三浦瑠麗さんが「ゴー宣道場」の中で、天皇陛下の生前退位
の問題については、「国民はもう飽きている」と言っていたが、
それを言うなら、「国民はすべての問題に飽きている」
言わななきゃならない。 

原発問題にも飽きている。
アベノミクスにも飽きている。
自衛隊の駆けつけ警護容認のスーダン派遣にも飽きている。
沖縄の基地問題にも飽きている。
憲法改正問題にも飽きている。
慰安婦問題・歴史認識問題にも飽きている。
年金問題にも、少子化問題にも飽きている。
待機児童問題にも飽きている。
いじめ問題にも飽きている。
格差拡大問題にも飽きている。
豊洲移転問題にも飽きている。 

社会問題というものは、流行のように一気に報じられて、
波が引くように飽きられていく。
国民が飽きているからと言って、議論の
効果を信じないのならば、知識人や言論人や、
ジャーナリズムの存在意義などない!
 

わしは次から次に生起する社会問題を、いちいち受け身で
分析するだけの言論人ではない。
生前退位の問題は、安倍政権が一刻も早い幕引きを狙って
いるのだろうが、「国民は飽きている」という状況を待って
いるのはよく分かっている。 

だが、高森氏にしろ、倉持氏にしろ、そうは問屋が卸さないぜ
という活動の成果が、来年になったら現れてくる。 

わしも『天皇論 平成29年』を、来年出す予定だが、
その威力がどれほどのものになるか、決して主観的な
希望だけで語るわけにはいかないが、「SAPIO」の編集者
たちが「ものすごい説得力」と衝撃を受けたようでもあり、
それなりの自信があると言っておく。 

「国民はもう飽きている」、それは三浦瑠麗氏が基本的には
リベラルの立場から漏らした「主観」だろう。
「リアリズム」に徹すると「ニヒリズム」に陥る
危険性が非常に高い。
 

わしは権力には太刀打ちできないと諦める体質を持っていない。
わしの『ゴーマニズム宣言』は1000万部以上売れているし、
『戦争論』シリーズは100万部以上売れて、今も読み継がれて
いる。
それは世の中に一定の影響を与えただろう。 

何度でも何度でも三振しながら、それでも特大のホームランを
打つための情熱を失わないわしは「リアリズム」とも
「ニヒリズム」とも無縁である。
その活力が失われることは、今のところ全然ないから、
「国民はもう飽きている」と言われても、「それが何か?」
としか言えない。 

「ゴー宣道場」の参加者のアンケートに目を通すと、
「国民はもう飽きている」という言葉に反応している者が
案外多かったので、ナイーブな奴らだと思って、「ニヒリズム」
に堕ちるなと言っておく。 

2月の「ゴー宣道場」までには、「国民はもう飽きている」
どころか、事態はまた新しい様相を呈してくるから、
212日の「ゴー宣道場」では、再び「生前退位」一本の
テーマに絞って開催する。

 

 

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