プロレス格闘技に精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を書き綴る「ズンドコ・トラブル興行研究会」!! 今回は昭和プロレス研究家の小泉悦次さんによる「力道山、マンモス鈴木鉄拳制裁の裏側」。
「マンモス鈴木は弱すぎてなぁ。力道山が怒って平手打ちを食らわせたことがあったよ」
亡くなった父からよく聞きました。
1962年9月21日の金曜日、滋賀県は大津市皇子山体育館、メインは力道山&豊登&マンモス鈴木対スカル・マーフィ&ムース・ショーラック&アート・マハリックです。鈴木のメイン登用は力道山の期待の現れです。
一本目、一進一退の攻防の後、力道山が鈴木に交代します。ところが鈴木はすぐに外人側につかまってしまいます。鈴木はずるずるとやられ続け、一本目を失いました。
二本目、力道山は狂ったように外人勢に突進します。2分もたたないうちに一本を返しました。そして外人組は、
「あんなクレージーとはやってられない」
とばかりに控え室に帰ってしまい、三本目は試合放棄で日本側の勝ちとなりました。
要は鈴木の不甲斐なさで力道山が試合を終わらせたということです。しかし、テレビ生中継の時間が余ってしまいました。力道山はいきなり鈴木に鉄拳制裁を始めます。鈴木は無抵抗にただやられるだけです。力道山は豊登にも制裁に加わるよう促します。豊登も平手打ちを一発かましました。テレビの前で見ていた私の父をはじめとする全国のファンの脳内には「だらしがない鈴木」と「怖い力道山」が刷り込まれました。
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