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【第156回 芥川賞 候補作】『カブールの園』宮内悠介
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【第156回 芥川賞 候補作】『カブールの園』宮内悠介

2017-01-12 17:30

     分数の掛け算だ。
     ムーア先生はこちらに背を向けたまま、ちらと手元のテキストを見下ろし、問題があっているかどうかを確認した。チョークの硬い響きに混じって、ささやきや小さな笑い声、椅子の軋む音が細波となってクラスを満たす。先生が向き直るよりも前に、威勢のいい数人の生徒が次々と手をあげた。先生はざっと教室を一望してから、わたしが手をあげていないことを確認して、少しだけ落胆したように目をすがめた。ミシェルが指された。
    「一と三分の二」
     先生はうなずいたが、その顔に浮かぶ一抹の物足りなさをミシェルは見逃さず、こちらを睨みつけた。答えがわかっているだろうに、どうして手をあげないの。男子らは二桁の足し算もおぼつかない。算数の成績は、わたしとミシェルがいつもトップ争いをしていた。それで、一方的にライバル視をされていた。
     次の問題が書かれた。
     今回は、もう少し難しい割り算だ。しばらく誰も動かなかった。ミシェルが手をあげかけたところで、先生がこちらを見た。
    「レイ。わかっているんでしょう?」
    「……一と四分の一」
     答えたくないが、答えた。先生が満足げにうなずき、そこでチャイムが鳴る。うしろの席のチャドが、ワァン・アンド・ワン・フォース! とわたしの声色を真似てからかった。腰巾着のスティーヴが、豚の鳴き声をかぶせてくる。オインク!
     自分の顔に朱がさすのがわかった。テキストを閉じ、逃げ出すように教室を出た。廊下は黄土色のタイルが左右を覆い、一定間隔で教室のドアが並んでいる。無機質なタイルは、落書きを洗い落としやすくするためだ。一本、注射器が落ちているのが目に入る。わたしは小学三年生で、名前はレイ。母によると、このように書くらしい。
     玲。
     この象形文字は、左側が三つの玉を紐で通したさまを、そして右側が冠を戴いてひざまずき、神託に耳を傾ける人を指すのだという。意味は、玉のように透き通って美しい様子。日系の第三世代、いわゆるサンセイであるわたしのために、アメリカでも日本でも通じやすい名をと考えられたらしい。互換性(コンパチビリティ)は、ないよりあったほうがいい。でも、わたしは到底この名に見あわない。一致するのは、せいぜい、ひざまずいて見下ろされている点だ。どのみち、このチャイニーズ・レターを使ったことはない。そもそも、母自身が日本語を識らない。この字は、近所に住む日系一世のお爺さんに考えてもらったということだ。レイと名前で呼ぶのも、ムーア先生くらいのもの。皆はもっと単純に、わたしをこう呼ぶ。仔豚ちゃん(ピギー)と。
     そう呼ばれる理由は二つ。一つは、母が朝晩わたしに与えるヤム・ヤム・アイスクリームだ。母にとって、わたしにアイスを供するのは無上の喜びらしく、これにはとても逆らえない。誰でもなんにでもなれるこの土地で、母は希望とともに教育を受け、しかし何にもなれなかった。そして、わたしに期待がかけられた。わたしは母の人生のすべてになった。だからわたしも、母の期待に応え、優等生のふりをして登下校をする。虐げられるために。四つん這いになり、豚の鳴き真似をさせられるために。母を悲しませずに済むなら、それでかまわなかった。母の悲しみは刃だ。学校で人間扱いされないことなど、それと比べればいかほどでもない。わたしは人とちょっと違った名で呼ばれ、人とちょっと違った鳴き声を持っている。それだけだ。
