伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる連載インタビュー。今回は高田延彦vsヒクソン・グレイシー戦の裏側! 前回はコチラです→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1012796









――今回は1997年10月11日にPRIDE.1の高田延彦vsヒクソン・グレイシーについてお聞きします。高田さんはヒクソン戦に備えてキングダム道場でどんな練習をしていたんですか?

金原 いや、キングダム道場で練習はしていなかったんじゃないかなあ。少なくとも俺や安生さんとは練習してないよ。

――そういえば、高田さんはサーキットトレーニングが中心だったみたいな話は聞いてますね。

金原 高田さんは身体能力が高かったからね。そこはUWFの中でもナンバーワンだったんじゃないかな。

――スパーリングはどこでやってたんですかね。

金原 どこでやってたんだろ。

――高田さんの動向は気にならなかったですか?

金原 気にはなっていたんだけど、「高田さん、どこで練習してるんですか?」なんて聞けるような関係ではなかったしねぇ。

――そこはプロレス団体ならではの上下関係があったんですね。

金原 高田さんはそもそもキングダムの道場にもそんなに顔を出してなかったしね。

――キングダム勢の中でも話題にはならないんですか?

金原 高田さんは別の場所で秘密の特訓をしてるという話は聞いた。

――秘密の特訓!それがサーキットトレーニングだったんですかね。

金原 前にも話をしたけど、ヒクソンと引き分けた柔術家と練習はしていたんだと思う。それはキングダムのジムでやってたのかなあ。そこもあんまり記憶にないなあ。

――ほかの場所といっても、当時都内に格闘技ジムはほとんど存在しなかったですしね。

金原 俺と安生さん、サクがその柔術家にいつも極められてると耳にした高田さんが「ヒクソンはヤバイんだ」って警戒してるって話は聞いたけど。俺らはエンセンと交流してたし、柔術家にも教わったから、柔術というものがだんだんとわかり始めてきたんだけど。高田さんはどうだったんだろうなあ……。

――いまの格闘技ファンにはピンとこないかもしれないですけど、高田さんクラスのプロレスラーが新しい分野にイチから取り組むってなかなか難しい時代だったと思うんですね。

金原 当時の高田さんといったらプロレス界のスーパースターだったからね。

――PRIDE.1のあとに高田さんがアメリカのビバリーヒルズ柔術クラブに行ったとき、スパーリングでトレーナーに腕十字を極められた写真がFRIDAYに載ったんですけど、「情けない姿」として報道されていて。それは道場で教わることや習う文化という認識がマスコミにもなかったってことですよね。たとえ練習でも極められてはいけないという。

金原 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンのスパーリングだったら、高田さんが一番強いんだけどね。高田さんって身体能力が本当に凄くてさ、剛か柔でいえば、圧倒的に剛のレスリングなんだよね。パワーで相手をねじ伏せるんだよね。

――フィジカルで圧倒する感じですね。

金原 いままでいろんな選手とスパーリングをやったけど、日本人の中ではあのパワーは群を抜いてる。安生さんはどちらかというとテクニックの人なんだけど、高田さんはパワーの人。手が凄くでかいし、クラッチしても簡単に切っちゃうんだよ。ほかの人だったら切られないのに高田さんだけは別。それくらいパワーがあったんですよ。

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