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記事 5件
  • 【第156回 直木賞 候補作】『夜行』森見登美彦

    2017-01-12 17:30  
     学生時代に通っていた英会話スクールの仲間たちと「鞍馬の火祭」を見物に行こうという話がまとまり、私が東京から京都へ出かけていったのは十月下旬のことである。
     昼前に東京を発ち、午後二時頃には京都に着いた。
     京都駅から四条河原町に出て少し街中を歩いてから、市バスに乗って出町柳駅へ向かった。バスが賀茂大橋を渡るとき、秋らしく澄んだ空を鳶の舞っているのが見えた。
     叡山電車の改札は早くも見物客で混雑し始めていた。待ち合わせ時間には早かったなと思いながら柱にもたれていると、人混みの向こうから「大橋君」と呼ぶ声が聞こえる。そちらを見ると、中井さんが手を挙げて歩いてきた。
    「早いなあ」
    「中井さんも」
    「遅刻はきらいだからね。それに、みんなで集まる前にちょっとスクールを覗いてみようと思って」
    「まだあるんですか?」
    「あるよ。懐かしかった」
     その英会話スクールは、出町柳駅から百万遍交差点へ向かう道

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  • 【第156回 直木賞 候補作】『また、桜の国で』須賀しのぶ

    2017-01-12 17:30  


    第一章 平原の国へ

     夜のコンパートメントは静かだ。
     シュレージェン駅(現ベルリン東駅)からワルシャワ行きの夜行列車に乗りこんで二時間。乗車してしばらくは一等車内でも通路を行き交う人々の声は聞こえたが、この時間ともなれば静かなものだ。
     コンパートメントの寝台は上下二段。下段に寝転がった慎は目を閉じ、全身で列車の振動を感じていた。聞こえるのはただ、車輪がレールの継ぎ目を通過するたびに生じる軽快な音のみ。世界で感じる唯一の音を、全身で聴く。
     ごとん、と音がするたびに、無意識のうちに頭の中で数を数える。継ぎ目を通過する音の回数にレール長を掛ければ、だいたいの距離が出る。今はそんなことをする必要はないとわかっているが、これはもはや習性となっていた。列車に乗ると、必ずやってしまう。
     中学卒業後に外務省留学生試験に合格し、北満洲の哈爾浜へと渡ってはや十年。移動する際は、徒歩だろうが列車

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  • 【第156回 直木賞 候補作】『室町無頼』垣根涼介

    2017-01-12 17:30  

    第一章 赤松牢人
    1
     現世に 神も仏も あるものか――。
     才蔵が、この寛正二年(一四六一年)の憂世というものを詠めと言われ、仮に詠む力があったなら、おそらくはそう答えただろう。
     まったく愚かな無明の世に生まれてきたものよ、と。
     だが、この時わずか十七の才蔵に、そんな語彙はない。あったとしても、そんな達観した心根は持てなかったに違いない。あるいは気持ちの余裕というべきか。
     生まれ落ちて以来、ただひたすらに食うことに必死なまま、十七年が過ぎた。
     陰暦三月の夜は、じわりと湿気を帯びて静まり返っている。肌への湿り具合からして、戌の下刻(午後八時二十分頃)は過ぎているはずだ。
     才蔵は六尺棒を抱え込むようにして、土倉の板間に座っている。背中を心持ち、杉戸に預けている。
     六尺棒の両端は、薄鉄で覆われている。若年ながらもこの少年の膂力と技量なら、そのどちらの端を使っても、たちまちに相手の

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  • 【第156回 直木賞 候補作】『蜜蜂と遠雷』恩田陸

    2017-01-12 17:30  
    テーマ
     いつの記憶なのかは分からない。
     けれど、それがまだ歩きだしたばかりの、ほんの幼い頃であることは確かだ。
     光が降り注いでいた。
     遠い遥かな高みの一点から、冷徹に、それでいて惜しみなく平等に降り注ぐ気高い光が。
     世界は明るく、どこまでも広がっていて、常に揺れ動きうつろいやすく、神々しくも恐ろしい場所だと感じた。
     かすかに甘い香りがした。自然界特有の、むっとする青臭さと、何かを燻(いぶ)すきな臭さが足元や背後から漂ってくるのに、やはりその中に見逃すことのできない甘くかぐわしい香りが混じっていた。
     風が吹いていた。
     さわさわと、柔らかく涼しげな音が身体(からだ)を包む。それが、木々の梢(こずえ)で葉がすれ合う音だということはまだ知らなかった。
     しかし、それだけではなかった。
     濃密でいきいきした、大小さまざまなたくさんの何かが、刻一刻と移り変わっていく辺りの空気に満ち満ち

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  • 【第156回 直木賞 候補作】『十二人の死にたい子どもたち』冲方丁

    2017-01-12 17:30  
    第一章 十二人の集い
    一 集合場所
     その建物は集う者たちの大半の予想に反して、ひどく明るく健康的な色彩を保っていた。
     建物の外壁は優しく落ち着いたピンク色で、駐車場に面する方の壁は特に鮮やかな庭梅(にわうめ)色だった。一階部分の壁には、ところどころラベンダー色で親子のシルエットが施されていて、赤ん坊を抱く母親の姿や子どもたちが手を取り合って駆け回る姿が、もとはそこがクリニックであったことを示している。少し前に看板は撤去されたが、そこはかつて医療法人が所有する産婦人科・小児科・内科の総合施設だったのだ。
     四階建てで、二階から最上階まで四つか五つの上品な白い格子のついた出窓が並んでいる。レースのカーテンもそのままで、なんとはなしに大きな揺りかごを連想させるようデザインされた窓たちだ。クリニックが謳う「出産と育児をサポートします」という言葉に信頼を与え、ここなら安心して子どもを産むことがで

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