     使われていない教室の一つに入った。
     教室は埃っぽく、落書きだらけの机や椅子が隅に積みあがっている。あとから、チャドとスティーヴが入ってきた。わたしは彼らに指示されるよりも前に、冷たい床にぺたりと両手をつく。ジーンズ越しに乗馬鞭で尻を叩かれ、わたしは豚の鳴き真似をする。いつからこの遊びがはじまったのかは憶えてない。自らの意志ではじめた気もする。そう思いたいだけかもしれない。また鞭が振られ、わたしは鳴き声をあげる。周囲に見られさえしなければ、虐げられることは苦にならない。むしろ、この瞬間だけはすべてを忘れられる。消えてなくなることができる。仔豚と呼ばれる理由、その二。わたし自身が、豚であることを望んでいる。
     鞭の一振りごとに、チャドとスティーヴは、ワックスかける! ワックスとる! とかけ声をあげる。映画のベスト・キッドの真似だ。虐められっ子のダニエルに、日系人のミヤギ老人が空手の修業を施す。最初、ダニエルはワックスかけばかりをやらされることに辟易するが、それが実は空手の修業になっていたという仕掛け。ミヤギは戦時中、ヨーロッパ戦線で戦った兵士で、妻子を日系人収容所で喪った。ワックスかける! ワックスとる! いつ終わるとも知れずつづく声は、やがてただの音の塊となる。わたしの鳴き真似と同じように。
     それでもアパートへ帰るよりはいい。帰ってしばらくすれば、疲れた母が冷凍のTVディナーとともに帰ってくる。画家を目指して日本から渡ってきたという父は、子供ができたと知るや行方をくらませた。TVディナーは味気なく、隠元豆はゴムのようで青臭さしかない。でも、その味気なさは嫌いじゃない。荒野や廃墟に惹かれるのに近い。何より手間がかからない。
     食卓は折りたたみ式で、力をかけるとすぐに傾く。学校での出来事を母は知りたがる。そのつど、わたしは面白おかしい作り話を考える。ジョンが給食のチョコレートミルクをこぼしてしまい、床じゅうを茶色く染めあげたこと。自分の何気ない冗談が受けて、しばらくクラスで広まったこと。生物の授業で先生が描いたヒドラが下手すぎて皆の笑いぐさになったこと。毎夜、わたしは母を満たすための物語をこしらえては、身振り手振りを交えて語る。アラビアン・ナイトのシャハラザードのように。狂える王に、首を刎ねられてしまわないよう。話のなかにだけ登場するクラスメートもいる。どちらが本当なのか、たまに自分でもわからなくなる。どちらであってもかまわない。母が落ち着いてくれてさえいれば。わたしの作り話は、母の唯一の楽しみだ。そして優等生である限りは、少なくとも放っておいてくれる。距離が近すぎるよりは、ネグレクトされたほうがまだいいこともある。
     ダイニングに置かれたテレビのニュースは、スペースシャトル事故の続報を伝えるだろう。宇宙飛行士たちが並ぶ写真が映し出され、可哀想ね、と母はきっと口にする。でも、たとえ片道でも、彼らは宇宙への切符を手にした。それを気の毒だときめつける権利など、誰にあるだろう。では、自分はどうなのか? 何になりたい? どこへ行ってみたいと願う? わたしは、ただ消えてなくなりたいと願っていた。誰でも、なんにでもなれるこの国の西の最果てで。


