我が師・桜井章一は「生活の逃げから麻雀に入る人間が多い」と指摘しましたが、私は麻雀で大敗すると仕事に逃げる人間です。木谷会長の麻雀レポートに続いてさっそく更新してみました。「数字で見た日本vs世界」。なぜ『PRIDE.13』以降、REBORNまで日本人選手は外国人相手に負けが込んだのでしょうか。前回の「数字で見る日本vs世界」はコチラです。


あらためてこの時期の戦績

PRIDE.13~PRIDE.25(13大会全106試合)

日本人vs世界 48戦10勝37敗 1分

楽天イーグルス初年度のような負けっぷり! 続いて選手の個人戦績も見てみましょう。

<外国人選手との試合 3戦以上>

桜庭和志 2勝3敗

松井大二郎 2勝3敗

大山峻護 1勝4敗

小路晃 1勝4敗

山本宜久 1勝3敗

佐竹雅昭 3敗

<2戦>

田村潔司  2敗

小原道由 2敗

アレクサンダー大塚 2敗

高山善廣 2敗

<1戦>

横井宏考 1勝

石澤常光 1勝

吉田秀彦 1勝

高田延彦 1分 

エンセン井上 1敗

谷津嘉章 1敗

今村雄介 1敗

山本喧一 1敗

金原弘光 1敗

佐々木有生 1敗

中村和裕 1敗

石川雄規 1敗

杉浦貴 1敗

なんと、外国人選手と2戦以上して勝ち越し者がゼロです。桜庭選手と並んで2勝している松井選手もそのうちひとつは試合開始早々の金的攻撃による反則勝ち。実質、複数勝利は桜庭選手だけだったとは……。最大連敗は『PRIDE.18』小路晃vsジェレミー・ホーンから『PRIDE.21』田村潔司vsボブ・サップまでの11連敗。

そういえば、この時期のPRIDEって桜庭選手も不調に陥っていて「猪木さんのダーのときしか会場が盛り上がらない」とか言われたりしましたが、もしかしたら日本人選手の活躍が見られなかったことも一因かもしれません。ここで気になるのは運営側の、なんというか、ほら、興行場所は日本じゃないですか。日本人選手に勝ちやすくするマッチメイクがあったかどうか気になりますよね。いわゆるチェーンナップファイト。

あらためていうことでもないですが、格闘技は何が起こるかわからないものです。誰が相手でも絶対に勝つなんていう保証はどこにもありません。でも、あきらかに一方を勝たせたいマッチメイクが組まれるのも事実。それはいわゆる『PRIDE.3』における高田延彦vsカイル・ストゥージョン的マッチメイクですね。

運営側からすれば、『PRIDE.4』でヒクソンとの再戦を控えていた高田さんに強豪選手を当てるわけにはいかず、無名の格闘家カイル・ストゥージョンを呼び、目論見どおり高田選手は怪勝、いや、快勝しました。このカイル・ストゥージョンのレベルとまではいかなくとも、「1回だけ来日してその後、呼ばれくなった選手」と日本人選手の試合がいくつあったかを調べてみました。

なおPRIDE.1~PRIDE.12までの対外国人選手との通算戦績は65戦32勝31敗2分。

そのうち12選手が1試合だけ呼ばれ、再びPRIDEのリングに上がることはありませんでした。

戦績は12戦11勝1敗。

圧倒的です。これぞカイル・ストゥージョン効果です。ちなみに唯一の黒星は黒澤浩樹のイゴール・メインダート戦。黒澤選手が試合途中に右膝の靭帯を断裂したためドクターストップとなった試合です。

さて、PRIDE日本人暗黒期にカイル・ストゥージョンがいくつあったのか。調べてビックリ、たった2試合だけでした。

PRIDE.13~PRIDE.25(13大会106試合)

48戦10勝37敗 1分

このうち2試合だけ! 

その試合は桜庭和志vsジル・アーセン、山本宜久vsヤン・ノルキヤです。桜庭vsアーセン戦は高田延彦引退興行のメインイベントで桜庭選手には何がなんでも勝ってもらいたい試合でした。しかし、ノルキヤ選手は日本ではK-1やほかのMMAイベントに頻繁に出場していることから「カイル・ストゥージョン」と認定するには議論が必要かもしれません。ランペイジ・ジャクソンのように「カイル・ストゥージョン」として呼んだのに(ローカル大会では連勝していた実力者でしたが)、じつはメチャクチャ強くて常連選手になって、のちにUFCでもチャンピオンになって有名人となり、『特攻野郎Aチーム』のバラカス軍曹役をゲットしたりするから、人生、どこでどう転がるかはわかりませんね。

しかし、なぜここまで「カイル・ストゥージョン」は減少したのか。

創世記のPRIDEは不定期開催でしたが、徐々に隔月開催のペースを維持していきます。そうなると有力選手と独占契約しないといけなくなりますが、契約消化のために試合機会を作らないといけない。それに大会のブランドも高くなってくると、どこの馬の骨かわからない選手とは契約しずらい。そうすると「カイル・ストゥージョン」を呼ぶ枠はなくなっていきます。日本人選手にしても実力に見合った相手と経験を積むという道ではなく、いきなり強豪選手と当てられる(そのため新規選手の試合機会や経験の場を作るため『PRIDE武士道』が設立されることになります)。強引にまとめると、日本人選手はPRIDE.13以降は常連外国人ファイター、もしくはのちに定着する外国人選手との対戦ばかりになっていったのでしょう。

たとえば小路晃選手1勝4敗の相手は……

× ダン・ヘンダーソン

× セーム・シュルト

× ジェレミー・ホーン

× パウロ・フィリオ

◯ アレックス・スティーブリング

相手、強すぎぃ!

なお大山峻護選手1勝4敗の相手も……

× ヴァンダレイ・シウバ

× ヴァリッジ・イズマイウ

◯ ヘンゾ・グレイシー

× ハイアン・グレイシー

× ダン・ヘンダーソン

このあと大山選手は『PRIDE武士道』でミルコ・クロコップに秒殺されます。キャリア3年の選手には酷なマッチメイクの連続なのですが、試合枠が限られるイベントには、こういった試合を受けないと出場できなかったのでしょう。。。

試合枠は選手個人の実力だけで勝ち取れるわけではありません。PRIDEに出場するためには「所属チーム」の勝敗も重要な鍵となってくる。「◯◯を出すなら△△も一緒に」。いわゆるバーターってやつですね。次回は「対外国人戦績」からいったん外れ、チームの通算戦績を調べてみます。まずはPRIDEにはなくてはならない存在だった高田道場から。「高田道場82戦35勝43敗4分から桜庭和志離脱の真相は見えるのか」です。

最後に宣伝させてください。

菊地成孔さんの新刊『あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ 』の編集を手伝いました。『kamipro』でやった菊地さんインタビューがすべて収録されています。プロレス・格闘技だけではなく文化論などテーマは多岐にわたっています。取材はPRIDEフジテレビショックが起きた頃から始まっているので、ゆるやかに傾斜していく格闘技界の様にゾクゾクします。。。

ゼロゼロ年代の後半を振り返る資料としては橋本宗洋さんの『PRIDEはもう忘れろ』も合わせて読むと面白いですよ。以上、麻雀で大敗して眠れなくなっているジャン斉藤でした〜。