9月4日の朝日新聞に一度は掲載を拒否された
池上彰氏の「慰安婦報道検証」についての意見が
載っている。
「訂正、遅きに失したのでは」と題して、
「しかし、今頃やっと、という思いが拭い切れません」
とある。
奇妙な話だ。
この人はかつて「慰安婦は強制連行ではない」という
自説をどこかで表明したことがあるのだろうか?
わしは池上氏の慰安婦に関する立場を
聞いたことがない。
つまりこの論評は「後出しじゃんけん」なのである。
「後出しじゃんけん」で、空気に感化されて
朝日新聞を批判しているだけなのだ。
こういう輩が日本人にはものすごく多い。
堀辺正史氏は、日本人には
「武士的個人主義」と「足軽的集団主義」
の二種類が、昔からいたのだと言う。
「足軽的集団主義」に向けて商売した方が儲かる
ことは確かだが、わしは頭数(あたまかず)の人間には
なれない性分なので、それができない。
いや、単なる天邪鬼ではない。
その足軽たちが、正確に敵陣を目指して駆けて
いるのなら、見守っていてもいいのだが、
弱体化した敵にしか向かっていかない足軽だから
侮蔑せざるを得ないのだ。
池上氏は「朝日の記事が間違っていたからといって、
「慰安婦」と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。
これを今後も報道することは大事なことです」
と書いているが、これはどういう意味なのだろう?
池上氏は慰安婦がどのような身分で存在していたと
思っているのか?
単なる売春婦としてか?
それとも性奴隷としてか?
自分の見解は明らかにせずに、全体の形勢が
はっきりしてから、片方を批判するという手口は、
わしから見れば卑怯者に映るのだ。
池上彰の評論が朝日新聞から拒否されたと言って、
大喜びで、朝日新聞バッシングに利用していた諸君らは、
この池上評論をどう見るのだろう?
関心あるのはバッシングで、評論の中身には
関心ないか?
ものを考えない連中だからなあ。