        VR Elementary has ended.


     黒地に白抜きのフォントが表示され、映像が途切れた。ヘッドセットを外すと、白い空間に包まれた。いや、正面に姿見がある。映っているのは八歳の自分ではなく、三十八歳を迎えようとする、やや疲れた自分の顔だ。ヘッドセットによって乱れた髪を直し、腰回りのリングを外そうとしたところで、ワンピースに白衣を羽織ったリンドン先生がわたしを止めた。
    「こちらで外しますので」
     教室と同じ広さを感じさせた床は、わずか五フィートほどの白い円盤にすぎない。円盤は表面が滑りやすく加工してあり、実際に歩いているように錯覚させてくれる。誤って円から出ないよう、姿勢を制御してくれるのが腰回りのリングだ。リングは身体の位置に応じて上下し、仮想現実の内容によっては椅子のかわりにもなる。
     目の前の心理療法士にヘッドセットを渡した。
     リンドン先生はそれを軽くアルコールで拭うと、紫外線滅菌用のボックスに入れた。ヘッドセットは加速度センサを内蔵していて、下を向けば下が、上を向けば上が見られる。まず腰回りのリングが、ついで体温や心拍数、発汗量などを計るブレスレットが外された。
    「悪くないですよ。心拍も、だいぶ落ち着いてきています」
     この治療の名は、VRエレメンタリー。VRは、そのまま仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)の意だ。エレメンタリーは小学校を意味するが、治療への導入と解釈してもいいという。米軍が元兵士のPTSD治療に用いたヴァーチャル・イラクやヴァーチャル・アフガニスタンを参考に、医療用に開発されたシステムで、主に幼少期のトラウマを抱えるクライアントを対象とする。
     機器は一世代前のもので、よく見れば、床の円盤の塗装が摩り切れている。が、この診療所の特徴はむしろソフトウェア側にある。こちらが持ちこんだ卒業アルバムなどをとりこみ、話を聴取し、足りない部分をAIに補完させながら、本物そっくりの小学校を再現する。これと認知行動療法を組み合わせ、クライアントの心の問題を解決しようというのだ。
     医療費の高いこの国でわたしにも治療費がまかなえるのは、まずシステム自体が実験段階にあること。そして、研究用途の個人情報の提供に合意したからだ。いまさら隠すことなどないし、とうに克服したと思っていた。現実は違った。仔豚ちゃん、とはじめて仮想現実内で呼ばれたとき、心拍は一気に上がり、わたしはその場にしゃがみこんでしまった。ひきちぎるようにヘッドセットを外すと、正面にリンドン先生の顔があった。
    「落ち着いて。最初は誰でもそうなのです。さあ、一緒に深呼吸をしてください……」
     いま、治療は七回目。最初と比べると、慣れてきたということだ。ただ、先生によるなら、まだ不満があるそうだ。想定していたよりも、まだ少し効果が薄いのだという。いわく、けっして急ぐことはありません。まだ、抑圧されている記憶があるでしょうから。ただ、わたしは療法士によって生み出される贋物の記憶を警戒してもいる。
     クリニックを出た途端に、真昼のサンタクララの直射日光を浴びた。
     背後で、リメンブランス・アンド・アクセプタンス・セラピーと屋号がプリントされたガラス戸が閉まった。背が高い。映像がリアルであっただけに、まだ、自分が八歳のままであるように錯覚しているのだ。治療を受け入れきれていない自分もいる。たとえば、慣れていくということは、本当に望ましい変化なのだろうか。かえって何か大事なものを失いはしないのか。でも、仕方がない。いま、自分が心に問題を抱えていることは現実なのだ。
     オークランド行きの二両編成のバスが来た。
     今日は土曜。あとは、地元のオーガニックのスーパーマーケットで買いものをするくらいだ。オークランドの治安はしばらく芳しくなかったが、南のほうは再開発が進み、わたしのような女性でも比較的安全に住めるようになった。狭いアパートで、レントは月に約千五百ドル。これでも安いほうだ。サンフランシスコ市内となると二千五百ドルに、シリコンバレーでは三千五百ドルにまで跳ね上がる。千五百ドルでも、わたしにとってはぎりぎりだ。生活費に治療費を加えると、手元にほとんど残らない。急な病気にでもかかれば、そのままホームレスにもなりかねない。あるいは、ロサンゼルスの母を頼るか。でも、それだけはという思いがある。
     母から逃げたい一心で、ロスからサンフランシスコまで移り住んだ。
     窓に映る姿は、もう仔豚ちゃんと呼べるものではない。中学に入ってから減量をした結果だ。変わりたかったからでもあるし、将来を考えたからでもある。いまは、スマートフォンでカロリー管理ができるから楽だ。オーガニックで低カロリーの食材も、よく入ってくる。バスは停留所を追うごとに混みあってきた。乗客は白人や黒人に加え、韓国系が多い。リベラルな風土はわたしのような有色人種にはありがたい。踏み板の一枚下が、奈落だとしても。

    ※1月19日(木)18時~生放送
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