ネバーエンディング埼玉
彼女は言った。
「もうすぐ埼玉が消えます」
私が地球の調査を始めて30年が経つ。
その間に地球では色々なモノが消えていった。
反対に毎分「何かしらのモノ」が生まれて来るので「消えること」にはみんな慣れている。
とにかく何もかもデータで残せるので、消えたのに消えた感じがしない。
むしろ「消えないこと」で経済的にも負担が増えるので、人々は積極的にモノを消そうとしていた。
本棚からは本が消え、レコードもCDも消えていった。
同様に街から「本屋」も「レコード屋」も消えた。
彼女と出会ったのは、駅近くのカフェだった。
桜色のコートにポニーテールの彼女は、仕事中の私の隣の席に座った。
店員にカフェラテを注文すると、彼女は再び私に言った。
「ノコギリクワガタみたいに消えるの」
「それは確かに見なくなりましたね」
私は子供の頃の夏休みの透明な朝を思い出した。
雑木林を目指して力まかせに自転車をこぐ。
森の匂い。朝露に濡れた草が光る。
私は夢中でカブトムシを探す。前日に仕掛けた蜜に群がる昆虫の中には宝石みたいに光る甲虫もいる。
見つけて嬉しいのは「カブトムシのオス」より「ノコギリクワガタ」だった。
当時から珍しかったそれは、今はまず目にしない。
いや、そもそも朝から虫を捕りに行かないし、雑木林も近所から消えた。
検索一発でそれは見られるし、その気になれば通販で明日の朝には手に入るかもしれない。
でも「ノコギリクワガタ」は消えた。
まあそうだろう。探せばいるかもしれないけど、私の世界にはもういない。
「でも、さすがに埼玉は消えないでしょ」
私は軽く笑いながら彼女に言った。
「嫌い?」
「埼玉を?」
「そう」
「それは自分の住んでる場所だし、なんにもないけどそれなりに愛着はあるし、好きとも言いかねるけど嫌いではないですよ。少なくとも」
「消えたら嫌?」
彼女は首をかしげながら私に聞いた。
私は反則とは思いつつ、同じ質問を彼女に投げ返した。
「あなたは埼玉が好きですか?」
「・・・なんかね。よく大人が子供に聞くでしょ『お母さんとお父さん、どっちが好き?』みたいに」
「聞きますね」
「あれ、聞かれた方は困るのよね。どっちも好きだし、どっちも嫌いだったりするじゃない」
「好きだからこそ、憎んでたりね」
「そう、親って『めんどくさいものの塊』だから」
彼女はカフェオレを少し飲んでから言った。
「そして親はある日突然死んでいなくなる」
「・・・いて当たり前だって思ってますから、いなくなることについては考えてないかもしれませんよね」
「駅前の本屋さんもね」
「SNS見てる間に消えてる事ありますね、本屋とかレコード屋。それが消えたのもSNSで知ったりしますからね」
「埼玉は嫌い?」
彼女は聞いてきた。いよいよはぐらかす事はできない雰囲気だ。
「いや・・それもなんだろう。もうどうでもいい事なんですよね。地元は嫌いじゃないけど、祭りに参加してるような連中とは違うし、正直地元の友達なんかとはめったに会わないから、意識の中にないんですよ『埼玉』ってのが」
「昔から埼玉住まいを馬鹿にされて嫌だったんじゃないの?」
「そんなこと。本当のことだし。相手はこっちの事なんか知らないで言ってるのもわかってますからね」
「そう」
「どうでもいいんですよ」
「ねえ、今何してたの?仕事?」
「ああ。これ。そう、仕事です。クワガタで思い出したけど、ちょうどそういう系のレポートをまとめてたんです」
「昆虫の情報?」
彼女は私のノートパソコンを覗き込んで言った。
「ナショナルジオグラフィックがいくつかの科学論文をまとめてるんですけど、すごいですよこれ。地球上の昆虫の40%が減少してるらしくて、今後数十年で絶滅する可能性があるって話なんです。まあずっと言われてきた『いつものやつ』なんで誰も騒がないんですけど、この感じは恐ろしいですよ」
「どうして?」
「蜂がいなくなるだけで農業は壊滅的打撃をうけますからね」
「食べ物が作れなくなる?」
「多くの農産物がね。価格は高騰するんでこれまた金のない人達が苦しむし、それきっかけの戦争はすでに起きてますからね。
それもあるけど、こういう『地球が危ない系』の記事に着くリプが荒れててうんざりしますよ」
「リプ?」
「この記事に対するコメントなんですけど「虫なんか絶滅して欲しい」とか「増えてる虫もいる」とか、まあ定番のあれですけど、虫が消えたら人間も消えますからね。これって『自分なんかどうでもいい』って気分でもあると思うですよ」
「良かった」
「え?」
「もう行かないと」