泉美木蘭さんには本当に頭が下がります。
朝の4時ごろまでかかって、データを調べて書いたのですね。
その労力がどれほど大変かが、わしには分かります。
だから今回の泉美さんの3回にわたる文章は、ライジングに
再掲載して、まとめを書き足してくれませんか?
原稿料を払いたいのです。
泉美さんが先進国で「絶対的貧困率」を使用することの愚、
「相対的貧困率」が重要だと説明するきっかけは、門弟の中に、
曽野綾子やネトウヨとまったく同じ主張をする人がいるからです。
曰く、格差は拡大していない、「絶対的貧困率」の方が正しい、
日本の貧困層なんか同情するに値しない、子供の6人に1人が
給食でカロリーを賄う貧困に落ちているというが、貧困のせいでは
ない、生活保護で賄えるはずだ云々。
泉美さんがいくら説明しても、頑として最初に発した自分の主張を
顧みる様子はありません。
こういう人はいるものなのです。
だからわしが昨夜「放っておきなさい」とメールしたのに、
泉美さんはまた朝までかかって説明している。
もう止めた方がいいよ本当に。
「公論」の場だといくら言っても、「私論」に終始する人はいるもの
なのです。
「下を見て暮らせ」という考えで、常に失敗国家と比較し、
貧困層の中でもグウタラだから貧困になった人物を例に
出して、同情の余地なしなんて言っていたら、格差社会の是正を
やらなくていいという結論になってしまいます。
格差が拡大している、それが世界中の問題であることは、
スティグリッツ始め、ノーベル賞を取った経済学者も言って
いることです。
去年も、トマ・ピケティが格差が拡大していると証明する本を
出して、アメリカでも、日本でもベストセラ―になりました。
だからこそ、アメリカではサンダースやトランプが貧困層の支持を
あれほど集めたのです。
それを今さら「格差は拡大してない」「絶対的貧困率が正しい」
「貧困層に同情の余地などない」なんて言っても、笑われる
だけです。
今朝も報道2001で安倍首相が「絶対的貧困率」を出して、
弁解していました。
子供の小遣いを何に使っているかというデータがスタジオで
紹介され、1位がお菓子、2位が漫画、3位が貯金となって
いるのですが、これを「子供まで将来不安を感じて貯金している」
と野党は言い、安倍首相は「絶対的貧困なら貯金なんかできない」
と応戦するのです。
アホみたいな議論です。
そもそも6人に1人の、給食にしかカロリーを頼れない貧困の
子たちは、小遣いなんかもらってるはずがない。
データを出した意味があるのかどうかも怪しいが、安倍首相が
ここで「絶対的貧困」という言葉を出したことはもっと重要です。
曽野綾子やネトウヨの考えと、安倍政権の考えが一致している
ということでしょう。
「日本の子供はまだまだ豊かだ。失敗国家に比べれば」という
論理です。
失敗国家と同じ水準になるまで、格差が開かなければ、貧困層の
拡大なんか認めないなんて言っていたら、この国は亡ぶ危険すら
あります。
失敗国家になれば、もう国民には「上見て暮らす」活力なんか
残っていません。
先進国の援助に頼るしかなくなるのです。
今何とかしなければならないという危機感こそが「公」のための
議論であり、「ゴー宣道場」では「公論」を目指したいのです。
さきほど門弟Mさんの投稿を見ましたが、ついに本領を発揮し
始めましたね。
(「この国では、物質の保有と 経済状況は比例しない」)
わしは「実感」から語れと言いましたが、確かにその「実感」
というのも、場所や状況によって狂うことがありますね。
曽野綾子にとってはアフリカで見た餓死寸前の子供が「実感」
なんでしょう。
強烈な「体験・実感」を自分の自慢話にしてしまうのは、
戦争体験者も同じです。
憲法9条護持を唱える人も、戦争体験が苦しすぎたのです。
「体験・実感」に捉われて、現状認識が狂ってしまい、
ついには国家が亡ぶことだってあるのです。
わしはアフリカの子供の教育費を出し続けて、3人の子を
卒業させた時点で、援助を打ち切りました。
自国の足元で、6人に1人の子供がまともに食ってないという
事実に気付いたからです。
わしが子供の時は50人学級で1人か、多くて2人が貧乏人
でしたが、その貧乏人の子の家を訪ねると、夕食はご飯に
醤油かけて、1品くらいの粗末なおかずで食っていました。
今の貧困の子はその頃より酷くて、朝めしぬき、昼食は給食、
夕食はカップラーメンなので、育ち盛りの子が摂るべき栄養には
全然足りていません。
まずは日本の子供を救うことが肝心だと思いました。
世界市民という「公」は考えても無意味です。
日本国民という「公」を重視するナショナリズムこそが
重要なのです。
我が同胞の子を救え!
それが「ゴー宣道場」の「公論」です。
手話通訳の件は調べましたが、3時間なら二人必要ということ
なので、早めに知らせてくれれば、二人雇います。
通訳の機械があるという意見もありますが、手話のプロがいる
のなら、その人たちを信用した方がいいとわしは思います。