アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます!


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リングの上でその男は、雄叫びをあげて泣いた――。
7年前の夏、異国の地ロサンゼルス。もしその時、そこにいなければ、“彼”はWWEに行くこともなく、今もまだ日本にいたのかもしれない。

2010年9月6日、ロサンゼルス・レシーダにあるPWG(Pro Wrestling Guerrilla プロ・レスリング・ゲリラ)の会場では、同団体、というよりアメリカインディー界のNo.1を決めるトーナメント大会「バトル・オブ・ロサンゼルスBattle Of Los Angels(BOLA)」の2日目が開催されていた。“彼”は、前日の1回戦でエル・ジェネリコ(サミ・ゼイン)を破り、この日の2回戦では、クリス・ヒーロー(カシアス・オーノ)と対戦することになった。

“彼”は5月からアメリカでの武者修行を始めたものの、PWG以外でブッキングされることはほとんどなく、日本にいたときは月の半数近くあった試合数は、わずか数試合ほどまでに激減していた。

愛嬌あるキャラクターもあってか、PWGファンからの反応は良かったものの、アメリカまで修行に来ている“彼”には何か物足りない思いが溜まっていたのだろう。このヒーロー戦では、その鬱積した感情を吐き出すかのように、巨体のヒーローを相手にしても、一歩も引かず、体格差を物ともしない激しい試合になった。敗れはしたが、観客はスタンディングオベーションで、健闘を讃えた。抑えきれないものがこみ上げてきたのか、リング上で涙を流した。

この試合は業界内での評判も高かったようで、以降、PWG以外にも参戦する機会が増え、アメリカでの知名度も、よりいっそう広がることとなった。このPWGでの試合があったからこそ、その“彼”――WWEスーパースター、アキラ・トザワが生まれたと言うのは言い過ぎだろうか。


戸澤陽がブレイクするきっかけを作ったPWGは、2003年に南カリフォルニアで活動している6人のプロレスラー有志によって作られたプロモーションである。


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