政治的発言は世界を変えるか?
ツイッターを見てると、どうしても何か言いたくなる事が起きている。
「原発の汚染水が2兆ベクレル海に流されてる」とか
「政府は福祉を削って海外に500兆円以上の援助を決めた」とか
「エボラもエイズもアメリカの作った生物兵器」だの、まあ事実かどうかは別にして盛り上がりそうな話題で溢れてる。
岡田斗司夫ゼミに僕が呼んでもらった時はちょうど「集団的自衛権」について岡田さんが語っていた回でした。
その時岡田さんが「山田さんはどう思います?」と聞いてくれたんだけど、僕はその時、口にバツをして「ジャパンジャパン、言えません言えません」と回答を避けた。
本当は言いたい事がたくさんある話なのだけど、断片的に情報を流されてしまうと本意が伝わらないと思ったから話さなかったわけです。
もう1つは冗談ではなくもう日本では強い情報規制がかかっていて、迂闊な発言は即何等かの圧がかかってしまうのです。
僕の友人(とてもリベラルな人格者)の何人かは政府のブラックリストに載っていて、テレビに呼ばれる事はない。大手マスコミは「自主規制」という形をとってはいるけど本当は明らかな圧がかかっているのが僕の印象だ。
こういった有料のメルマガでさえ内容によっては「圧」がかかる可能性があると思う。
じゃあ山田玲司はこんな社会で何も発言しないで「人ごと」として世の不平等や不正を見て見ぬふりするのか?と言われると、そんなわけはないです。逃げません。
やり方を変えたのです。