ひとの哀しみの涙は、いつまで流れるのでしょうか?

そして、その哀しみは、どれだけ周囲のひとは、理解できるのでしょうか?


 

今年も117日、阪神・淡路大震災から、早くも20年の月日が経ちました。
テレビや各種メディアは、その現場、現実を報道していました。


その中でも特に私が印象的だったのが、その546分という、まさに震災が発生した同時刻に、大粒の涙を流しながら、遺影を抱きながら、また、細く多く供されるろうそくの火々に向かって、祈る人々の姿でした。


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一月の一年で一番寒いこの季節、しかも朝の
6時前という、一日で一番底冷えのするこの時刻に、大勢の人々が大粒の涙をこぼしながら、祈っていました。


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20年という、一見、かなり過去?とも思ってしまうこの時の流れに対して、この方々は、まだまだ深い哀しみとともに、いまを生きていられるのだと、深く感じました。


20年前、私はまだ会社員、組