後の世界はもう全然わさおに関係ないのかというと決してそんなことはないのです。と、まあごく最近思うことがありましたので、つらつらと書き綴ってみましょうか。

    観光駅長の居ない駅

    ほんの二日前、4月28日にわさおの娘分であるちょめが、JR鰺ケ沢駅の観光営業主任に委嘱されたというニュースが流れました。これまでであれば、ニュースの主役はわさおで、その内容も今年も観光駅長を務めると言ったものだったはずでした。わさおなき今、同じようなニュースで今まで通りの反響などあろうはずがないと思いきや、新聞やテレビは割と大きな取り上げ方をしてくれました。

    言うまでもありません。これは、ちょめだからそうなった訳ではなく、わさおがそうだったからこその残像。ちょめはいわばわさおの七光的な注目の浴び方をしていると思います。でもそれは決してネガティブなイメージではありません。逆説的な言い方をするならば、わさおの七光に浴せるのは世界ひろしと言えども、ちょめしかいないのですから。

    JR鰺ケ沢駅でお出迎えお見送りといったおもてなしをする役目の犬。このポジションはわさおが切り拓いたものです。そしてそれはちょめに受け継がれていくことが、多くの人にわさおの存在感として思い出されたのではないかしら、と思うのです。

    帰ってきたわさお

    今年、鰺ヶ沢町にわさおの銅像が立つ予定です。先般、この銅像の原型となる木彫り彫刻が鰺ヶ沢にやってきました。動物木彫り彫刻家のはしもとみお氏による作品です。一見してそれは見事な出来栄えでした。箱から出され、梱包を解かれたその瞬間、目の前にわさおが居ました。厳密にはわさおであろうはずがないのですが、その木像はわさおの雰囲気を醸し出し、わさおのオーラを身にまとっていました。あまりのわさおっぷりに思わずふふっと笑ってしまいました。またわさおに会えるとは!そう思った瞬間こんどは逆向きの感情の揺さぶりが来て、おもわず泣いてしまいました。

    わさおの銅像は、多くの人がまたわさおに会えたと思える出来栄えになることでしょう。
    完成すればこれもまた、わさおのレガシーということになるでしょう。
    そして色んな事を言う人も出てくるでしょう。なぜそう思うかと言えば、すでに何度もそんなシーンを目にしているからです。

    いつまでわさお?

    いつまでわさおに頼るのか、とか、いつまでわさおと言っているのか、とか。
    わさおを偲ぶ会の時もそう。わさおモニュメントの計画を発表した時もそう。わさお亡き後、わさおの話題やニュースが出るたびに、そんな声があることも聞き及んでおりました。そして、今もまだそうです。

    ですが実はそれすらも、わさおが残したものの一つだと思えます。いつまでわさおと言っているのかと言っているその声そのものもまた、わさおのいまだ消えぬ影響の木霊なのだと思うのです。

    そして、いつまでわさおなの?との問いに、私はこう答えます。いつまでも、と。

    かつて渋谷に生き渋谷に死んだハチ公が、今でも語り継がれているように、鰺ヶ沢を語る上での欠かせないエッセンスとして、歴史上の象徴的な存在のひとつとして、わさおが地域に残ってほしいとそう願っています。

    わさおは、それだけの存在感があったと思うのです。


    活動報告のしっぽ 2021年4月

    わさお一家関連の4月の出来事です。今月からちょめがJR鰺ケ沢駅の観光営業主任として、お出迎え業務がはじまりました。

    • 04/26 情熱大陸 取材
    • 04/28 ちょめ JR鰺ケ沢駅 観光営業主任

    前号で触れた3月11日の取材も、実は情熱大陸でした。放送は5月2日となっております。メインは動物彫刻家のはしもとみおさんなのですが、わさおの彫刻をしていただいた関係から、鰺ヶ沢も取り上げられます。ちょめは映るかしら?

    コラム:ふらっしゅばっく Story 
    点滴治療の開始(2019年暮れ~2020年冬)

    2019年の年の瀬が押し迫ったあたり、急にわさおの元気がなくなりました。朝から食欲もなく、ぐったりとしている感じでした。病院での検査の結果、血中におけるカルシウムの値が異常に高い状態、高カルシウム血症と判断されました。検査値は16以上。これはその病院にある検査機器の上限を超えているため測定不能である、という意味でした。少し上回っているくらいならばよいのですが、大幅に超えているのであれば突然死のリスクもあるということで、兎にも角にも検査可能範囲まで下げようということになり、治療が開始されました。

    なぜにこのようなことがおこるのか。以下はこれまでの様子の積み重ねから来る推論です。こちらのブロマガでは以前から何度か触れていたことですが、2018年10月の健康診断で、わさおの胸部エックス線写真に白いものが写っていて、1年後の写真では大きくなっているのが確認できました。これはもしかしたら胸腺腫ではないかという疑いがありました。癌の一種です。しかしながら、本当にそうなのかどうかを確定させるためには、全身麻酔の上、CTスキャンをしなければなりません。そして、胸腺腫だと確定したら、治療するためには開胸して切除しなければなりません。これはどちらも高齢のわさおにとってはリスクが高い話でした。検査することで寿命を全うできなくなる可能性がありました。

    胸腺腫だとすると、そこから過剰なホルモン分泌が起きて破骨細胞を活性化させることがあるとのことで、骨のカルシウムが血中へと溶け出します。こうして、高カルシウム血症へと至ります。

    つまるところ、やはりわさおは胸腺腫を発症していた可能性が非常に高いと考えられます。しかしながら、前述した通り、胸腺腫の治療はおろか検査そのものがわさおにとってリスキーです。ですので、わさおの晩年は治療ではなくクオリティ・オブ・ライフの維持に重点を置くことになりました。完治ではなく、緩和です。

    ほどなくして、わさおの血中カルシウム値はなんとか許容範囲におさまりました。しかし、根本部分が治せない以上はまた同じことが起こる懸念もありました。

    2020年の冬は、こうしてわさおの最後の戦いが幕を開けるのでした。それは、1ヶ月に1回、1~2時間ほどかかる静脈からの薬剤注入と人間用の骨粗鬆症の薬の併用というものでした。


    今月のつぼ写真

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    ちょめのごろんごろんです。朝イチでかならずやります。

    オマケ情報








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