<前回はコチラ>
「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー<シューティング黎明編> http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1307583
――中村さんはアメリカではジークンドーの学校に通ったんですね。
――まだバーリトゥードが知られてない時期ですね。
中村 佐山先生とは「バリツーズ」について話はしたことがあるんですけど。佐山先生が新日本プロレスにいた頃、イワン・ゴメスというブラジル人のバーリトゥードファイターが留学してたじゃないですか。ボクらは「バリツーズ」とはブラジルの格闘技という認識で「なんでもあり」を意味するとは思ってなかった。
――グレイシー柔術とはどういう出会いをしたんですか?
――ポジションの概念が広まるのはUFC以降ですね。
中村 ポジションを取ってバランスを取って、ちょっとずつ崩して極めるのは30秒じゃとても足りないですから。でも、その人はいまで言うガードポジションを取ってジワジワと攻めてくる。「変わったペースで攻めてくるなあ……」と思いながら、ボクは相手の攻めをすべてブロックしてたんですよ。ボクたちも下から極める関節技のトレーニングをたくさんしてたので防御は知ってて。あのスパーはギじゃなくてTシャツでやったので、Tシャツを着た汗まみれのドロドロした戦いはボクのほうがうまかったので、最後は横四方固めをとってから手で肩を掴んで前腕で首を絞めたんですね。それで相手はタップ。
中村 じつはその人はホリオンの道場の黒帯のちょい前の人間で。当時のホリオンのところにはヒクソンもホイスもいますからね。
――知らないあいだにグレイシーの使い手とやらされていたんですね。
中村 そのオーナーは「誰と誰をやらせたら面白いか」みたいなことをやらせる人なんですよ。でも、やらせる前にボクのほうの種明かしをさせるのはね(笑)。こっちは相手が何をやるか知らないですから。
アメリカでUSA修斗を立ち上げ、一時帰国した中村氏。佐山先生の顔もほころんでいる。
――グレイシーは当時は未知の格闘技ですもんね。それでよく勝ちましたねぇ。
中村 一本取ったことで何が起きたかというと、オーナーとダン・イノサント先生(ジークンドー最高師範)が評価してくれまして。アメリカの格闘技界隈でも話題になって、ボクが格闘技雑誌の表紙になっちゃったんですよね(笑)。
――日本から凄い格闘技がやってきた!と。
中村 巻頭特集もされて、アイドルみたいにピンナップになったり、シュートレスリングという技術本も出すことになったんです。向こうは実証すると認めてくれる人種なんですね。そこからボクのシュートレスリングのクラスにいろんな人が来るようになって、アルティメット出場前のホイスも見学に来たんですよ。
――メジャーデビューする前のホイス!
中村 当時はホイス・グレイシーと言われてもピンとこないですから「ああ、この人がグレイシー柔術の人なんだな」って感じで。向こうは「いつか戦うんじゃないか……」って青白い炎を燃やしてたんですよ。フレンドリーじゃないというか、あきらかにバリアを張ってるんです(笑)。
――ギラギラしてたんですね(笑)。
――おお!
中村 ヒクソンはボクと同じ89年にブラジルからアメリカに渡っていて。アメリカの永住権を取るには何人かのサインが必要だったんですね。ボクのクラスに来てる生徒の中にはヒクソンの道場に通ってる子もいて、共通の知人がいたこともあって、イノサント先生がヒクソンの身元引受人の一人になってくれることになったんですよ。ダン・イノサント先生には確固たる地位がありますから。
中村 その御挨拶でヒクソンがイノサントアカデミーを訪れて、一緒にご飯を食べに行ったんですね。ヒクソンとはそこからの付き合いなんです。当時はまだチョンマゲ頭の冴えない兄ちゃんって感じですよ(笑)。強いんでしょうけど。
日本来襲直前のヒクソン。名前を上げたいヒクソンはこの席で「第2回シューティング・オープントーナメント」(バーリトゥードジャパンに改称)参戦を持ちかけたという。
――その出会いがヒクソンの日本登場に繋がっていくわけですね。
中村 そうなんです。93年に織田無道さんがシューティングのスポンサーになって賞金を出してくれて第1回オープントーナメントをやるんですけど。それまでシューティングのリングは8角形だったのに6角形になったんです。なぜかというと、織田無道さんのマークが6角形なんですね。
――そんな理由が!(笑)。
・シューティングの賭けだったヒクソン招聘
・安生洋二道場破り映像公開の裏側
・幻のヒクソンvs長州力、笑撃の交渉決裂理由――13000字インタビューはまだまだ続く!
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非常に面白いインタビューでした。
ただヒクソンについては美化し過ぎかと。
ホクソンは事故ではなく、麻薬取引での殺人もしくは接種し過ぎで亡くなったはず。
またヒクソンの離婚は女関係だと本人もクロンも言っていますし、慰謝料で大金を失ってしまったらしいです。
そんな等身大のヒクソンについても、もっと知りたいなあ。
ブルース・リー、佐山聡、そしてヒクソン・グレイシー。
それぞれがそれぞれの使命をもって生まれてきて、ベストを尽くしたんですね。
そして今の総合格闘技の世界がある。
「ヴァーリトゥード・ジャパン」を生で観戦した時の興奮が甦り、そして、そこまでの内情を知ることができて、とても興味深いです!中村頼永先生が日本に登場させた選手は、全てホンモノ!
そういった選手が活躍する舞台(土壌)を創った佐山聡先生は、やはり偉大。さらに歴史を遡って、総合格闘技を模索し、後進に多くのヒントを遺したブルース・リーも、改めて凄いと思います!
1993年の「シューティング日米決戦」の話も、ぜひ伺いたいです!
これは大河ドラマだ!
堀辺某w 堀辺某w 堀辺某w じわじわきますw
「ヒクソンだけは違うよね。」
と当時、空手の先生と話をしたのを思い出しました。
織田無道、堀辺某、ヒクソン、安生、長州、石井館長・・・、こういった興味津々なキーワードが続々と!!(笑)
それぞれのその時の「裏側」は物凄く面白いです!!!
ぜひまた続編もお願いします♪(^^)
長州せんの交渉のくだりで吹いた
VTJ・UWF絡みの件ではいろいろ都合の悪い話は
はしょっちゃってる感はあるけど、ともあれ面白いインタビューでした。
またこんな読み応えのある人選を強く希望いたします!
>97017a さん
ハクソンは確かNYでバイク事故で亡くなったと記憶してますが
誕生日という見事なオチまでついて、見事な物語でした。
総合格闘技の歴史を考えるうえで、とても最高に面白いです。