文芸評論があり、映画評論があり、漫画評論がある。
芸能評論もあるようだが、
大概はゴシップネタの披露に過ぎないような気がする。
AKB48評論が成立するか否かは、
かつてのプロレス評論の隆盛が参考になる。
最古参のプロレス評論家は「週刊ゴング」の菊池孝である。
八百長のレッテルで胡散臭いジャンルと見られていたプロレスに、
独特の見方を提示して市民権を与えたのは、
村松友視の『私、プロレスの味方です』だ。
そしてプロレスファンの圧倒的支持を得たのは、
「週刊プロレス」のターザン山本であり、
格闘技の観点からシビアな評論を行ったのが、
骨法の創始者・堀辺正史だった。
当時はネットがなかったから、プロレスの情報は
スポーツ紙かプロレス専門雑誌で読むしかなく、記者や評論家は、
プロレス団体や選手やファンの顔色を気にすることなく、
自由に書くことができた。
現在のAKB48を扱う雑誌は、
それが出来ていないとわしは感じている。
だからネットの影響力に負けるのだ。
AKB48は秋葉原の劇場に見に来る
コアなアイドルヲタが育てた部分があり、
今はネットのバッシングも含む主観的な感想が
一定の影響力を発揮している。
つまり評論の余地がないのかもしれない。
誰が好きというのは完全に主観的なもので、
評論など寄せ付けない。
だが、スキャンダルが出ても潰れないメンバーと、
潰れるメンバーの差は、客観的に論じられるかもしれないし、
「恋愛禁止条例」はひょっとするとAKB48の核心かもしれない。
なぜなら、運営が「スルー」しても、
「恋愛禁止条例」は実は残っているからである。(つづく)