来るぞ、来るぞと高まっていた周囲の期待を大きく越えるパフォーマンスで、UFC 218でアリスター・オーフレイムを一撃で撲殺し世界にショックを与えたUFCヘビー級超新星フランシス・ガヌー。試合後にはUFCプレシデントのデイナ・ホワイトも「この調子でいけばこの男は世界的なロックスターになる」と絶賛、「アフリカ初のUFCチャンプ誕生へ」「賭け率ではスティペ・ミオシッチの方がアンダードッグ」「ブロック・レスナーとのメガファイト実現へ」など、米MMAメディアも久々の大型スター誕生にはしゃぎ気味だ。ここにきて来月のUFC 220(1月20日)でミオシッチの持つタイトルへの挑戦が内定したとの報道も流れるガヌーのこれまでの歩みをリサーチしてみた。


ガヌーは1986年9月、カメルーンのバティエ(Batie)で生まれた。バティエは人口2千人の寒村で、”サンド・ビレッジ”というニックネームの通り、主な産出品は砂だ。

ガヌーが生まれた当時、カメルーンには無償の教育システムが整っていなかった。カメルーン人の平均年収は1,500米ドル以下で、バティエはその中でも貧しい町である。ほとんどの子どもは、学費を稼ぐために自分で働いていた。「カメルーンの子どもには課題が多すぎる」とガヌーは語っている。「カメルーンの子どもは、生まれる前からすでに全てが失われていると考えている。夢見ることなど許されないし、大志を抱く余裕などないのだ。ただ、目の前の生活の犠牲になることを受け入れるしかない」。

ガヌーも12歳の頃から、砂の採掘場で働き始めている。 朝から晩まで、砂を一杯に積んだ重さ90キロのバケツを、採掘現場からトラックまで運ぶ肉体労働だ。

両親はガヌーが6歳の頃に離婚。ガヌーは母親と3人の兄弟とともに、親戚をたらい回しにされた。その頃の母親の苦労を目の当たりにしたことが、ガヌーがプロファイターを目指した大きな理由になっている。



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